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80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

語学番組(2)

2012-11-02 18:54:11 | 教育

 
 さて、そのドイツ語の番組だが、ユーロ4カ国の生活ぶりを

比べる新コーナーで、”ユーロ クラシカル”。


今回は、家事の負担について、ユーロ各国はどのようになって

いるか、日本とも比べてみようかというところ。

いまやヨーロッパでは夫婦共働きが当たり前だが、その中で

ドイツ、フランス、イタリヤと スペイン では、家事分担が

どのようになっているのかとそれぞれのお国の方々に実際に

お聞きしてみたものである。

先ず、フランスでは

 あるご夫婦

”掃除とアイロンがけは夫の仕事。”



 ある男性は、

 "妻は学校の先生だから、家事は A - Z まで自分の仕事。”

別の男性。

 "掃除は好きではないけれど皿洗いから料理はすべて

 やっている。

 
あるご夫婦




 ”二人暮しだから、自分もやりますよ。好きなんです。”




 ”たくさんしてくれますよ。主人のような人はなかなか

 いません。


夫婦円満の秘訣は夫の家事分担にある(?)

夫の家事参加率が高いフランスに対して、スペインでは

 家事は夫婦のどちらがするかという問いに対して、



 
 "私ね。仕方がないけど、私の方が多いわ”




 ”二人でやっています。でも洗濯は私(妻)の方が

 多いわ。洗濯を干すのも私。”


あるご夫婦、

夫 "二人で分担しているよ。”夫はやっているつもりだが、

妻 ”残念ながら、私がやっているわ。世代の問題かもしれ

  ないけれど、今後変わっていくことを願うわ。”

スペインでは家事は女性の仕事というのがいまだに根強

く残っている様子。


イタリヤ(ミラノ)

 夫

 "妻は働いていて、僕はもう引退の身だが、、あまり

 家事が好きではないので、掃除とかアイロンがけは

 家政婦に頼んでいる。”

 妻

 "家政婦に週一回掃除に来てもらう外は自分でやります。”

 妻

 "家事はあまりしないわ。家政婦がいるので、ほとんど

 家事はしないけど、育児はちゃんとやります。彼も仕事

 はあるけど、帰宅後や週末には育児を手伝うわ。存在感

 のあるパパよ。”

 家事は家政婦に手伝わせて、家族の時間を大切にする

 忙しいミラノの人たちの考えです。

ドイツ人はどの国よりも家事や育児を手伝うのかという

 問に対して、



"私はラッキーです。彼は料理が上手だから。でも、家事は

ほとんど私がやりますよ。私はパートタイムの仕事だけど、

夫は家にいる時間が少ないので、料理や片づけを手伝って

くれます。”





"割合で言っても夫が30%ぐらい。アイロンがけが上手です。”


 "家庭内の割合分担はきっちり決めている夫婦もある。



 ”今は私が育児休暇中なので、私が家事をして、夫は

 博士論文に集中してもらっています。”



 ”我が家では分担しているの。彼は忙しいから家事を

 している時間はない。私が家事をやり、彼の仕事は外で

 お金を稼ぐことです。”

ドイツはミユンヘンで聞いたので、多少保守的な地域だとか。



統計では、働く男性が家事に費やす時間は日本は31分

イタリヤ1持間9分、スペイン1時間20分、ドイツ1時間55分、

フランス 2時間2分。

別の統計では、日本人男性の睡眠時間が一番少なく約8時間に

満たないが、フランスでは1時間は多く寝ているとか。

又、食事時間に費やす時間が一番多いのはフランスで、2時間

20分、日本は二番目で、次にイタリヤ、スペインの順。

ドイツでは、あまり食事に重きを置かないので、一番少ない。


こういったところから各国の暮らしぶりがわかるという。

以上、NHK テレビ語学講座、ドイツ語よりの抜粋
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語学番組(1)

