【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「パリ20区、僕たちのクラス」:大久保二丁目バス停付近の会話

2010-07-31 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)

花屋の店先に並んだいろんな花を見ていた~
って、あんたは、SMAPか。
いや、「パリ20区、僕たちのクラス」なんて観ると、「世界にひとつだけの花」じゃないけど、子供もひとりひとりみんな違うんだなあって思ってさ。
ひとつのクラスに集まったパリの中学生たちと教師の話なんだけど、白人もいれば黒人も中国人もいるっていうクラスだから、「金八先生」なんかとは雰囲気が全然違うわね。
先生が道を説くなんていう、のどかな世界じゃない。もう、先生と生徒たちの息を抜けない戦いだ。
先生が、たまたま例文で白人の名前を使ったら、なんで白人の名前ばっかり使うんだって、生徒に指摘されたりして、たまんないわよね。
日本でたまたま「太郎君と花子さんが・・・」って話し出したら、「なんで、ジャックとベティじゃないんだ」って詰め寄られるようなもんだもんな。
先生たちが子供たちの評価をする場に生徒代表を立ち合わせるっていうのも驚き。
「あいつは能力が劣る」とか「態度が良くない」とか教師同士が話し合う場に生徒を同席させるなんて、日本じゃ考えられない。
生徒と先生は対等なんだっていう考え方なんだろうけど、お互いがお互いを監視し合っているようにも見える。
その生徒っていうのも、別に優等生でも何でもなくて、案の定、教師たちの会話をそのままクラスメイトにリークしちゃう。
で、それを聞いた問題児がキレて、母親と一緒に学校に呼ばれるんだけど、黒人の母親はフランス語ができない。
できないのに、通訳を用意するわけでもない。当事者の生徒が通訳をするという妙な立場に陥る。
学校側も通訳くらい呼んであげればいいのにね。
休暇に入る前、先生がみんなに「このクラスで何を学びましたか」と問いかけたのに対して「数学でナニナニを学びました」とか「地学のナニナニを学びました」とか勉強科目のことばかり答える生徒たちも凄い。
「努力することを学びました」とか「友達を大切にすることを学びました」なんて答える生徒はひとりもいない。
それだけに最後、ひとりの少女が教師を呼びとめて告げるひとことが心にグサッと突きささる。
この映画、教育の問題っていうより、学校という世界を通して、日本とフランスの文化の違いを見せつけられたような気がしたわ。
いろんな民族がいると、学校という社会の中でも、教師と生徒という前に、人と人として対峙するしかないっていう厳しさみたいなことを感じるよな。
花屋の店先にいろんな花があるように、世界には、ひとつにははめられない、いろんな人がいるってことよね。
花屋の店先に並んだいろんな花を見ていた~



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ふたりが乗ったのは、都バス<橋63系統>
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「ゾンビランド」:新大久保駅前バス停付近の会話

2010-07-28 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)

「ゾンビランド」を観たあとは、こういう雑然とした店で食事したい気分になるわね。
おいおい、ここは、「ゾンビランド」の店じゃなくて、「タイランド」の店だぜ。
あら、貶めてるんじゃないのよ、誉めてるのよ。
じゃあ、どういう意味か、ちゃんと説明してくれよ。
アメリカ中がゾンビの国になっちゃって、その中を数人の男女が逃げ回るっていう映画「ゾンビランド」は、一見雑然としたキワモノ映画のようでありながら、あくまで観客を楽しませることに徹した、純粋娯楽映画だったってことよ。
ま、そういう意味では、このあたりの店も、品なんて気にしないでお客さんを喜ばすことだけを考えているんだろうから、志は同じかもな。
そういうこと。見た目は安っぽい意匠で、物語も単純かつ猥雑で、迫りくるゾンビ群は怖いというより噴飯ものの様相なんだけど、楽しきゃそれでいいんだ、っていう製作者たちの確信的な心意気がビンビン伝わってくるから、血だらけの話なのに、見終わった印象は信じられないくらいすがすがしい。
ちか頃流りの映画群のように、もやもやした謎を残して終わる、なんてことないから、見終わったあと、頭の中がすっからかんになって、晴々として映画館をあとにすることができる。
俳優陣も迷うことなくバカ正直に与えられたキャラクターを演じているから、観ていて安心。余裕を持ってつきあえる。
一押しは、何と言っても、エマ・ストーン。この手の映画にふさわしいB級女優のうらぶれた雰囲気を湛えながら、日本でいえば土屋アンナのように男を虜にするオーラを放つ。
不健康な健康さ。この映画を象徴するような女優だったわね。
つまり、ひと頃話題になったグラインドハウス映画なんだよな、これは。
グラインドハウス?
B級映画などを二、三本立てで上映していたアメリカの二流映画館のこと。そこでかかるような肌合いを持つ映画だってことさ。
たしかに、日本で公開された映画でいえば、「プラネット・テラーinグラインドハウス」「デス・プルーフinグラインドハウス」といったような映画と似たような、ギザギザした気分が横溢してるもんね。
ポップコーン片手に観るような気安さと、乱痴気騒ぎの応酬。
遊園地での死闘なんて、くだらなすぎて、おもしろすぎ。
キーワードは、「ゾンビバスターズ」ならぬ「ゴーストバスターズ」。
って、どういう意味?
観てりゃあ、わかるだろう。
今夜は語り明かすしかなさそうね、このあたりのお店で。
そんな、語り明かすほどの内容はなかったと思うけどね。




