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80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

家具と私(5)

2009-11-10 16:04:32 | 家具
 其の翌年の一月末、横浜に住む下の妹から電話をもらった。

 ”お姉さん、全国発明婦人協会の発明展があるって、今日

  の朝日新聞の夕刊に出ていたわ。それに家事机を出品し

  たらどう?”

   早速夕刊に目を通したが、地方版には出ていなかった。

 翌朝の新聞で、詳細を知り、発明婦人協会に電話した。

 3月31日までに書類を調えて見本品とともに出品してく

 ださいとのことで、其の前には、実用新案の出願を済ませ

 ておかなければならないので、結構大変な仕事になるとは

 思ったが、折角妹に電話までしてもらったのに、親切を無

 駄にはできないと思って何とか覚悟を決めた。

 さて、大体頭の中では決めていたものの、ミシンをどうや

 ったら軽く出せるかと言うことをどのようにするかを決めて

 いなかったし、そもそも図面なるものを描いたこともなかっ

 たのである。

  1945年、15歳の頃に学徒動員で行った海軍航空技術

 省支廠で、海軍少尉殿から魚雷の図面の読み方を一時間講義

 していただいたことがあったので、図面読むことはできたの

 だが、描いたことは一度もなく、其の頃中学生になった長男

 の工作の教科書を引っ張り出して 図面の書き方を覚えた。

 でも、覚えたからと言ってすぐ描ける訳ではなかった。

 線一本すら、なかなか上手に引けなかった。眠い目をこすり

 ながら、線を引く練習をしたが、いやでいやでたまらなく

 なった。私は長年生きてきて本当にいやだと言うことに初めて

 遭遇したような気がしたのである。なんだか両方の肩が寒く

 なって、体の細胞の一つ一つがいやだ、いやだと叫んでいる

 ような気さえした。

 やっと途中まで上手に描けたかと思うとインクがポタット

 落ちてしまったり、線が長すぎてしまったり、ちっとも思

 うようにはならなかった。いまさらのように何て私は不器

 用なのだろうかと、われながらあきれてしまった。

 それでも、やめようと思ったことはないが、本当に毎日毎

 日、其のことを考えると辛くてたまらなくなったが、さり

 とて、自分の頭の中にしかないものを描いてとは誰に頼

 めるものでもなく、下手に頼めば洩れてしまって、実用新

 案にはならなくなるのである。こんな辛いことが世の中に

 あるのかとさえ思った。でも、なんとかやるしかなかない

 ではないか、ここまで来てこんなことでくじけてしまって

 はいけないと何度思い直したことか。アイディアなんて考

 えているうちだけが楽しいんだとつくづく思っていた。

(つづく)

 

家具と私(4)

2009-11-09 11:42:45 | 家具
 それと同時進行で洋裁を習いに行った。女学校では裏つきの

ジャケットやズボンなども縫っていたし近くの洋裁の先生につ

いたこともあったので、大抵のものは縫っていたが、オーバー

コートは縫っていなかったのと、専門にしておられる方が、

どんな道具を使っておられるのか、一応知っておきたかったの

である。

 そこで先輩の縫っておられたオーバーコートを横目で見ながら

やり方を習得して3ヶ月で止めた。週二回のペースだから大して

腕が上がったとは言えないが、自分のコートぐらいは縫えるよう

になった。

 其の頃暇さえあれば、文房具屋さん、小間物屋さん、化粧品や

さん、大工道具やさん、本屋さん、ミシン屋さん、編み機やさん、

など家庭用品売り場を 次々と調べて歩いた。

どんな製品が出ているのか、大きさや使い方、重さなどあきもせ

ずに見て歩いたのである。

 あるお店で、戦後、女性の体格がよくなったので、ドライバー

の持ちての直径を5ミリ大きくしたと言う話を聞いた。

 よく行った駅前のスーパーストアでは、小間物のサイズを調べ

ていたら、50台くらいの係りの女性に捕まってしまった。

はじめは、何を言われているのかわからなかったが、どうも他店

の回し者と勘違いされたようだった。 品物の値段をいちいち調

べていると思われたようだったので、メモ帳のサイズをお見せし

て、やっと無罪放免となった。

   (つづく)





家具と私(3)

