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三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

カトリック習志野教会

2011年07月05日 | 千葉のカトリック教会
カトリック習志野教会(教会堂名:復活のキリスト)
創立:2000年 ◇ 住所:千葉県千葉市花見川区長作町1385-2

京成本線の実籾(みもみ)駅で降りる。 かつて、この辺りは「習志野原」と呼ばれ、旧陸軍の広大な演習場があった。その周辺は騎兵連隊、鉄道連隊などの軍事施設も多く、戦前の習志野原は「軍郷」だったと言える。「一望千里」と謳われた習志野原には、「演習に訪れる各陸軍部隊や、軍事教練にやって来る首都圏の学生の宿舎として使われた木造兵舎が立ち並んでいた」。実籾街道を北へ歩き、三叉路を右に曲がると、この木造兵舎の跡地が見えてくる。

その粗末な木造兵舎の集まりを、土地の人々は「実籾のバラック」と呼んでいた。戦後、それらは解体されて、現在は小・中学校の校舎や市営住宅などが建っている。第一次大戦時、青島(チンタオ)の戦い(日独戦争)で敗れたドイツ兵捕虜を収容する建物が、この習志野原に開設された。それは、習志野教会前の道路の西側一帯に広がり、収容所棟や運動場などの施設があった。捕虜たちはオーケストラを結成し、円舞曲「美しく青きドナウ」などを演奏したという。

習志野教会を巡礼する前に、私はドイツ兵の捕虜収容所跡を訪ねてみた。すっかり市街地化されているが、唯一の遺構である「将校用厨房」の建物があった。戦後は個人宅に転用されたが、当時はジャガイモ中心のドイツ料理が作られていたのだろう。将校用バラックがあった辺りは市営住宅となっているが、公園内の一角に捕虜収容所跡を示す記念碑がある。習志野教会に到着。聖堂内で遠い歴史に思いを巡らせた。ここ「習志野原」は、私の故郷でもある。


現聖堂献堂:2000年
<この教会は、1968年創立の船橋教会の歴史を継承している>


聖堂内のサント・ニーニョ(聖なる幼きイエス)像

◆主な参考文献など:
・「佐倉の軍隊」 国立歴史民俗博物館友の会「軍隊と地域」学習会編(歴史民俗博物館振興会・2006年)
・「展示品図録・ドイツ兵士の見たNARASHINO」 習志野市教育委員会編(習志野市教育委員会・1999年)
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