若い頃、といっても今でも充分に若いつもりだが・・・。
何かに憑かれたようによく、絶海の孤島に磯釣りにでかけたものだった。
白波が砕け散る岩場の上に一人、へばりついたようにして石鯛を狙ったものだ。
よく遠征したのが男女群島。文字通り絶海なんである。
地図で見ると、こんなとんでもない所に位置するのだ。
目印のあるのがここ、磯釣り師耽溺の聖地なのだ。
暗い夜にはビニールシートにくるまって、岩場にそのまま眠るのである。ヒューヒューと風が唸る闇夜。
そんな時に女島灯台の灯が風に揺れながら見守ってくれていて、妙に安心したものだった。
真っ暗な闇の中で、焼酎の力を借りて、しばしまどろむのであるが、そんな時にふと口をついて出てくるのが思いもかけぬ「喜びも悲しみも幾年月」の歌であった。
この歌は木下恵介監督の同名の映画主題歌
浮世とは完全に隔離された絶海の灯台で夫婦が支えあって生きていくというドラマだったように思う。
そしてその歌は、かっておよそ音楽などと言う素養のからっきしなかった親父が、酒を飲むと、一人で唸るような低い声で唄っていた歌。
低音でかすれるような声で唄っていた親父の人生バラッドが、今でも耳元に聞こえてくるんである。
♪おいら岬の灯台守は妻と二人で沖往く船の
無事を祈って灯をともす 灯をともす ♪
歌詞は4番まであるのだが、親父はこの一節を繰り返し繰り返し唄っていた。
ダミ声で低く、あくまで低くそしてゆっくりと唄うのだが、幼い私にもその歌声はどことなく哀しげで、哀愁を帯びていたような記憶がある。
父は田舎の中学教諭をしていた。理科と数学、後には技術家庭まで教えていた。
厳格で几帳面、いつも苦虫を噛み潰したような顔をして、夏になると毎日ニガウリとソーメンばかり食べていた。
わずか32歳の最愛の妻に先立たれてからは、周りの勧めもあって後妻を迎えたのだが、身内としても、けして幸せな再婚ではなかったように思える。
一人で遅い夕食をとり、日本酒を冷で3合ほども飲み干すと、風呂に入って灯台守の歌を低く「がなる」んである。
後妻は父の飲酒を極端に嫌っていて、夫婦喧嘩が絶えなかった。
そんなこともあってか、家ではあまり笑わない父であったが、外では・・・、
そして学校の生徒さん達からは、不思議と慕われていたのを知ったのは父が亡くなった随分あとであった。
父親とは居なくなってから存在感が出てくるものかも知れない。
その父もわずか54歳で他界したのであった。
もう、とうに父の齢を超えた私なのである。
白亜の灯台を見ると、親父の墓標のように思えるのはその歌のせいなのであろうか・・・・。
灯台の歌を唸りしとうちゃんの 想いは深き海の底の貝
風竿
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