21世紀航海図;歴史は何も教えてくれない。ただ学ばない者を罰するだけ。

個人の時代だからこそ、個人を活かす「組織」が栄え、個人を伸ばす「組織」が潤う。人を活かす「組織」の時代。

インターネットの閉鎖性

2006年01月23日 11時08分38秒 | Weblog
 ネットは、世界中に開放されてる開かれた世界だ。って、みんな思ってる。ネット世界自体は開かれてる。しかし、それを使う側は常にコンピューターのウィンドウ(窓)からしかそれを除く事が出来ない。しかも最近は、覗ける窓の数が増えてきた所為で、殆どの利用者はいつも同じHPしか見ていない。(読者へ:このブログを読んでくれてありがとう)想像して欲しい、病院に寝たきりで長期入院している人が、いつもベッドのすぐ側にある窓からだけ、外の世界を見ている事を。今のネット中毒者/利用者の状態はそんな感じだ。とても彼らを「開かれた世界に生きている人」とは呼べない。
 現実は、ネット利用者が閉じこもっている世界は、病院のベットの上より状況が悪い。新聞やニュースと違いネットでは、閲覧者は彼らが求めた情報しか入手しない。スイッチを入れておけば勝手に情報を流すテレビと違い、HPはこっちから検索をかけない限り、何の情報も見つからない。つまり、欲しい情報しか手に入らないわけだ。
 インターネットをフル活用している皆さんなら、もう既にお気に入りのページを持っているだろう。そして、ネット上で知り合った顔を見た事もないチャット相手も当たり前の存在だ。(すいません、私はちょっと(かなり)時代に乗り遅れています。) そして、その友達との会話で励まされた事もあると思う。特に、学校や職場で会う仲間達に聞いてもらえなかった考えなんかをチャット仲間に同意してもらえると、結構嬉しかったする。でもちょっと考えたい。私(あなた)の考えに賛同しているのは、地球に60億人いる人類の何%なのか、直接話して理解してもらえなかった意見が本当に正しいのか。日本では既に1000万人以上がネットを使っている。世界中ではさらに多い。これは、私(あなた)と同じ勘違いをしている人も何人かはネット上にいると言う事だ。 そんなとこで、ちょっとの人(百万人を超えれば話は別だけど)に賛同を得られただけで、自分の意見に自信を持ってしまうのは避けたい。(社会で大胆に発言して[liberalism]、謙虚に行動できる[realism]人間になっておくれ) 政府が国民の自制を信じずに、ネット利用に規制をかけるのには反対だ。
 ネット社会では、結構簡単に同じ考えを持った人が1つのページに集まってしまう。アニメから盆栽までオタッキーな世界を持っているHPは山ほどある。私が心配しているのは、そんなオタッキー集団の1つが「日本連合赤軍」みたいになってしまう事だ。この危険性は、以外とアメリカ/中国政府以外は気付いていない。 彼らは、自分たちの考えに自信を持っていた。なぜなら、誰もその意見に反対する者がいなかったからだ。かといって本当に学生の中に誰も反対する者がいなかったわけでなく、彼らのほとんどがいろいろな学生会(ネット社会で言うと掲示板かな)で否定された上で、「連合赤軍」として合流したから、その中には反対者がいなかったからだ。今で言うとネットサーフィンの結果、自分に良く合う掲示板を見つけた様なもんだ。
 似た考えの持ちぬしが集まった場合、その意見はだいたい過激化する。それが、盆栽の造形美を向上させたり、数学の公式の証明をしている場合は問題にならないが、光に陰、問題もあるんじゃないかな?
 とりあえず、前回の総選挙。国民の意識が高かったのは良かったんだけど、郵政民営化を論題にしていた所、年金議論をやってた所、憲法にしか興味がない所、全部が「自分達の論点が一番重要」と考えて、相手の論議を完全に無視していた。これはやっぱり、ネット上の存在しないお化け支持者に支えられた、変な自信の所為かな。
 みんな現実を見ようよ。(はい、私も現実を見て行動できるように気をつけます。)


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