2009-11-08 09:24:54 | 家具
 それから、私と家事机の格闘は始まった。

毎日、毎晩思いつくままに、目的別にどんどんアイデアを

書き足していった。

 1)家事机に何を入れたいか

 2)どんな作業をできるようにしたいか

 3)家事机の大きさはどのくらいが適当であろうか

 4)家事机は、可能な限りシンプルにする

  (あまり機械的に考えると、どうしても構造が複雑

  になり、一般の方に使っていただけるお値段ではな

  くなるだろう)

 5)作業台として使うため台の高さは人によっても違

   うだろうし、作業によっても違うはずであるが、

   一番妥当な高さはどうか
   
 6)何と何の作業を一緒にするだろうか

 7)同じ目的で使うものは同じ場所に収納したい。

 8)大きい物、重いものは軽く、出し入れしたい。

 9)テーブル面になるべく傷をつけないためにはどう

するか。

 10)収納しやすく取り出しやすくしたい。

できれば、そこに入れただけできちんと片付けられ

    一目で何がどこのあるかわかるように、また、掃除

したり片付けたりの手間が省けるようにしたい。

 11)作業するための十分な明るさを確保する。

 12)コンセントをつける場所はどこがいいか

    また、そのワット数はどのくらいがいいか

 13)どんな材料をどの場所に使えば割安でよいものに

なるか

 14)家庭で受け入れられやすい材料はなにか

材質や強度の問題を調べる。もちろんお値段も。

 15)入れたいもののサイズや機能をチェックする
   
   (編み機など作業するときには、上の方や、前後に、

伸びるものがあったり、毛糸のおき場所なども、

   それぞれ違うので、一つ一つどうなっているか調

   べること)

 16)簡単に買い換えられない大きいミシンや編み機は

   以前に出たものでも考慮に入れてみる

 17〕鏡はどうしたらいいか

 18)家事机によってもたらされる危険はどうなのか?

 19)目の前にゆとりの空間を作る

   どうしてもあれもこれも入れたいとなると、目の前

   までいっぱいに使ってしまいたくなるが、それでは

   ゆとりがなくなって、しまいにはそこへ坐るのがい

   やになるのではないか。

だから、どんなことがあっても遊びの空間を忘れな

   いようにしたい。

 20)大きなものをミシンで縫う時には、縫い進んで

   いくと、だんだん布地が それ自体の重さで後ろ

   に引っ張られていくので、縫いにくくなる。

   それをなんとかしたい。

 21)家事机をできるだけ持ち運びやすいところで

    分断したい

 22)多分あまり広くない場所でお使いになることが

    多いだろうから、できるだけ明るい色を選びたい。
 
 23)縫いかけのものをふわっと入れて置ける空間

    が欲しい。

 24)縫い物や編み物の材料などを入れて置く場所を

    とりたい。


  

と、こんな風に次次と項目を増やし、また、その中身も

   日毎に増やしていったのである

 何時でもどこでもアイディアは浮かんできた。

 ちょっと出かけようとして自転車を漕いでいると、急に頭

 の中に浮かんできたり、夜中に目が覚めたとたんにアイディ

 アを思いついたりするので、いつでもメモは手放せなかった

 のである。


  (つづく)

家具と私(2)