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「インセプション」:大久保駅前バス停付近の会話

2010-07-24 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)

遠くにぼんやりと高層ビルが見えるような気がするんだけど、夢かしら。
夢じゃない。あれは、新宿の高層ビル。現実だ。
よかった、「インセプション」に出てきたマリオン・コティヤールのように、夢と現実の違いがわからなくなっちゃたら、どうしようって心配しちゃった。
クリストファー・ノーラン監督の「インセプション」は、他人の夢の中に潜り込んでアイデアを盗み出す企業スパイの話だっていうから、SFに近いサスペンス・アクション映画かと思ったら、観終わったあとに残るのは、レオナルド・ディカプリオとマリオン・コティヤールの切ない愛の物語だった。
二人は夫婦役なんだけど、夢の中なら望む世界を自由に構築できることを知ってから、夢の世界にのめりこんでいくうちに、夢と現実の区別がつかなくなっていく。
とくに、コティヤールは、夢依存症のようになっていく。そこで起こる夫婦の悲劇。
もちろん、ディカプリオが渡辺謙に雇われて大企業の御曹司の潜在意識に忍び込むっていうのがメイン・ストーリーの映画なんだけど、その中で露わになってくる夫婦の関係っていうのが、胸をしめつけてくるのよね。
その御曹司の潜在意識っていうのが、また、複雑でね。二層にも三層にも重なっているんで、さまざまなシチュエーションの世界がからみあってくる。
でも、そのシチュエーションの組み合わせが、どういうわけか、よく計算された建築物を想わせるような印象をもたらしてくる。
ふつう、夢とか潜在意識とかいえば、どこか茫洋とした部分があるもんなんだけど、この映画の夢世界は隅々までくっきりと構成されているからな。
目の前にそそり立ってくるパリの圧倒的な街並みとか、人工的な断崖が崩れ落ちていく海岸の退廃的な風景とか、鳥肌が立つほどクリエイティブな世界が広がる。
そういった要素がルービックキューブのように組み合わされていくから、建築的というか、数学的な芸術のような肌合いが出てくるんだろうな。
最後も夢落ちといえば、夢落ちなんだろうけど、そもそもこの映画の成り立ち自体が夢落ちだからね。
目を見張る映像体験のあとで、心に残るのは夫婦の在りようっていうのが、おもしろい。
この映画、クリストファー・ノーランつながりで「ダークナイト」の系譜というよりは、ディカプリオつながりで「レボリューショナリー・ロード ~燃え尽きるまで」の系譜と捉えたいな。
突然老けた渡辺謙は、「2001年宇宙の旅」だったけどな。




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「必死剣 鳥刺し」:新宿消防署バス停付近の会話

2010-07-21 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)

