山本藤光の文庫で読む500+α

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矢作俊彦『ららら科学の子』(文春文庫)

2018-02-27 | 書評「や行」の国内著者
矢作俊彦『ららら科学の子』(文春文庫)

50歳の少年が見たニッポン。本書は矢作俊彦氏が構想に15年以上、雑誌連載開始から6年を経て生れた待望の最新長編です。主人公は、1968年の学生運動で殺人未遂に問われ中国に密航した男。山に閉ざされた中国の村で生活から脱し、30年ぶりに帰還した彼は、一体未来世紀の東京に何を見たのでしょうか。60年代後半に青春を謳歌した世代から、今のTOKYOを形作る若い世代まで幅広く楽しめる作品だと思います。(出版社からのコメント)

◎鴎外、荷風の衣鉢つぐべき資質

矢作俊彦(やはぎ・としひこ)は、困った作家です。なかなか新作を発表してくれません。矢作は1950年生まれですので、まだ老けこむには早すぎます。最近では、『スズキさんの休息と遍歴』(新潮文庫、初出1990年)『あ・じゃ・ぱん』(角川文庫、初出1997年)を読んだ後、今回とりあげる『ららら科学の子』(文春文庫、初出2003年)以外に目立った発表はありません。

あの独善的な辛口の書評家・福田和也は著作のなかで、矢作俊彦について次のように書いています。

――戦後生まれで「偉大な作家」と呼ぶに値する唯一の、いや村上春樹とならぶ作家である。しかしまた、同時に彼ほど読者を落胆させ、裏切り続けてきた作家はいないだろう。

福田和也はさらに次のようにつづけます。

――矢作は、鴎外、荷風の衣鉢をつぐべき資質と才幹をもっており、そのキャリアは輝かしい一群の作品で飾られるはずだった。(以上は福田和也『作家の値うち』飛鳥新社P108)

矢作俊彦の代表作は、断然『ららら科学の子』(文春文庫)です。本書は前掲の2作品の延長線上にあります。矢作俊彦は映画を手がけていた経験から、ディテールにこだわり、細かなエピソードにも執着します。その点では、同じ経験をもつ阿部和重と似ています。

矢作俊彦『ららら科学の子』(文春文庫)は、壮大な「対(つい)」のしかけを施した物語です。本書は単行本で読んでいますが、文庫での再読をしました。10年以上前に読んだときに感じた新鮮さは、まったく色あせていませんでした。

◎団塊の世代にお薦め

1968年、日本は学園紛争に揺れていました。主人公の「彼」は、機動隊に対する殺人未遂の嫌疑がかけられ、追われる身となります。「彼」は文化大革命の中国へと渡りますが、下放(事実上の国内流刑)により南部の山奥へと追いやられます。

「彼」はそこで現地の女と結婚し、貧しい生活を送ります。妻は都会に出稼ぎに行ったまま、戻ってきません。「彼」は日本へ戻る決心をし、借金して資金を調達します。

逃亡してから30年を経て、「彼」は日本へ舞い戻ってきます。マフィアの密航船で、「彼」は秘かに入国します。行き場のない「彼」は、友人の志垣に公衆電話で連絡をとります。志垣は裏企業の社長をしていました。電話に出た志垣は、渋谷にホテルを用意してくれます。そして部下の傑(ジェイ)を案内人につけてくれます。

「彼」は30年ぶりの、都会の喧騒を目の当たりにします。原色の看板に戸惑います。歩きながら携帯電話で話す人群れに驚きます。短いスカート丈の、セーラー服姿に目を奪われます。地べたに座り込む若者に、違和感をおぼえます。そこは中国の山奥とは、別世界でした。

彼は中国に、妻を残してきています。残してきたというより、妻は田舎暮らしを嫌って、単身で上海へ出て行ったのです。日本には、「彼」の妹が住んでいます。妹探しがはじまります。

中国と日本。山奥と都会。妻と妹。過去と現在。そして公衆電話と携帯電話。それぞれが対となって微妙な役割を担っています。これらについて矢作は、実に丹念に描いてみせます。
 
タイトルの意味は、明かさないでおきます。本書の表紙には、鉄腕アトムのイラストがついています。本書を読んでいて、安部公房の『砂の女』(新潮文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)を思い出しました。巣ごもると飛び立つの「対のしかけ」を思い出したのです。。

日本を追われ、中国でも追い出され、日本に戻った「彼」を待っていたのは、大きく様変わりしていた日本でした。「彼」は妹をみつけられたのでしょうか。中国に残してきた妻への未練は、ないのでしょうか。

最後の「彼」の決断は、どんなものだったのでしょうか。団塊の世代の物語として、本書は非常に優れています。学園紛争に揺れた時代と現在を重ねて、じっくりとお読みいただきたいと思います。
(山本藤光:2003.12.09初稿、2018.02.27改稿)

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