親友が急逝した朝、そのままボーッとしてベランダに出た。
朝の冷気が頬を打った。
不思議なことに涙は出ないのだが、はらわたが完全に抉れている。
遠くの山の稜線を黙って眺める。
この写真を撮ったのは午前5時30分
今からわずか一時間ほど前に、かけがえのない友人、孝は天に召されたんである。
漆黒の闇をくぐり抜けて、今日もまた朝日が昇ろうとしているのに、
何事も無かったかのように、家々では朝餉の支度がすすんでいるというのに、
もう孝はこの世にいないのである。
1954年8月4日生まれで、ついこの間55歳になった彼は、人一倍大きな体で、人一倍大食漢であったが、人一倍気配りをする心根の優しい男であった。
しかし56年目の孝の朝はもう永遠に訪れることはないのである。
ゴルフが大好きだった孝は、いつもその季節を肌で感じながらプレーしていた。
美しい花が咲いておれば花を愛でて、春には私が採って来た少しばかりのダラの芽を喜んでテンプラにして食べていたものだ。
今年のダラの芽を食べさせたとき、ふと「来年も食えるのかなあ・・・。」と洩らした彼。
今私の家の玄関先には植えて10年になる、秋のハーブが満開、この花も来年見られないとしたら一体どうであろうか・・・・。
諸行無常の人生、常ならず。明日のことすら判らないのだ。
当たり前のように訪れる朝を、当たり前のように迎える
こんな当たり前のことがいかに幸せなことなのかを、孝の死が私に啓示してくれた。
我が家の裏手の湖を渡る風が冷たい今日の朝は、湯気を立てながら朝がしずかに降臨してくるという、まるで初冬のような凛とした張り詰めた朝であった。
孝の旅立ちの朝には実に相応しいではないか。
空はあっけら閑とした秋の青空である。
まるで、孝のいない朝であることを、私に悟らせようとするかのように・・・・。ピーンと研ぎ澄まされていた。
心友であり、わが弟であり、ゴルフのライバルでもあった、心優しき男、孝のご冥福を祈るばかりである。
「そのうち俺も行きますから、パターの練習をしながら待っていてね・・・。」
既に主を失っている孝の携帯に、いつものようにメールを打った。