青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

梅田劇場 ~東京五輪は常に揉める!

2023-04-28 | 昭和の映画館

写真は懐かしい大阪・梅田の「梅田劇場」。昭和40年5月の写真です。「梅田地下劇場」の看板も見えます。ここは現在のヘップ・ナビオの場所で、70年代後期までここには、梅田劇場・梅田スカラ座・梅田地下劇場・北野劇場・北野シネマがありました。

この市川崑監督のドキュメンタリー映画「東京オリンピック」は、多くの観客を動員。公開前は五輪映画に懐疑的な声もあったが、「なんだオリンピックだなんて」と思っていた人が「いいもんだなあ、やって良かったなあ」と思い直した人が随分いて、その人たちが映画に少し期待し始め、封切り当時はどの映画館にも入場者の列が出来ました。試写を見たオリンピック担当大臣の河野一郎の批判的なコメントから、「芸術か記録か」という大論争が起こった映画でもある。天皇陛下出席の天覧試写も行われましたので、ついこの間の2度目の東京オリンピックとは、大会自身も映画も、社会を取り巻く状況が全く違ったことが分かります。

この作品にエピソードは山ほどありますが、日本国内で12億2321万円の配給収入を記録(配収12億円は1972年公開の「ゴッドファーザー」に抜かれるまで日本記録)。映画館の他にも日本各地の学校や公民館で上映会が開かれたことから、その観客動員数は一般観客750万人、学校動員1600万人の合計2350万人で、事実上日本映画史上最多であるといわれていることが、当時の世相を最も表していると思います。

それに比べ、映画「東京2020オリンピック」の方は、アスリートを中心に描く「SIDE:A」と、非アスリートを中心に描く「SIDE:B」の2本が撮られましたが、興行成績は無残な結果に終わりました。あれだけ「こけた」映画には、なかなかお目に掛かれません。コロナ禍のせいではなく、スタジアムの設計、ロゴの不正とスタートからケチが付き、コロナ禍やバッハ会長等、最後までケチが付き続けた東京オリンピックを、わざわざもう1度観たいと思う人がいないのも当然かも知れません。

 



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