21世紀航海図;歴史は何も教えてくれない。ただ学ばない者を罰するだけ。

個人の時代だからこそ、個人を活かす「組織」が栄え、個人を伸ばす「組織」が潤う。人を活かす「組織」の時代。

食糧援助に必要な、

2006年04月27日 15時09分33秒 | Weblog
 飢饉/旱魃に襲われた国への食糧援助では時に、援助費用の7割が食糧の輸送に使われたりする。これはちょっとおかしい。現実的に考えて、輸送費は9割を上回るべきだ。
 特に先進国では、異常気象による食糧難を回避する為、毎年余分に生産し、一部を貯蔵に回したり、小売価格の下落を抑えるために捨てたりしている。日本政府が減反政策(米の生産量を減らす)のためにお金を払っていることや、余分な農産物を処理するために業者に金を払っていることを考えてもらえれば良い。日本では毎年米を生産し過ぎて、備蓄にされている古米の処理が問題になっている。それが世界中の先進国で起きていることだ。「食糧は世界中で有り余っている。」
 農業団体は国内市場の混乱を嫌う。過剰生産された農産物が、先進国の市場に流れることはあり得ない。しかし、「活動している」援助団体なら、その過剰農産物を無料(もしくは処理費をもらって)で、餓鬼に瀕している人々の為に仕入れることが出来るはずだ。 当然、食糧の仕入れ価格が0出費以下になれば、援助費用の10割以上を輸送費(もしくは人件費)として使えるようになる。

 と言っても、餓死している人に「食糧の無料援助」はするべきではない。何と言っても、現地の農産業を破壊する。考えて欲しい。日頃から対策を立てている現地農家は、飢饉が起きた時も定量の収穫を維持し、収入を期待できる。特に、他の農家が販売できない時に、売り出せるのは彼らの努力に叶う大きな見返りだ。しかし、援助団体がそこで「無料食糧」をバラまけば、彼らの苦労は無駄になる。特にそれが毎年起きているようなら、彼らも「いくら努力して飢饉時に収穫を得ても、援助食(無料)より高く売ることが出来ない」ことを悟ってしまう。 更に言ってしまえば、「自分達で食糧を生産しなくても、誰かが届けてくれる」状況を作り出すことになる。それがエチオピアの現状かもしれない。毎年飢饉が起きて多くが死んでいると言うのに、人口は増加し続けている。それも国土の収穫能力に合わないほどに。

 と言っても、別に「食糧支援を全て打ち切って、余剰人口を全て餓死させろ」と言うわけじゃない。。。。。。。。支援食を受け取る人全てに何らかの労働(ピラミッドの建設、灌漑設備/道路とかインフラ整備)を課せば良いのである。言わずもなが、日本の食糧自給率は2割を切っている。それでも、餓死者が殆どでないのは食糧を輸入する資金を支える産業があるからだ。 現地にもその国の人口に見合う産業を立ち上げるべきだ。

 {/kaeru_エジプトの歴史は面白い。