21世紀航海図;歴史は何も教えてくれない。ただ学ばない者を罰するだけ。

個人の時代だからこそ、個人を活かす「組織」が栄え、個人を伸ばす「組織」が潤う。人を活かす「組織」の時代。

経済と金融制御

2006年12月19日 15時15分17秒 | Weblog
 前回、「消費税の段階的引き上げ(年率0.5%以下)」が社会的にインフレ心理を与え、国民に更なる消費を促し、景気を刺激するのではないかと書いた。
 今回は、国債計画について語りたい。 一般論として、バブル期には政府は支出を抑え経済の過加熱を抑え、恐慌期には赤字国債を利用してまで支出を増やし経済を刺激する、と言うのがある。しかし、「国債の発行時期」については、現状の認識のままで良いのだろうか?

 恐慌期、政府が支出を増やそうと国債を発行すると、市場の資金はその購入に流れる。しかし、それが、社会から自由な資金を引き上げてしまう結果を引き起こしはしないだろうか。国債の発行・歳出の拡大が、金庫から資金を引き出し、市場に金を流すのならば、基本的政策に疑問はない。逆に、国債が自由市場からの資金の引き上げを意味し、歳出の拡大が資金の非効率的・中央統制を意味するのなら、不景気期での赤字国債の利用は国家の経済競争力を削ぎ、景気回復を遅らせる結果を引き起こすことになるだろう。
 バブル期、税収が上昇する際、歳出を減らし国債の回収・早期返済に当てるとすれば、ただでさえ資金が余っている市場に、更なる金が流れ込むことになる。国債の形をした資金は現金に比べ流動率が低い。市場にある資金の多くが国債であれば、現金である場合に比べ、経済が過加熱しにくいはずだ。逆に、好景気期には国債を発行し市場から資金を吸収するぐらいの政策も必要なのではないだろうか? そして、恐慌期に政府は現金をもっと市場に供給するべきだ。
 結果として、好況期に「歳出の抑制」「国債の発行」を通じて市場から資金を吸収し、その資金を眠らせ、不況期に「歳出の拡大」「国債の返済」を通じて市場に資金を供給する政策が、面白くなってくるかもしれない。

かつて、皇帝・国王・貴族を通じて全てを所有・運営していた政府は、第一次世界大戦・世界恐慌前に「夜警国家主義」に従い守備範囲を縮小し、世界恐慌・第二次大戦後に「福祉国家主義」に転向して拡大した後、民営化・世界市場主義を通じて、「小さな政府」と呼ばれるモノへと変化していっている。しかし、この「小さな政府」への流れも後30年を経たないうちに逆行し始めるだろう。しかし、「福祉国家」は「帝国」ほど国民の生活を管理はしなかったし、「小さな政府」は「夜警国家」ほど監理範囲が狭い訳ではない。
 多分、2030年代、新しい体力のある方の「国家形態」では、福祉国家ほどの守備範囲を持たないと思う。税制や現金・国債流通量の調整、金利政策に金融法の監理が主な新国家形態での主な経済運営政策の論点になって行くと思う。