Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

心に巣喰うイマジネーション

2010-09-03 | トランスパーソナル


誰もが心の中に、
自分独特のイマジネーションを持っている

そのイマジネーションは、
本人の心に、べっとりとくっついていて、

ことあるごとに、繰り返し、再生されて、あたかも本人の<リアリティ>となり、
その人は、それに圧倒され、支配され、逃れられない関係に陥る。

まるで、依存症患者が薬物に依存するような状態

そして、そのイマジネーションは、本人の夢の実現を阻害する











錬金術セミナーで教わった、この<人の心に巣喰う虫>の実態は、

とっても生々しくって、

思い当たることが、いろいろと、あったんだ










たとえばね、

私には、
「私が無邪気にしていると、威厳のある人の逆鱗に触れて、銃殺寸前の恐怖を味わう」
ってイマジネーションがある

聞いていると、「なんじゃそりゃ?」って、思うかもだけど、

でも、私には、超リアルに、その光景が思い浮かぶし、
実際、それに似た経験を、何度も何度もしているんだ

銃殺されずに生かされるんだけど、
消え入りたいまでの絶望感で、ものすごい落ち込むの

あぁ、やっぱり、私は無邪気になんか、してはいけなかったんだって思う

心のままに表現することは、ものすごい罪なことに思える・・












さて、まず、

自分がどんなイマジネーションを持っているか、
気づくことが最初のステップだよ

たいていの場合は、意識的でいないと、それがイマジネーションだと気づかないし、
あたかも、当然のリアリティのように思えるから



「では、そんな寄生虫を、どうしたらいいか?」

錬金術師が言うのには、3つの方法があるらしい


ひとつは、
その依存関係よりも、もっと、強力な依存関係を他に持ってしまうこと
たとえば、宇宙との一体感を味わうような、スピリチュアルな至高体験とか・・

そうすれば、
前のイマジネーションでの癒着が、切り離されるって言うんだ

でも、未熟な人格のうちに、宇宙との一体感を味わってしまうと、
スピリチュアル・エマージェンシーに陥っちゃうという危険がある



ふたつめは、
その依存関係を、父性の力で破壊すること
これは、難解なんだけど、
「仏様の足でぶっつぶす」って比喩を使っていたっけ



そして最後は、
このふたつの両極端な方法の間にある、
共通の体験をする人々と思いを分かち合うとか、
さまざまな見方を学んでいくとか、そんな地道な方法











私の場合、

銃を向けてきたその恐怖の対象に、
ある機会に、勇気を持って、微笑んで話しかけてみたんだ

私の微笑みに、なんと、彼も、微笑み返してくれて、
談笑することができたって言ったら、驚くかな?














感じているのはね、

私のイマジネーションの中の彼は、
心のままに表現することを否定・抑圧していたんじゃなくて、

私に、<洗練>を示唆してくれていたんだっていうこと


<無邪気>も、もちろん、ステキなことだけど、

時と場合によっては、原石のままじゃなくて、
カットして、研磨して、手をかけたダイヤモンドが、人の心を打つ美しさを備えるんだ


一手間も二手間もかけて、
状況や相手を大事にして表現することが、必要だよっていう、

愛の行為だったんだって思うの

少なくとも、そうとらえることが、私にとって、役に立つから、
幻想でも、何でもいい、そう考えることを選んだよ











錬金術師は、
イマジネーションは、夢の実現を阻んでいるって言ったけど、

阻まれて苦しいときは、確かに、そう思えるんだけどさ、

それを乗り越えたときには、自分の真実をしっかりつかめるよね



宇宙は、そんなふうに、問題をわざわざ用意して、
エクササイズをさせることで、私たちに実力をつけさせる

私たちは、生まれるとき、
問題と解決能力を必ずセットで持たされているから、

必ず、解決できるように、なっているらしいよ



さて、あなたのイマジネーションのパターンは、どんなかな











               スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」

                            











愛に生きるんだもん。

2010-09-02 | フォルテネージュ

人は皆、人から愛されたいって思っているよね
愛なんて、いらないって言う人、いるかなあ

たとえ、そういう人がいても、愛を受け取らないのは、絶対、不可能だよね。

だってさ、

「私は、愛なんて、要りません。」って言っているAさんに、
Bさんが愛を与えなかったとして、
BさんはAさんの言葉を尊重していることになるから、

それって、りっぱな、愛ではないかしら・・・ 
<パラドックス愛>って、ヤツ・・・

そのうちに、
愛なんか要らないって言ってたAさんも、ずっとそのままじゃ、いられなくなる

そう、
人は変わるものだよね











<嫌い>という感情と、愛は、両立できないのかなあ

嫌いな人を愛するってことは、不可能なの?

