終戦直前、ソ連は急に日ソ中立条約の不延長を日本に通告して
日本に参戦してきたのである。
私には子供心に今まで中立国として、味方だと思っていたソ連が
急に敵国に変わったので裏切られたような感情を強く持ったこと
と、計り知れない恐怖が頭の中をよぎったと言うことが思
い出である。
原子力爆弾が広島や長崎に投下された直後のことであった。
ソ連の参戦はわずか一週間ぐらいのものだったので、一週間
戦争と呼ばれているそうだが、怒涛のように押し寄せたソ連軍
は満州や大連の各地でいろいろと残虐かぎりない行為を続けて
いったそうである。
私は、当時大連に住んでおられたご婦人に是非このことを書
いてみなさんに伝えてくださいと言われて、 今、コンピュー
ターに向かっている。
当時、大連病院には多くの看護婦さんが居られた。
そこへ、ソ連兵たちがどっと押し寄せ、手当り次第に看護婦
さんに暴行の限りを行ったそうである。辱めを受けた看護婦
さんたちは、私たちはもうこんな体で日本には戻れない。
みんなで死のうと言うことを話し合った。
そうして次々に自殺していかれたそうであるが、婦長さん
だけは、
"私はどんなことをしても日本に帰って、この事実を公表し
史実として後世に伝えていかなければならない。”
と仰って、引き揚げ船に乗られたそうである。