2012-10-30 17:18:47 | 教育
 ♪Come、 come、 everybody, how do you do

and how are you? ♪

終戦後のNHKの語学番組は松本亨先生のラジオを流れる

この音楽から始まった。 

時代に遅れまじと、猫も杓子も聞いていたものだった。



 今では、ただ、英語番組といっても、何種類ある

のだか見当もつかないくらい、時事英語から、

幼児のためのものやら、日本の伝統的な言葉に

関するものとか、高校講座だの、ストーリイが面白

くて、はまってしまうものから、美しく楽しいもの

が数え切れないほど、いっぱいある。

英語のみならず、中国語、韓国語、スペイン語、

アラビア語、フランス語、ドイツ語、などなど

本当にいろいろテレビで無料で勉強ができる。


しかも一流の先生方からのお講義、それに、

ハンサムな、男優さんや、美しい女優さんとか

お笑いタレントさんが生徒として出演されていて、

それも嬉しい。



語学番組は年々研究され、工夫されて楽しいもの

になってきた。 特に、最近はとても進化して

きて、本当に楽しく見ていられるし、いろいろ

な国の言葉が、勉強できるだけでなく、風景を

楽しんだり、風習やら、お料理やら、本当に

さまざまなことを楽しませてもらえるので、

大好きな番組である。

 朝のニュース番組の中で、殺人事件だの

強盗事件だの、あまり知りたくもないことを

長々と、薇に入り細を穿つというか、くどくど

と説明されていると、嫌になってきて、教育

テレビに変えてしまうと、面白い語学番組が

みられるようになっていたのだが、ここ一年

あまりだろうか、語学番組の時間帯が変わって

きて、この楽しみがなくなった。



先日久しぶりに見た、ドイツ語の番組が面白

かったので、次回ご披露させていただくことに。

(つづく)人気ブログランキングへ



戦争体験談

2012-09-17 19:09:58 | 教育

今日は午後から戦争体験の話をさせていただく

ことになっていたまん丸広場に出かけようと支度

をしていたら、次男が車で送ってくれ、公園の

すぐ前でおろしてくれたので、大いに助かった。

なんとなく空が曇ってきて、雨になるのかなと

心配になったが、途中少し降られただけで、

雷もならず、無事終了することができた。

都筑区のお祭りと重なってしまったので、あまり

大勢の方々は来られなかったが、それでも

一生懸命聞いてくださってありがたく帰ってきた。

この前、加賀原で戦争体験を話させていただいた

時お世話になった方からのご紹介で、今日の体験談

になったわけなのだが、皆さんボランテイヤでいろ

いろご活躍で本当に頭が下がる。

責任者のNさん、お化粧はしておられなかったが、

きれいなお顔立ち、Sさんはいつも帽子をかぶって

おられるかわい子ちゃんで、みんな大好きな方々だ。 

男性の方々のお名前はこの前聞いたのに覚えられな

くて失礼してしまった。今日はじめてお目にかかっ

た女性も、この次お目にかかれたら、覚えていられ

るか自信がなくなってしまった、年はとりたくない

ものだ。 昔は幼稚園の先生と言う職業柄、一発で

人の名前やお顔を覚えていたのに残念至極。

Nさんが ”あの子は落ち着きがないのに真剣に

聞いていてびっくりしました”とおっしゃってくだ

さった。 今日は保育園児のお母さん方が、お店を

出されるので、お父さん方が子守りをされることに

なっているのでと言うことで、途中から子供さん方

が消えてしまわれたのだが、それでも、ちょっとの間

でもよく聞いてくれていた。私は毎日どのようにし

たら、小さいお子さん方に聞いてもらえるのかと

思い、収拾がつかないようならといろいろ子供さん方

と、簡単に遊べて・・・と、あの手この手を考えていった

のだが、そのようにまでいかなかったのである。

終わってから、いろいろとお話し合いをし、その後で、

竹で作った手つくりの風車を頂戴。

流しソーメンに参加させていただき、生まれて初めて

ソーメン流しの楽しさを味わわせていただいて帰っ

てきた。

そうそう、今思い出した。 帽子のかわい子ちゃんが

”お話を子供たちにも聞かせていきます”とおっしゃっ

たので、つい、うっかり、こんなお若いのにと

”お子さんがいらっしゃるの?”と聞いてしまった。

”いえ、私の子じゃないですけれど・・・。”と言って

おかしそうにしておられたら、そばにおられたイケメン

のおにいちゃまが、”結婚しているのかとびっくりした”

て言われたのである。

もしかしたら、もしかするのかな?(わらい)

やさしい皆さんにすっかり、お氣を使わせてしまった

かも。 立派な活動をしておられる方々がいるのだか

ら日本もまだまだ大丈夫と思いたい。




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塾の先生

2012-05-28 10:40:40 | 教育
一番下の孫が大学生になった。

高校生の間はアルバイトをしてはいけないと

両親から言われていたらしい。

この間、アルバイトは何をするのと聞いてみた。

 ”僕は塾の講師かな。他はできそうもない。”

