加藤和彦が死んでしまった。重たい痛みが訪れた。
中学生の頃、深夜番組で聴いた「帰ってきたヨッパライ」で日本中が「おらは死んじまっただー」に大ブレイクしたのだった。
不真面目なフォークグループと思いきや、「イムジン河」などの当時としてはとても問題作を発表したりした。それが政治問題で発売禁止となり、それに抗議する意味から反骨精神旺盛な加藤和彦が代ってリリースしたのが、よく似たメロディラインの「悲しくてやりきれない」であった。当時の彼は、「この曲はイムジン河のメロディを反対にして出来た・・・。」などとうそぶいたものだ。
加藤和彦の作る音楽は6の音が使われる特徴があり、当時朝鮮音階と呼ばれたものだ。
とても奇抜で美しいメロディラインは確実に日本の音楽シーンに影響を与えたものでしたね。
悲しくてやりきれない 加藤和彦 坂崎幸之助
ソロになってからは「スーパーガス」という 、当時とても画期的なLPを発表、長く僕の愛聴盤であった。
「ネズミチューチュー、ねこニャンニャン」という曲も大好きでありましたね。そして常に時代をリードしてきた音楽家でした。
「家を作るなら」という曲はナショナル住宅のCMだったか・・・
「どこまでも行こう 道は遠くても・・・車はガソリンで動くのです」ってのもありましたね。
まだ無名だった新生チューリップのコンサートにゲスト出演したこともあったような・・・。渡辺通りの電気ビルホールで・・・・。
ギターがとても上手かった強烈な印象がある。
当時は愛用のギター、ハミングバードで「僕のベッドへおいでよ」という曲を歌っていた。
独特の震えるような優しい声が印象的だった。
ベビーフェイスの優しいスマイルと、どこかはにかんだような表情、本来は仏師となる筈だったお方だという。
そしてこの方も「ジョン」と呼ばれていたのだ。
帰ってきたヨッパライ
「おらは死んじまっただー。」じゃ、洒落にならないよ。
自殺だとか・・・・・何故に、どうして・・・。残念
色々と苦しいことがあったのでしょうね。繊細なお方だったから。
しかし、何があろうと生きて貰いたかった。そして彼の生ギター一本での弾き語りをもっと聴きたかった。
ご冥福をお祈りします。