山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

横光利一『機械』(新潮文庫)

2018-03-05 | 書評「や行」の国内著者
横光利一『機械』(新潮文庫)

ネームプレート工場の四人の男の心理が歯車のように絡み合いつつ、一つの詩的宇宙を形成する「機械」等、新感覚派の旗手の傑作集。(文庫案内より)

◎語り手「私」の不可思議さ

宮沢章夫の『時間のかかる読書』が文庫(河出文庫)になったので、読んでみました。本書は、伊藤整文学賞・評論部門受賞作です。まるまる1冊が、横光利一『機械』(新潮文庫)について書かれています。朝日新聞社情報誌「一冊の本」に10年以上にわたり連載されていました。つまり宮沢章夫は、10年以上も横光利一『機械』と向き合いつづけたのです。

『機械』は文庫で40ページほどの短篇です。『時間のかかる読書』はあとがきや解説をふくめると、349ページもある大作です。これだけでも驚きですが、生ジュースを飲んでいるようなさわやかな1冊でした。

大正末期から昭和初期にかけて、新感覚派の運動が勃発しました。そのしかけ人は、横光利一でした。そしてその代表作といわれているのが『機械』なのです。

『機械』はネームプレート製作工場で働く、4人の男の心理を描いた作品です。横光利一はそれを、「四人称小説」と胸を張っていっています。できるだけ4人の男の内面に迫りたい。そんな思いが、こうした実験的な手法に走らせたのでしょう。

ネームプレート製作工場の主人は、底抜けの善人です。自分も貧しいのですが、お金をよく落とします。施してあげてしまいます。必然ネームプレート製作工場は、細君が経営することになります。「私」は主人のことを狂人だと思っています。

工場には単細胞の男・軽部が勤めています。軽部は「私」について、工場の秘密を盗みにきたスパイだと思っています。「私」は主人から、いっしょに研究をしてみないかと誘われます。それにたいして、化学式も読めない軽部が難癖をつけてきます。

ある日工場に、屋敷という頭のいい職人がやってきます。屋敷と軽部が殴り合いのけんかをはじめます。「私」は仲裁に入り、逆に2人から殴られてしまいます。

これから先には、ふれない方がよいと思います。『機械』の醍醐味は、語り手「私」の不可思議さにあります。それを紹介してしまうと、読書の楽しみが半減してしまいます。

◎知性豊かで鋭い感覚の持ち主

『機械』について、もっとも的確に言い表している2つの文章をを引用したいと思います。

――『機械』は、ネームプレート工場に勤める人々の心理の葛藤をオモチャ仕掛けのように描いている。作中の人々はみな正気なのに、すべて理知だけの機械みたいな異常な振る舞いをする人物に描かれている。普通は感情や情緒でとらえられるはずの他人の言動が、機械仕掛けのようにとらえられることで少しずつ歯車のように狂いを生じていき、どんどん人間関係が行き詰まっていく。(吉本隆明『日本近代文学の名作』新潮文庫より)

――『機械』は、自然主義から「私小説」にいたる近代日本文学の主流に対して、大胆不敵な挑戦を行い、少なくとも美学においては、「私小説」の存立を可能ならしめてきた、素朴実在論的な現実還元の方法を完膚なきまでに破砕してみせた。(「新潮日本文学14横光利一」の篠田一士の解説より)

横光利一は、知性豊かで鋭い感覚の持ち主です。残念ながら、多くの作品は入手できません。文壇では横光利一を高く評価している人がたくさんいます。小林秀雄は「私小説論」(新潮文庫)のなかで、多くのページを割いて横光利一をとりあげています。難解なので引用しませんが、小林秀雄も一目置いていた作家が横光利一なのです。

最後に川端康成が引用した、横光利一の文章作法について紹介しておきたいと思います。

――文学が文字を使用しなければならぬ以上は、「話すように書く」ことよりも、「書くように書」かれねばならぬ。それでなければ、文字の真価が出て来ないのは、当然である。(横光利一「文芸時評』昭和3年12月、川端康成『新文章読本』タチバナ教養文庫より)

横光利一は、あまり読まれていない作家です。ぜひ『機械』を読んでみて、おもしろかったら他の作品にひろげてください。
(山本藤光:2010.10.25初稿、2018.03.05改稿)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