と言う返事が返ってきた。

あなたは優しいからと言いかけたら

”いや、僕は厳しいよ。”と言う。




昔、教育心理学で、優秀なお子さんには

厳しくしてもいいが、成績のあまり良くない

お子さんにはあまり厳しいよりも、できるだけ

褒めて育てるのがいいと教えられた。



私も数十年前にはご近所さんに頼まれて家で塾

のような仕事をしたことが数年あったのだが、

成績優秀なお子さんは、放っておいてもいい

くらいのもので、すぐ理解してしまうのだが、

成績の悪いお子さんの場合には、いろいろの

問題があることがある。

その一つは、親御さんがあまりにも成績だけに

こだわりすぎたり、あまりにも負けん気だけが

強くて、誰誰ちゃんに負けるなとか、言い

過ぎの場合やら、絶えず勉強しろと言うとか、

お前は頭が悪いからと二言目には言うという

ケースがある。

大体、親があまりよくない成績だったような人

に、その傾向が強い。とんびが鷹を産むと言う

ことがないわけではないが、親のDNAを受け

ついでいるのだから、あまり多くの期待を寄せ

ない方がいい。

やれと言われればやりたくなくなるのが人情で

ある。子供さんだってやらなければいけないとは

思っているはず。

あまりがみがみ言わない方がいい。

私に言わせれば、返ってその方がいい結果が出る

と言うものだ。





ある意味で、成績の悪いお子さんの方がやりがい

があるとも言える。

先ずはよく観察をすることだ。

例えば、ほんの少しでもいつもよりきちんと坐って

いるとか、いつもより早めに来たとかのようなつまら

ないように思えることでも、それをきちんと認めて

褒めてあげるということがいい。 

口では、”そんなことない”とか何とか言いながらも、

心の中では、自分を見ていてくれる人がいたという事

が嬉しくない人間はいないのである。その場所にいる

ことが楽しいと思わせることが先ず第一。

少しづつコミュケーションが取れたら、このお子さん

がわからないのは自分のやり方が悪いと思って、いろ

いろ考えて見るのが良い。

そういう努力はきっと子供さん通じるものである。

とにかく子供さん自身の身になって苦楽を共にすること。



11-2はどうやってやるんですかと始めてきた6年生

の子に質問された時には愕然としたが、其れでも夏休み

もとらず一緒に勉強し、年度末には分数の計算もできるよう

になった。

私の前では結構頑張れるのだが、学校へ行くとそれがあまり

芳しくない成績をとってくる。 或る日、何故かと聞いたところ、

荒武先生の前ではなんだか安心してできるのだが、学校へ行くと、

緊張してわからなくなるという話だった。

親御さんはご親戚が東大とか慶応や早稲田に行っているのに、

お前は馬鹿だ馬鹿だと言い続けておられたのである。




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学生

2012-05-18 16:57:05 | 教育
この間、NHK テレビのニュースで、日本の大学生の

勉強時間が非常も少ないという話があって、アメリカ

の学生は、自分で週11時間は勉強に励んでいるのに

日本の学生達の勉強時間が・・・・という話であった。

大体、大学というところは何をしにいくところなの

だろうか?

アメリカの学生にしたって週11時間ではどう計算した

って、大学生の勉強する時間として決して多いとは言

えないのではないだろうか、況やである、わが国はアメ

リカのような資源の豊富な国ではなく知恵を使って国を

富ますしかないのに、何も勉強もせず、アルバイトをし

なくてはいけないから、国の援助が欲しいという話にただ

ただあきれてしまった。

私たちの若い頃はアルバイトをして、しかも食べるものも、

着るものも、何もかもが不足していた時代でも、それでも

私たちはそんな理由で勉強しないことはなかったと思って

いる。

現在の若者が全部勉強していないとは言わないが、もう少

し勉強してもいいのではなかろうか?

最近は電車の中で本やノートを拡げて勉強している人の姿

がぐっと少なくなったような気がするのは老人の僻目であ

ろうか?