ここが百人町のアパートだ。
百人町?おもしろい地名ね。
このあたりに、かつて伊賀組百人鉄砲隊の屋敷があったことから名付けられたらしい。
海坂藩にも鉄砲隊があれば、一発で解決して、あんな刃傷沙汰は起こらなかったかもしれないのにね。
海坂藩?「緒形拳 馬刺し」の話か。
違う、違う。「必死剣 鳥刺し」のこと。緒形拳なんて、死んじゃったし・・・。
そこで今回主役を張るのは豊川悦司。
緒形拳とは関係ないし・・・。
時は江戸。豊川悦司演じる海坂藩の近習頭取は、藩主の愛妾を城中で刺し殺したのに意外にも寛大な処分が下され、一年の閉門後、再び藩主の傍に仕えることになるっていう本格時代劇。
閉門中、彼を慕う姪を演じるのは、池脇千鶴。
やがて二人は恋仲になるんだけど、どうも釣り合いが悪いんだよなあ。「スイートリトルライズ」のときも思ったけど、池脇千鶴っていつまでも童顔すぎておとなの男の相手をするには役不足な感じがしてしょうがない。
そりゃあ、壇れいあたりがやればよかったんでしょうけど、それじゃあ、山田洋次の世界になっちゃうしね。
ああ、山田洋次の時代劇に比べると、今回の映画は、もっと悲壮感たっぷりだった。
基本的には、藩主がアホやから下っ端が苦労するんじゃい、っていう話なんだけどね。
寛大な処分の理由っていうのが、映画のクライマックスに至る謎になっているんだけど、裏にああいうからくりがありそうなことは、再び藩主の傍に仕えることになるっていう時点で、豊川悦司だって薄々気づいてもいいと思うんだけどなあ。
はめられたとはいえ、藩のお偉いさんを殺めちゃったら、相応の処分を受けることくらいわかるはずよね。
まさかこんなすぐに、とは思わなかったのかな。
最初に愛妾を殺したときはたいした処分を受けなかったしね。
殺した理由も明快ではないんだけど、処分もまた寛大だったし。
ところが今度はなんだよ、っていうわけ?
そんなことはないだろうけど、生かすも殺すも、ときの事情でころころ変わる藩の対応に頭に来ちゃったっていうところだろう。
で、最後は壮絶な立ち回りになる。
そのきっかけとなるのが、吉川晃司との一騎討ち。
彼も藩主のやり方には頭に来ていて本来は味方同士になってもいいところ。なのに、立場上、斬り合いをしなくちゃいけなくなっちゃう。その不条理感がもう少し出ていてもよかったな。
刀が柱にひっかかるところなんて、どこかで見たような気がするし・・・。
そもそも、武士の世界なんて、不条理だらけの世界よね。
いちばんの見どころはやっぱり、殺陣の豪快さかな。
豪快というより悲惨に近いけど、所作振る舞いから剣の扱いまで、本格的な時代劇になっていたのは確かよね。
鉄砲隊じゃあ、もっとあっけなくてああいう迫力は見られない。
ラストはやっぱり、情に訴えるんじゃなくて、藩主が新しい愛妾を迎えるシーンで終わってほしかったなあ。
それが池脇千鶴だったら出来すぎか。
怖いこと考えるわねえ、あなたも。
悪い奴ほど世にはばかる、ってね。




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「借りぐらしのアリエッティ」:小滝橋車庫前バス停付近の会話

2010-07-17 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)

忘れ物があったら、こういう遺失物取扱所に来れば見つかるかもな。
角砂糖ひとつでも?
角砂糖ひとつじゃあ、忘れ物にはならないだろう。
ところが、忘れ物だと思った男の子がいるのよ。
「借りぐらしのアリエッティ」に出てくる病弱な男の子だな。
そう、こんどのジブリ映画は、古い屋敷にやってきた男の子と、その家の床下に住む背丈10センチほどの小人の女の子の物語。
女の子が父親と一緒に人間の台所からやっとの思いで取ってきた角砂糖を、男の子の部屋で落としてしまったことから始まる交流。
氷砂糖のように、甘くももろい。
でも、男の子は残酷だよな、「君たちは滅びゆく運命にある」なんて言って。
彼女のためにきれいなキッチンを用意してあげようなんていうのも、好意にせよ、ちょっと無神経な気がする。
この映画、構造は明らかに優越的な民族による弱小民族の迫害だもんな。
わかりやすく例えれば、白人とアメリカインディアンの関係みたいなね。いまどき陳腐な例えだけど。
住み家を追われた民族は、新たな安住の地を求めて旅立っていかざるを得ない・・・。
でも、登場人物は何人かに限られるし、それほど波乱万丈な展開もないから、ジブリの映画にしては、とっても小品を観たっていう印象を受ける。
小劇団による流浪の民の悲劇を観てるような趣がある。
映画全体によけいな贅肉は削ぎ落としたみたいで、ジブリお得意の奇妙なキャラクターの登場もないし、ファンタジックなスペクタクルにも昇華しない。
そのぶん、屋内の家具や調度品、屋外の緑のまぶしさとか、背景の美術、色彩設計には目を見張る。
映画全体も、単純明快なだけに、気品のある結晶のような輝きが感じられて、私は好きだな。
小人の女の子の性格は、健気でりりしいしな。
この性格は、明らかにジブリの系譜に属するものよね。
「風の谷のナウシカ」「魔女の宅急便」から「耳をすませば」にまで至る元気な少女たちの一群の中にすっぽりと位置づけられる。
でも、彼女たちに比べると、小品だけにちょっと活躍の場が少なかったかもしれない。
小人の少女っていう設定は、明らかにファンタジーの世界の登場人物なんだけど、描き方はリアリズムに徹している。
角砂糖を取りに行くシーンなんて、小人はどのように高い位置にある大きな物を手にすることができるかっていうドキュメンタリーを観ているみたいだったもんね。
主役に与えられたキャラクターは、「魔女の宅急便」みたいにちょっと普通の人間からずれたもの、でも彼女の生きる世界は「耳をすませば」のような日常的な世界、っていう感じかな。
ここのところ、ちょっとファンタジーに寄り過ぎていたジブリ映画が忘れていた世界に戻ってきたようで嬉しかったわ。
遺失物取扱所に行って、取り返してきたのかもな。




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