北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない
「水田」について。---------
今年(2024)も、奈良県北中部/京阪神へ通うサラリーマン家族(100万人)の住むベッドタウン(大規模団地)の周辺では/田植えが終わって/なみなみと水を湛えた水田に早苗が並んでいるを風景を目にする。----------
大規模団地自体は/旧来の水田を失(な)くすことなく/村落周辺の里山の耕作不適合地/即ち灌漑用水の得難い丘陵地を開削して/建設されている。----------
灌漑用溜池も旧来のままだし/そこから水田に水を導く用水路も健在である。---------
散歩の際/雨の日だと道路の側溝に雨水が集まって/勢いよく流れてくることが有る。でも普通に晴れの日なのに/道路の側溝に/音を立てて/水が流れる光景に出くわすことが有る。--------
灌漑用溜池の貯留水が堰を潜って/用水路に迸(ほとばし)り出ているのだ。-----------
水田耕作の維持運営は/自然の地形を活かして/上流端の溜池から次々に何枚もの水田を潤していく農業システムの巧みさが支えているのだ。----------
田植えのための代搔(しろか)き期/田植え直後からの水張り/そして早苗の生育期の水の補充。スタートは梅雨の時期を選んでいるのだが/其れでも足りないときは/溜池の水で補充するのだ。勿論/暑い夏の時期にも/夕立ちなどはあるものの/必ずある日照りの時期には/溜池の水は強い味方となっている。----------
明治政府が人口増加を奨励したことから/江戸期にも増して/森の木を切り開いて/丁度現在太陽光パネルが各地で見られるかのように/水田耕作地が全国に増えた。----------
溜池も当然増えて/ポンプで揚水して水をためている処も多い。それで日本は江戸期の人口最大3000万人から明治大正にかけて人口5000万人となった。