青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

日本にも大勢いた水上生活者 ~香港

2021-09-13 | 地球を歩く
香港~僕が行った当時は、まだ中国へ返還前でした。「中国なら行かないけれど、イギリス領だから行く」と、仕方なく出掛けたことを覚えています。
 
 
映画「慕情」の舞台となったビクトリアピークからの夜景は覚えていますが、それよりも覚えているのは、ブルース・リーの「燃えよドラゴン」にも写っている「蛋民(たんみん)」と呼ばれる水上生活者です。
 
僕が子供の時には日本にも水上生活者はいて、この目で見ました。昭和30年代には東京湾に水上生活者が1万人。全国では10万人もいました。水上生活者というのは、船の上で生活している人のことです。船が家なので、水道・ガスは無い。(電気だけは引く人もいた。)河川法で禁じられているので、艀の中にはトイレが無く、用を足す時は直接・・ということになるので、異臭の元となっていました。そんな生活をなぜ大勢がしているかと思う人もいるでしょうが、家賃ゼロと聞けば、なるほどと思う方もいると思います。
 
全寮制の水上学校もあったし、水上警察というものも50年ほど前の日本にはあったのです。
 
 
高層ビルが立ち並ぶ、世界でも屈指の大都市に、超貧民が船上で暮らしている。現在は埋め立てや政策で、香港に蛋民はいないと聞きますが、僕はその最後を見ました。綺麗な景色を見て、非日常を楽しむどころか、日本から消えた超貧民の景色を見て、一発で観光気分が失せたことを覚えています。
 
この時から、アジアの国はどこに行っても「水」で嫌な思いをしました。その走りが香港でした。まともな店では英語が通じるのですが、英語を話す娼婦との値段交渉を会社の重役に頼まれたり・・普段会社で見る人間の嫌な部分を沢山1週間の間に見せつけられ、レベルが低いというか、人の抑えることが出来ない欲望というものの片りんを学びました。
 
「お金」と「性」で嫌な光景を目にしなかったことは、アジアの国々では一度としてありませんでした。なぜ日本人は、アジアの当時の貧しい国の人々に優越感(?)を持てたのか?一方では白人に対してペコペコと丁寧な対応をする。僕は当時、不思議で仕方がありませんでした。


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