薺忌に若きロケットを飛ばす夜酒は染み入る断腸の圏へ
風竿
若くして夭折した歌人笹井宏之くんに捧げた歌である。
隣町の有田にこんな素晴らしい才能が存在していて、中央歌壇からも激賞され始め、
それはロケットの如く飛び立とうとしていた矢先の死であったのだ。
そんな彼の命日1月24日はやっと寒梅が可憐な蕾をふくらます頃
寒椿や、水仙などもあるのだろうが、私は敢えて七草の一つである薺(なずな)を彼を想い偲ぶ日の花に選んだのだった。
凡庸なペンペン草は春の七草の一つ薺のことなんである。
しかしこの草、ただ者ではないのだ。
よく見ると可憐な実に可愛い花をつける。
そこで、不世出の若き文人に相応しく、私一人で「薺忌(なずなき)」と勝手に決め込んで、彼の冥福を祈っているのである。
笹井宏之君が生きておればどんなに素晴らしい短歌を詠んでいてくれただろうか
どんなに素晴らしい音楽を発表してくれただろうかと
今でも悔やまれてならない。
ご両親も勿論優れた芸術家なのだが、子としても生きてさえいてくれたらとの想いはお強いことと拝察する。
ただ亡羊と年齢だけを重ねてきたに過ぎない、こんな老いぼれなどは生きていても何の役にも立たぬのに
素晴らしい才能は夭折するのである。
そこには測ろうにも計れない命の無情がある。
年末の三連休を忙しく過ごした私が、ヨレヨレのパソコンの前に座ってふと想ったこと。
それは、言葉に無限の広がりを見せる笹井君の短い生涯と、私の今のささやかな人生が、クリスマスの喧騒に沸く、街のキラメキの中で交差する時でもあった。
今年も彼の命日に静かに酒を呑もうと想う。
もちろん「ひとさらい」という彼の遺した歌集を肴にである。
いつもより遠心力の強い日にかるくゆるめたままの涙腺
フロアには朝が来ていて丁寧にお辞儀をしたらもうそれっきり
笹井宏之
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