そもそも、東大進学と小説家になることは、二律背反することなのか。
東大出の小説家なんて、うじゃうじゃいるけどね。
ここはひとつ、出世を選ぶか自分の好きな道を選ぶか、という葛藤を表現するいちばんわかりやすい例えと見ておくべきなんだな。
そんなことより、淳之介もそういう年頃になったということで、一作目から観ている者には感慨もひとしお。
わかりやすすぎて、ひっくり返っちゃうけどね。
それが身上の映画なんだから。
ロクちゃんが結婚するのに、青森の両親に承諾を取る場面もなければ結婚式にさえ顔を出さないのも礼儀を忘れている。
いいのよ。鈴木オートの主人夫婦が親代わりなんだから。ロクちゃんだって、ちゃんと念を押してるでしょ。それで納得できない人にこの映画を観る資格ないわよ。
相変わらず、都合のいい人物ばかりで、都合の悪い人物はひとりも出てこない。
つまり、あなたは、この映画、細部に瑕疵があるって言いたいわけね。
ま、そのスタンスは第一作からわかっていたことで、いまさら騒ぎ立てるのも大人げないけどな。
昭和を再現する映画じゃなくて、みんなの意識の中にあるほんわかと懐かしい部分を刺激するための映画だからね。そのスタンスはまったくブレていない。だからこそ、観客も安心して観ていられる。
ああ、懐かしい、あの頃はよかった、という感慨に浸っていればそれでいいんだよな。
失われてしまった日常を甘く思い起こす。そういうことのためだけに存在する映画もあるってことよ。
毎日、毎日つらい労働にいそしむ俺たち庶民がひととき疲れを忘れていい気持になるという映画。
悪くないでしょ。
まあ、「男はつらいよ」だって、マンネリだなんだと言われながら作り続けて最高傑作はなんと15作目だもんな。
「寅次郎相合傘」ね。浅丘ルリ子と渥美清の奇跡のような掛け合い。
「ALWAYS」も誰に何と言われようと作り続けているうちに、いつか最高傑作が誕生するかもしれない。
そのためには、私たちも観続けるしかない。
この時代から現在までは四半世紀以上ある。まだまだ、物語の作りようはあるってことだ。
3Dはどうかと思うけどね。この町内会の物語にはそぐわない。
今回も三浦友和はいい役だった。
第一作の彼のエピソードには胸を突かれたわね。その残像が残っているから出て来るだけでしみじみしちゃう。
そういう意味では、みんなの残像が残っているから、また観たくなる。
ステレオタイプだなんだと言いながら、結構ツボにはまる映画なのよ。