戦後、私の女学校時代には、教科書さえ十分に買うことが

できず、籤引きで当たった人に渡されて、何時も籤運の

なかった私は、友達の教科書をお借りして、殆どの教科書

を写していた。 今、思っても数学や科学の教科書を写し

たところで何の勉強になるのか。 英語とか国語なら多少は

勉強になるかとも思えるが、本当に時間の無駄でしかなかった

のが悔しいのである。

私たちからしてみれば十分環境が整っているのに勉強しないで

いる人があるとすれば愚か者であるといわれても仕方がないの

ではなかろうか?

渇!


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松下政経塾

2012-04-16 12:14:02 | 教育
一体、松下幸之助さんはどういう人々を政治家にした

かったのであろうか?

昔、私の身近のものが松下政経塾を受験したことがあった。

彼は、論文にパス、面接にパス、次は自分の得意分野の

スポーツだと張り切って出かけたが、帰ってきたときには

ぷんぷん怒っていた。

 それは、競歩で、初める前には、

 ”是は 競歩だから、必ずどちらかの足が地に付くよう

 にしていないと失格であるので、気をつけるように。”

 という、ご注意があって始まったのだそうである。

ところが、結果発表になってみると、どちらかの足を地面に

必ずつけていたものはどうしても遅くなる。 その最後の

きちんとルールを守った二人だけが失格とされたと言うこと

であった。



 そういうルールをちゃんと守るような人間では

政治家達の手練手管にごまかされてしまい使い物にならない

と言うことだったのだろうか?


今、野田首相を初め松下政経塾を出られた政治家が多くなっ

てきたが、だから、原発問題においても、今日はこれ、明日

はあれと言う風に地に足をつけていないのであろうと

思ってしまう。




世界を、地球を、日本のことを思う正義の熱い心の持ち主が

出てこなければ、政治はよくならない気がするのだが。



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両親の思い出(5)

2012-04-04 07:59:00 | 教育
多分、両親は入学の一年前から私の入学を考えて準備を

始めていたのかと思う。


その年の3月頃に出る小学一年生という雑誌の購読を

決め、その付録についてきた、アイウエオの大きな表

を,子供部屋に飾った。

当時はひらがなでなく、カタカナが最初に習う文字で

あった。

最初に親から教えられたのは自分の名前で、傘だとか、

帽子のような身の回りのものに書かれていた覚えがある。

家の近くは私より小さい子供さんばかりだったので、

御用聞きの魚屋さんなどに聞いて、花屋のイトウ 

スミちゃん、大工さんのワタリ トシコちゃんのお宅へ

訪ねていき、家に遊びに来てもらうことにしてくれた。

土・日は年上の従姉妹達や同い年の従姉妹達の家にお泊り

に行ったりきたりして、楽しく遊んでもらったいたのだが、

入学時に誰もお友達がいないのは問題だと思っていた

らしい。

ところが入学してクラス分けの発表があったら、二人とも

違うクラスになってしまったので、母は又、同じクラスの

フルサワ シゲコちゃんに声をかけてくれたのである。



入学する前の年のクリスマスのプレゼントの中には、高級な

美しいブルーの硬い表紙のノートを有隣堂で買ってきてくれ

お正月から日記を書きなさいと渡してくれたが、その中は

比較的厚手の洋紙で、銀色の原稿用紙が印刷されていた。

最初の日記

 ”イチガツ ツイタチ ハレ

 キョウハ シップヲシテ ネル。

 スコシ ノドガ イタイノデ、”と書いていた。

でも、何故か 一日目で終わっていた。(わらい)
 


それからもあまり書かれることがなく時たま、何かの時に

書いたりしていたが、その後防空壕に入れて、生き残ったが、

戦争のため引越しを何度もするうちにぼろぼろになってし

まった。

 
 (つづく)

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両親の思い出(4)

2012-03-25 06:38:01 | 教育
両親の言葉で今も心に刻んで、私の戒め

となっている言葉はたくさんある。

その中でも、

 ”己の欲するところ人に施せ。

 欲せざるところを人に施すな”

 ”右の頬を打たれたら、左の頬を出せ”

 ”他人(ひと)を妬むな。人の喜びを己

 の喜びとせよ、”

 ”他人が悲しんでいる時に、悲しんで

  あげられる人は多いが、他人が嬉しい

  時に喜んであげられる人間は少ない。

  他人の喜びを喜びとできるになれ。” 

 まだまだいろいろあるが、どれも同じよ

 うな意味を持っていたりするのだが、

 私は特に他人が喜んでいる時に喜んで

 あげられる人間になれと言う言葉が好き

 である。

 ところが、是が一番難しいのではないかと

 思う。

 


私が学校から帰ってくると、今日はどんな事

があったかとは母に聞かれるのが常であった

が、たまたまテストがあったと言うと、何点

だったかと聞かれるので、百点だったと言う

と、母は、では何人が百点だったかと聞き、

次いで○○さんは何点?

