41年間の長い信用金庫マンの最後の赴任地は現場であった。
専務理事という立場で、現場行きを命ぜられたときは、今更なんで現場なのだと思ったものだが、
1年10カ月、佐世保に通い続けて、往復2時間の長距離運転はちと辛かったものの、とても素晴らしい夢のような時間であったのだ。
まずは、佐世保地区7ケ店の職員の皆さんの素晴らしかったこと。
佐世保からすれば外様の私。赴任した当時は右も左も判らず、闇夜の三日月そのものであった。
コミュニケーションを徹底的に図り、早く気脈を通じさせることから始めた。
そのためには役員の机にかじりついてはいられない。
積極的にお客様を現場のみなさんと同行訪問することにした。
支店長さんとは勿論のこと、最前線の渉外担当者の皆さん全員とお客様のところを訪問した。
これが自分自身にも、とても良い経験となった。
現場で鍛えられてきたつもりであったが、長く本部の指揮官をやっていたら、いつしか観念的に現場を理解しようとしていたことに、現場に出て初めて気づかされたのである。
むろん本部でも現場スタッフとの同行訪問は重視していた。
しかも夏の、一番暑い盛りにこれをやることにしていて、一緒に汗をかくことによって、自分も信金マンとしての原点を忘れぬようにという裏の目的もあったのである。
それがセクションが替わったこともあって、いつしか机上の人と成り下がっていたんである。
佐世保という現場は、浸透度合いも低く、とても机の上では成果の上がらないところ。
打って出るしかない。
この環境が私にとってとてもよかったと思っている。
現場に通じる永田部長という一生涯の友人も助けてくれた。
若い職員の皆さんとの仕事を通じてのコミュニケーションもしっかりとやれた。
私がずっと欲しかった万年筆。退職記念のプレゼントに頂戴した。
お客様に一生涯のお取引をお願いするのが渉外担当者の仕事だと云い続けてきた成果が、この素敵な記念品に表現されていた。
信金マンとは・・・・という問いかけも浸透しつつある。
七つの店はお互いに連携してお客様にサービスの質を厚くしようという、七人の侍プロジェクトも一応の進展をみた。
その証拠の退職記念品がこれ・・・・・。
送別の宴でこれをプレゼントされた私は、その瞬間に泣きに泣いた。
佐世保に赴いて本当によかった。仕事の成績も素晴らしい成果があがる目途も立ってきた。
実に素晴らしい職員の皆さんたちであった。
さて、佐世保では辛抱強く、いろいろと信金マンを教授したつもりが、一番教えられていたのは、何を隠そうこの私。
色んな議論を重ね、若い人が意見を云い始めてくれた。
お客様とも積極的に輪を広げてくれるようになった。
佐世保に美しい人情の機微という花が咲いたのである。
この写真はharu-155さんというお方の素敵な紫陽花の写真、私だけに特別に掲載の許可を頂戴しているもの。
アメジストアジサイという名前を付けた。
まさに極上の花である。
佐世保での仕事は、こんなイメージなので、感謝を込めて佐世保の極上の諸君に、この花の写真を贈りたい。
やり残した仕事がないでもないが、覚醒の種は植えたように思う。
あとは5年後くらいに、芽が出て、花が咲き始めるかである。
その時に私の仕事の真価が問われるのだと思う。
佐世保地区の職員の皆さん、短い間ではありましたが、本当にありがとうございました。
佐世保市内のホテルから・・・・・風竿より愛をこめて