2009-11-07 07:50:46 | 家具
 それから毎日、何とかして暮らしやすいようにしたいと

家中のものを動かしながら試行錯誤を繰り返した。

其のうち、新4年生の次男の学校の開校式があり、まだ建

設中の団地の学校だったので4年生全員で確か16名だっ

た。

 新しい学校だから教育敵環境も何もまだ整っておりませ

んので、お母さんが方にいろいろお力添えをいただきた

いという校長先生のお話があり、早速教室の大きなカーテ

ンを何枚も縫わされる羽目になった。

 私は、それまで、家で使うものは、足踏みミシンで、い

ろいろ縫っていたのだが、引っ越す前に夫が、

 ”そろそろ、安い衣類も出回ってきたから、子供たちの

衣類を買うようにしたらどうだろうか”と言い出したので、

ご近所のお年寄りに、兼ねてからミシンが欲しいという方が

あったので、差し上げてきてしまっていたので、近くのミシ

ン屋さんへ行ったら、

 ”奥さん、団地では、みなさん、今はポータブルミシン

 ですよ。”と、勧められて買ってきたのだが、ポータブル

ってなんだっけ?と、言いたくなるような大きくて重くて

か弱い(???)私にはポータブルとはとても言えない代物

だったのである。置く所とてもなく、部屋の隅に置いて

おくと、子供たちがつっかかった。

 夫や子供たちの机や本棚、その他、彼らの使うものを優

先しておいてみると、彼らのものは使いよくなったが、私

のものは、あちこちの隙間にこっそりと置いてあるような

風になって全く具合が悪い。例えばアイロンをかけようと

すると、アイロン台はお布団の入っている押入れの横から、

アイロンはその下の反対の隅に、アイロンかけるものは、

あちらこちらからかき集めてくるといった有様で、当時は

横浜の実家に定年退職した父と寝たきりの母と弟がいて、

近くの主婦がお手伝いに来てくれていたが、何かあると、

すぐ呼び出されて飛んでいかなければならない状態であ

ったので、いざ、アイロンをかけようと、あっちこっち

から、物を取り出して、さあ、アイロンと思う時に電話

が掛かると、また、それを一つ一つ戻さなければ子供達

が帰ってきた時に足の踏み場もないということで、それ

まで掛かった時間と片付ける時間は全くの無駄な時間に

なってしまうのだった。

こんなことでいいのだろうか?全国の団地にお住まいの

主婦の皆さんはどのようにお暮らしなのだろうかと考え

込んでしまった。

ふと、其の時、先月まで私が先生をしていた幼稚園のお

子さんのことが頭をよぎった。このことは”絵本袋の話”

に書いたことがあったが、かいつまんで書くと、いつも

仕事に追われて、手作りのものを子供さんに作って上げ

られない方が、幼稚園からの要望で絵本の袋を作った話

であるが、其のお子さんがとてもとても喜ばれたので、

私は”親子の情って、こういうことから育つのか”と思

ったのである。

 もし、私が、自分の使う物を一箇所に集められて、使いよく

することができたら、確実に作業の能率はアップするに違いない。

其の時間で子供たちに手つくりのものを着せてあげられる

ようになったらどんなに幸せなお子さんが増えることだろ

かと思い込んでしまった。

それで手始めに上の妹に電話して、

 ”こんなことを考えているのだけれど、どう思う”と

言ったら、

 ”そりゃア、いいと思うけれど、できっこないわよ。”

 と一蹴されてしまった。

  (つづく)

家具と私 (1)

2009-11-06 08:42:32 | 家具
 1968年の4月から茅ヶ崎市の団地へ入居する事が

決まった。それまではたった二間しかない家に住んでい

たので、何とか3DKに住みたいと思って応募したら、

何とか当たったのである。実は夫は其の前にもあちこち

応募していたらしいのだが、当たらなかったそうで、一番

近くが当たったのは幸せなことだった。

3月のある日、家族と一緒にまだ建築中の団地へ行ってみた。

私の家になるところは一階で資材置き場になっていたところ

らしく、セメントをうっかり落としたような後があった

りしていたが、そんなことはどうでもよかった。とにもかく

にも少しでも広いところへ住めるのだと思うと嬉しくてたま

らなかったのである。

持って行ったテープメジャーを取り出して、6畳間の畳の大

きさを測ってメモしてきて、それから毎日、1センチ角の方

眼紙に、家の間取りを描き、家具のサイズを一つ一つ測って

多少のゆとりも見て、どこにおいたら家族が一番暮らしやす

いかを考えて、描き込んでいった。もうこれなら万全と思え

るほどになった。

4月からの生活を考えると毎日ルンルン気分であった。

  ところが、引越しの当日、図面どおりに家具を入れて

もらうように頼んでおいた運送屋さんから、早速クレームが

ついた。

 ”奥さん、とても図面どおりには入りませんよ。”と

4畳半から声が掛かったのである。

そんな筈はないとびっくりして飛んでいったが、どう見たっ

て入りそうではなかった。大慌てに慌てて、メジャーを取り

出して調べてみたが、私の書いたメモより約20センチ

も狭くなっていた。

念のため6畳の畳と4畳半のものと比べてみたら長さが10センチ

以上も4畳半の畳の方が短いのだった。となると4畳半では一枚

半の畳で約20センチも違ってくるわけになる。

私は頭を抱えてしまった。団地サイズは一般の畳よりは小さいと聞

いていたので、わざわざ測りに出向いたのに、まさか6畳と4畳半

が同じ大きさの畳ではなかったなんて、説明書にはどこのも書いて

いなかったではないか。これはひど過ぎると、腹が立って腹が立っ

て仕方がなかった。公団は狭いなら狭いというべきだったと思う。

明らかにこれはごまかしであると思ったしとても許せるものでは

なかったのである。

(つづく)