誰もが心の中に、
自分独特のイマジネーションを持っている
そのイマジネーションは、
本人の心に、べっとりとくっついていて、
ことあるごとに、繰り返し、再生されて、あたかも本人の<リアリティ>となり、
その人は、それに圧倒され、支配され、逃れられない関係に陥る。
まるで、依存症患者が薬物に依存するような状態
そして、そのイマジネーションは、本人の夢の実現を阻害する
錬金術セミナーで教わった、この<人の心に巣喰う虫>の実態は、
とっても生々しくって、
思い当たることが、いろいろと、あったんだ
たとえばね、
私には、
「私が無邪気にしていると、威厳のある人の逆鱗に触れて、銃殺寸前の恐怖を味わう」
ってイマジネーションがある
聞いていると、「なんじゃそりゃ?」って、思うかもだけど、
でも、私には、超リアルに、その光景が思い浮かぶし、
実際、それに似た経験を、何度も何度もしているんだ
銃殺されずに生かされるんだけど、
消え入りたいまでの絶望感で、ものすごい落ち込むの
あぁ、やっぱり、私は無邪気になんか、してはいけなかったんだって思う
心のままに表現することは、ものすごい罪なことに思える・・
さて、まず、
自分がどんなイマジネーションを持っているか、
気づくことが最初のステップだよ
たいていの場合は、意識的でいないと、それがイマジネーションだと気づかないし、
あたかも、当然のリアリティのように思えるから
「では、そんな寄生虫を、どうしたらいいか?」
錬金術師が言うのには、3つの方法があるらしい
ひとつは、
その依存関係よりも、もっと、強力な依存関係を他に持ってしまうこと
たとえば、宇宙との一体感を味わうような、スピリチュアルな至高体験とか・・
そうすれば、
前のイマジネーションでの癒着が、切り離されるって言うんだ
でも、未熟な人格のうちに、宇宙との一体感を味わってしまうと、
スピリチュアル・エマージェンシーに陥っちゃうという危険がある
ふたつめは、
その依存関係を、父性の力で破壊すること
これは、難解なんだけど、
「仏様の足でぶっつぶす」って比喩を使っていたっけ
そして最後は、
このふたつの両極端な方法の間にある、
共通の体験をする人々と思いを分かち合うとか、
さまざまな見方を学んでいくとか、そんな地道な方法
私の場合、
銃を向けてきたその恐怖の対象に、
ある機会に、勇気を持って、微笑んで話しかけてみたんだ
私の微笑みに、なんと、彼も、微笑み返してくれて、
談笑することができたって言ったら、驚くかな?
感じているのはね、
私のイマジネーションの中の彼は、
心のままに表現することを否定・抑圧していたんじゃなくて、
私に、<洗練>を示唆してくれていたんだっていうこと
<無邪気>も、もちろん、ステキなことだけど、
時と場合によっては、原石のままじゃなくて、
カットして、研磨して、手をかけたダイヤモンドが、人の心を打つ美しさを備えるんだ
一手間も二手間もかけて、
状況や相手を大事にして表現することが、必要だよっていう、
愛の行為だったんだって思うの
少なくとも、そうとらえることが、私にとって、役に立つから、
幻想でも、何でもいい、そう考えることを選んだよ
錬金術師は、
イマジネーションは、夢の実現を阻んでいるって言ったけど、
阻まれて苦しいときは、確かに、そう思えるんだけどさ、
それを乗り越えたときには、自分の真実をしっかりつかめるよね
宇宙は、そんなふうに、問題をわざわざ用意して、
エクササイズをさせることで、私たちに実力をつけさせる
私たちは、生まれるとき、
問題と解決能力を必ずセットで持たされているから、
必ず、解決できるように、なっているらしいよ
さて、あなたのイマジネーションのパターンは、どんなかな
スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」