最初は何の疑いもなく肯定して、
そして、
「待てよ・・それって、ほんとにそうか?」って、否定して、
さらに、またまた、
「やっぱり、そうだ!」って、肯定する
こんな、振り子運動が、結構、大事だったりすることってある
たとえば、
自分を抑えて、周囲に合わせて生きてきた人は、
特に子どもの頃に、そういう選択がベストだと思ったから、
自ら、選んで、そうしてきたわけで、
それが、ある程度、おとなになると、
どうしても、自分を抑えられなくなり、
周囲のことより、自分を発散させることを経験していって、
今までと違う生き方を進めていって、
でも、たぶん、
そればかりをしていることで、
何らかのひっかかりを感じるようになってくると、
再び、周囲に目を向け始めるんだ
ただし、
こんどは、以前のまなざしとは、ちょっと、質が違っていると思うよ
より、自分と周囲を調和させるような方向に自然と向かう智恵を備えて、戻ってくるんだ
これが、
肯定して、否定して、また肯定するって、ブーメラン道
最初持っていたものを、一度捨てて、また拾う
一度、捨てることでもって、その真の価値を見直して、また手にしてみる
執着もそうだよね
執着は良くないことだと言われるものだから、執着しないように頑張って、
でも、
あるとき、とことん、執着したら、
やっぱり、執着は、長続きせずに、去っていってしまう
「執着しないように頑張っていた自分」も、
「とことん、執着していた自分」も、
ものすごく、愛おしくなってきたりするから、
執着も、嫌われてるわりには、人生に深みをもたらすマストアイテムだと思わない?
だから、あなたが、もし、
また、同じところに戻ってきた錯覚に陥っても、
それは、きっと、同じところではないよ
初志貫徹してないことを嘆いたり、
節操がないって、自分を責めなくていいんだ
60歳になったら、人間、赤子に戻ってを着るでしょ?
人生最初の頃に、再び、戻る
でも、それは、最初に経験した状態とは、位相が違った、進化したベビーだよ
そうやって、
天国の門をくぐることを、許されるんだからさ