では△△さんはどうかなどと聞くのである。

私は、子供心に、自分の子が百点だったら、

それでいいではないかと、心の中で反発し、

自分が親になった暁には、絶対そんな質問は

するまいと心に誓ったものである。



子供は6歳でも大人の約60%ぐらいの知能

はあると言われているようだが、ましてや

小学生ともなれば親を批判する能力は持って

いるのだ。





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両親の思い出(3)

2012-03-24 15:13:53 | 教育
庭仕事が好きだった父は屏風ヶ浦に引越し

た後、子供たちが大きくなったら楽しめる

ようにと言って、富有柿と次郎柿を合わせ

て5本、大きな丹波栗を一本、二十世紀梨

一本に、林檎の紅玉を一本植えてくれた。




それ以前から植えられていた大きな本柚子、

竹薮とかその前に無花果とかがあったが、

それらは毎年たくさん取れて、私たちを楽し

ませてくれたが、父の植えてくれた果物は

なかなか実がならず、私が5年生になった

年に、二十世紀梨がやっと一個なった。

皆で一口づついただいたがなんとも、みず

みずしくて、おいしかったのだが、その後

父の転勤で大阪へ行くことになって、留守

宅を伯父に頼んで、他人に貸したら、戦争中

のことで、梨や林檎の木は切られて畑にされ

てしまった。

でも、柿や栗、無花果,筍は残っていて、楽し

ませてくれたので、父のお蔭か、私も実の

なる木が好きで、25年前横浜に引越して

から、いろいろの実ものを育てて楽しむよう

になったが、庭木の手入れが私のストレッチ

になっているようである。

だが、何時までできることやら、この間から

いつもなら終わっている枇杷の実の剪定を

しているのだが、中々はかどらない。

まあ、いいか!

両親の思い出(1)

2012-03-22 08:42:09 | 教育
私は長女で両親にとってはじめてのこども

であったから、本当に一生懸命育ててもら

い、私もおとなしい方の子供だったし、

あまりいたずらも喧嘩もせず、叱られた

記憶がない。

しかし、すぐ下の弟は”跡継ぎ”だと言う

ことで、父の期待は大きかったらしく、

小学校の高学年の時には、鉄兜が弟に

飛んでいったこともあった。勿論父として

はぶつけるつもりはなかったらしく、たまたま

母が留守で、私がなんとかしなければ

と部屋の戸を開けたとたんに、私の足元に

転がってきたのだから、まあ、弟が傷を

負ったと言うことはなかったのだが、

次女、三女になると、世の中も世知辛くなり

更に下の弟になると、太平洋戦争が始まっ

ていたり、戦後のどさくさの中、母も仕事に

就いたりして、あまり教育のことを良く考え

ている時間はなかったのだろうと思う。

私の良く覚えている父は毎日の通勤時に、

本を二、三冊も持って歩いていた。

”児童心理”

”こどもに聞かせるいい話365話”と言った

本が多かった。

 或る年の秋大嵐がやってきて、父は屏風ヶ浦

と上大岡の間のトンネルの電車の中で一夜を

過ごした事があったが、その時、車掌さんが

雨の中を、電車の外へ何度も出たりして

ずぶ濡れになっていたらしい。父が見かねて

自分の服を脱いで着せてあげたそうで、爾来

父の顔を見ると、その時のお礼を言われるとか、

或る時、私もその車掌さんの勤務中の社内で

父と一緒に乗っていたら、父のことを”先生”

と、呼んでいたので、家に帰ってから、父に

”あの車掌さん。お父さんのことを何で先生

と呼んでいたのかしら?”

と、聞いて見たら、

 ”多分、嵐の時にお父さんが、上着を貸し

たのだが、その時にお父さんが持っていた

本を見て、先生と勘違いをしていたようだ”と、

父はさもおかしそうに笑っていた。

(つづく)


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