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米喰う人々であるわが日本人
陸稲(熱帯ジャポニカ)による稲作は縄文時代からとされ、遅くとも3000年前から日本人は米を食べていたらしい。
現在の水稲(温帯ジャポニカ)はやはり弥生時代からとされ、約2500年も前から、この水田の風景が広がっていたんである。
弥生時代から田植えに親しんでいるのだから、
もはや私達の脳細胞には、前世を含めて、
この景色こそが、気持ちが湧き立ち、最も落ち着き、
心の和む原風景としてプログラミングされているのだ。
さて、3000年といえば武雄に伝わる三本の大楠の樹齢がそうである。
ということは武雄三樹物語の大楠たちは、人々が陸稲を食べていた頃に芽を出したのだろうか・・・・。
原発もエアコンも無かった時代・・・夜は早く眠った時代
武雄市の教育長さんに聞いてみようか?
博学な樋渡市長さんなら知ってるだろうか・・・・?
JAの永尾常務さんないば・・・・?
???誰に聞いても尋ねても解らない。
そがん昔のこたぁ知らんばい・・・・。
やっぱい、御船山に聞いてみらんばなたぁ・・・・。
愛すべき水田の風景、川が流れて、豊饒な大地を見護る山があって
これが正しく日本の復興のお手本の原風景ではなかろうか・・・・。
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