花屋の店先に並んだいろんな花を見ていた~
って、あんたは、SMAPか。
いや、「パリ20区、僕たちのクラス」なんて観ると、「世界にひとつだけの花」じゃないけど、子供もひとりひとりみんな違うんだなあって思ってさ。
ひとつのクラスに集まったパリの中学生たちと教師の話なんだけど、白人もいれば黒人も中国人もいるっていうクラスだから、「金八先生」なんかとは雰囲気が全然違うわね。
先生が道を説くなんていう、のどかな世界じゃない。もう、先生と生徒たちの息を抜けない戦いだ。
先生が、たまたま例文で白人の名前を使ったら、なんで白人の名前ばっかり使うんだって、生徒に指摘されたりして、たまんないわよね。
日本でたまたま「太郎君と花子さんが・・・」って話し出したら、「なんで、ジャックとベティじゃないんだ」って詰め寄られるようなもんだもんな。
先生たちが子供たちの評価をする場に生徒代表を立ち合わせるっていうのも驚き。
「あいつは能力が劣る」とか「態度が良くない」とか教師同士が話し合う場に生徒を同席させるなんて、日本じゃ考えられない。
生徒と先生は対等なんだっていう考え方なんだろうけど、お互いがお互いを監視し合っているようにも見える。
その生徒っていうのも、別に優等生でも何でもなくて、案の定、教師たちの会話をそのままクラスメイトにリークしちゃう。
で、それを聞いた問題児がキレて、母親と一緒に学校に呼ばれるんだけど、黒人の母親はフランス語ができない。
できないのに、通訳を用意するわけでもない。当事者の生徒が通訳をするという妙な立場に陥る。
学校側も通訳くらい呼んであげればいいのにね。
休暇に入る前、先生がみんなに「このクラスで何を学びましたか」と問いかけたのに対して「数学でナニナニを学びました」とか「地学のナニナニを学びました」とか勉強科目のことばかり答える生徒たちも凄い。
「努力することを学びました」とか「友達を大切にすることを学びました」なんて答える生徒はひとりもいない。
それだけに最後、ひとりの少女が教師を呼びとめて告げるひとことが心にグサッと突きささる。
この映画、教育の問題っていうより、学校という世界を通して、日本とフランスの文化の違いを見せつけられたような気がしたわ。
いろんな民族がいると、学校という社会の中でも、教師と生徒という前に、人と人として対峙するしかないっていう厳しさみたいなことを感じるよな。
花屋の店先にいろんな花があるように、世界には、ひとつにははめられない、いろんな人がいるってことよね。
花屋の店先に並んだいろんな花を見ていた~
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