【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「太陽」:晴海埠頭バス停付近の会話

2006-09-23 | ★都05系統(晴海埠頭~東京駅)

「晴海」という名前にしちゃあ、全然晴れてないなあ。
どんよりと曇った空。全然太陽も見えなくてね。
「太陽」っていう映画も題名とうらはらに、どんよりと曇った映画だったなあ。
終戦前後の天皇を描いたロシア映画。ロシア映画らしい、思索する映画ね。
お前が連想したのは、タルコフスキーの「ストーカー」とか一連の旧ソビエト映画のことだろ。
そう。映画で思索するから、見ているほうは疲れるの。
日本人を使って日本の映画を撮ってもやっぱりロシア映画になってるのはさすがだと思ったよ。
かといって、日本人が観ても違和感ないしね。
天皇役のイッセー尾形なんて、文字通りイッセー一代の名演だしな。
ものまね大賞とアカデミー主演男優賞の境目みたいな綱渡り演技よね。
それより、俺はふと思ったんだけど、天皇は東京にいて、焼夷弾が落ちてくるところをその目で見たのだろうか、それともずっと皇居にいて実際には焼夷弾が落ちてくるところは目の当たりにしていないんだろうか。
天皇の見る空襲の夢のことでしょ。ああ、天皇ならこういう夢を見るのかもしれない、って妙に納得しちゃったもんね。
おかしな例えだが、「ユナイテッド93」の機内なんて誰も見ていないのに、映画「ユナイテッド93」をとてもリアルに感じてしまったように、天皇のことなんか誰もよくわからないのに、この映画の天皇をリアルに感じちゃうところがあって、妙な気分なんだよな。
しかも、ロシア映画で。
日本映画ではなかなかできない題材だからね。
できたとしても、もっと奥歯にものがはさまったような映画になったんじゃない?
どうしても国民との関係を無視できないからな。
そう。この映画には国民がほとんど出てこないの。
そのぶん、最後のひとことの意味が重いんだけど、思い切ってそれ以外は捨象したことで、映画としては人間・天皇に焦点が定まった。
でも、日本人としてはやっぱり複雑な思いよね。
ああ、このどんよりとした空みたいにな。


ふたりが乗ったのは、都バス<都05系統>
晴海埠頭⇒ほっとプラザはるみ入口⇒ホテルマリナーズコート東京前⇒晴海三丁目⇒勝どき駅前⇒勝どき橋南詰⇒築地六丁目⇒築地三丁目⇒築地⇒銀座四丁目⇒有楽町駅前⇒東京国際フォーラム前⇒東京駅丸の内南口

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