現在は綺麗になった、大阪の地下街。1980年代初頭までは、ここはもっとごった返していました。逆に言えば活気があったのかも知れません。
忘れられないのは、いつもそこには乞食が座っていたこと。昭和56年(1981年)の2月には間違いなく、そういう光景が存在していました。
乞食って本当に儲かるのか?ということが現場のバイト仲間と昼食時に話題になり、誰か1人1日座ってみようということになり、僕がじゃんけんで負けたので座ることになったのです!汚い服を用意し、ドブの水で臭いをつけ・・。
僕はこの写真の場所、地下街の阪神百貨店前に座りました。
この時のバイト仲間で忘れられないのが、茨木・春日丘高校を甲子園に出場させた「かいまいさん」と僕らが呼んでいた神前俊彦監督。彼と一緒にバイトしたのは70年代の数年間だったけど、甲子園に出た時は応援に行きました。
乞食は1日やると止められないと言いますが、「誰に断ってここに座ってるんや!」と、ヤクザが何度も来ます。本職?の乞食も何度も「向こうへ行け」と言いに来ます。彼らは北新地の残飯を食っているので、結構体力がありました。(笑)
その度に「助けて下さい・・・」とボソボソ小声で、通行人に助けを求める。通行人は知らん顔をしますが、それで嫌がらせは止まります。時々見回りに来る警官は、何も言いません。最初に「見ない顔やな。」と職務質問をされますが、そこは黙秘。「すみません・・・お金がないんです・・」とだけ言います。
そうやって黙って座り続けました。僕を見て、「言うことを聞かないと、あんな風になるんですよ」と子供に言う親が結構いました。(笑)「見て!若いのに~」と言うだけでお金はくれない、ワンレン・ボディコンも大勢いました。腹が立つけど、乞食ですので下を向きます。
お腹が空いた時、菓子パンと缶コーヒーを買いに、この辺りの露店に行っても、おばさんに「あっちに行って」と言われます。売ってもらえません。2月にこんな所に座るのは・・・寒い!
そこで、この近くにあったマクドに行く。当然店頭の女の子は後ろに下がり、マネージャーが向こうに行けと言うので「金はある。売らないと、売るまでここに座るぞ」と言い返しました。「金はいらんから向こうに行ってくれ!」と、20分を過ぎたら捨てるバーガーを3個とコーヒーを渡された時は、ちょっと惨めな気分になりました。(笑)
プライド持っていたら、乞食は出来ない!
結果はその1982年2月某日の1日で、何と24,000円也!(細かい数字は覚えていません)ウエイターのバイト代が時給500円の時代。現場のバイトでも日給1万です。どれだけ凄い金額か!それで、他の連中も僕の成果を聞き、座わりました。ところがヤクザに殴られたやつ、座ったけど6,000円くらいにしかならなかったやつと、散々な目に遭いました。