じゃあ、愛に生きようとすると、
誰でも彼でも好きにならなきゃいけないってことになるけど、そうなのかな??



たとえ、
嫌いだと感じる人にでも、愛を送ることはできるよね

その人の存在を思う一瞬の優しさがあれば、
あとの多くの瞬間、憎悪にかられていたとしても、

「うーーー、ま、彼も、ありかな・・」みたいなところで、愛は成立するんだよ

自分にだけは必ず分かるその感覚。
嫌いな人に、一瞬でいいから、柔らかなまなざしを送れるかどうか











愛に生きる人はね、

相手が、失敗しても、ぶざまでも、迷ってても、弱くても、ずるくても、
何度も、何度も、何度も、許してあげて、
チャンスをあげ続けるんだって

ずっと、見ててあげるの

そうだよね、それが、人を愛でるってことだなあって思うよ
その人が、その人であることを、鑑賞するって感じがするの。

自分と同じ考え方でなくても、
自分の忠告を聞かなくても、
自分とはまったく違ったことを選択しても、
自分としては、「それは絶対、間違ってるよ!!!」って叫びたくっても、

相手の選択を、そのまま大事にして、見ててあげることって、
おおらかで深いことだよね













「こっちにしよう!」って手を取って連れて行くことだって、するよ

それは、その人が同意したらね。

どこまで、誘いをかけるかは、微妙な判断かも知れないけどさ

その人が、信念を持って、違う方向へ行こうとしてるなら、
それを力ずくで変えても、その人の課題が持ち越しになるだけだものね











閉じている人、
嫌いな人、
自分と違う人、

こういう人たちが、私の<愛に生きる姿勢>を強くしてくれるんだよね、きっと













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おっぱいで新幹線は速くなる!

2010-09-01 | フォルテネージュ
夏に、夫の住む某地方都市に行って、
広大な緑の中の国道を、ドライブしていたときに、思ったんだ

今、ほんの数分で走ってきた、この距離に、
渋谷から我が家まで、すっぽり収まるんだなあって・・

距離にして約4km

車でスイスイと走ってくると、あっという間なのに、
混雑した電車で揺られたり、渋滞の246を排気ガスの中、進むのは、

全然違う、距離と時間の体験だなあって・・









主観的距離と、客観的距離のズレだよね。


ある心理学雑誌の対談で、
伊集院光がこんなことを言っていた

「たとえば、新幹線を時速600kmにするよりは、東京から名古屋に行く2時間、お姉ちゃんの乳に触らせてくれたほうがいいんじゃないか。絶対にそのほうが、「俺の時間」は圧倒的に短いと思う。『おい、新幹線、もっとゆっくり走れよ。』と思うんじゃないか、このほうが安全。」(『心理臨床の広場」vol.3 No1 2010)


そうそう、それそれ!

はは(笑)
女性客には別メニューが必要かもだけどさ・・








 

物理的に、速度、時間、距離を変えなくても、
主観を利用すれば、人の体感は変わるよね


私は、
公務員をしていた頃、9年間、片道1時間半の通勤をしていたけど、

本はたくさん読めたし、
瞑想もやっちゃったり、
メールを打ちまくったり、
心理エクササイズやったり・・   結構、なくてはならない時間だったよ

毎日3時間の自己レッスンで、
しっかり、私に、スピ系路線が根づいてくれました











要は、充実感なんだ

サクサク進み続けることが大切な人は、
エスカレーターを歩くし、乗り換えに便利な車両を調べて、そこに乗る

そんな人のストレス解消方法としては、散歩がいいよ
自分のペースで、自分の思ったとおりに進めることは、
ものすごく快適で充実したことだから










「時間を無駄に過ごしている」とか、
「やりたいことができない。思うように進まない。」って考えが、
人を焦らせたり、いらだたせたり、無気力にさせる

だから、「考え」を変えるだけでいい

おっぱい触るのも、ただ歩くのも、
それで直接、社会貢献できるわけじゃないけど、
人が力を発揮するために、必要な循環経路を、クリーニングしてくれるんだと思う

カラダの一次欲求でも、知的好奇心の充足でも、単純な爽快感でも、
ホントに体感が充実できれば、その経験がエネルギー源になるんだよ










だからさ、

うまくいかない自分の現状を思いっきり嘆いたあとは、
<うひゃうひゃ>でも、<サクサク>でも、<まったり>でも、
どうしたら、体感を充実させられるかに焦点を絞っていくと、

客観的な時間や空間は超えられる


もしかしたら、
遠距離恋愛のせつなさだって、なくなっちゃうかもしれないよ












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