思えば長い長い坂道を登ってきたものだ。
一言で41年というが、少し歩きつかれた感もある。
佐世保の私の机の上には、この1年9ヶ月でお会いさせて頂いた皆様のお名刺が整理したら2500枚ほど・・・・・。
このご縁が今から花開くぞと思っていたが、退任することになったのは正直、多少残念な思いも残る。
この1年9ヶ月長距離運転をして通ったのは何だったのか・・・・。と自問
それでも、佐世保のお客様は、職員さん達は、とても暖かく私を迎え、そして心から送り出してくれた。
退任が決まって、少しづつその情報が漏れ出してから、こっち・・・・
すでに送別を兼ねた慰労会が既に7回も・・・・。
まあ、よく呑んだものである。
何ともお客様とは有難いもの。
「お前の退職はまだ早い!」
と何度も何度も、そこかしこで云っていただいたのだから、私自身が既に結論を出したいたことで、その励まし、それはとても有難くしかし辛かった。
私の名前を冠にしたゴルフコンペも、年に数回開催していくぞ・・・と言われた。
佐世保から簡単には離さんぞという訳で、こんな名誉なことはない。
たった1年と9ヶ月で、地元地銀の強い地域で、こんなにも気心が通じるなんてと・・・・自分でも驚かされている。
信金人生が最後に花開いたのだろうか。
そんなこともあって、今思えば佐世保は第二の故郷となった気がする。
町名も道も大体頭に入ったし、永田部長の後押しもあって一生涯付き合おうという友達もたくさん出来た。
別れ際には、みなさんからたくさんの心のこもったプレゼントを沢山頂いた。
このお礼をどうして返せばいいのやら・・・・。
花やネクタイやお餞別に混じって、驚いたのは渉外担当者の皆さんからの和手拭である。
何と1年9ヶ月の間に毎月勉強会を開催していたのだが、その間の私の話をちゃんとメモしていて、その抜粋を「尾形塾格言集」として染めこんでくれていたのだ。
しかも、全員が同じものを一生涯大切に持っていくのだという。
思わず絶句して、その瞬間に泪が溢れた。
私は「塾」などと一回も云ったこともなければ、思ったこともないのに。
塾生として全員の名前も書かれていたんである。
百の理論とデータを唱えるだけでは人は動かじ。
現場を彼らと一緒に汗を流したことで、いつしか心が通じていたのだ。
佐世保七ケ店を七人のサムライと称して僚店間の連携力を高め、お客様に対するサービスの質を高めようと特別の意識改革プロジェクトを提案してきたのだが、
七人の店長達からも、そのことを絶対に忘れないという誓いの暖簾を頂いた。
妻がさっそく部屋の入り口に飾ってくれたのがこれ・・・・・。
我が家の一生の家宝となった。
七人の支店長さんたちも何とも云えない素晴らしい仲間なんである。
土曜日の朝には佐世保の女子職員の皆さんから、ラブレター付きの胡蝶蘭が届けられた。
玄関でまた泪・・・・・。
何と気配り心配りの出来た仲間なのだろう。
晴れて部外者となった私に恩返しの機会は限られるだろうが、これからも信用金庫のために、坂道を登ってきて出来た有難い人のご縁を繋げていかねばと思わされた。
主の居ないオフィスはシーンと静まり返ったままだろうが、私の坂道はまだまだ続くのである。
恩返しという頂上に向って・・・・。