【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「誰も守ってくれない」:錦糸町駅前バス停付近の会話

2009-01-31 | ★錦25系統(葛西駅~錦糸町駅)

なに、ポカンとしてるの?
いや、この駅ビルでみんなと待ち合わせの約束をしてるんだけど、その約束、誰も守ってくれないんだよなあ。
駅ビルのどこで?
いや、駅ビルで・・・。
ずいぶん大雑把な場所指定ね。それじゃあ、誰もわからないんじゃないの?誰も守ってくれないはずよ。
映画の「誰も守ってくれない」みたいだな。
うーん、意味がまったく違うと思うけど。
そう?
映画の「誰も守ってくれない」は、殺人容疑者の妹をマスコミやヤジ馬から守るハメになった刑事の話でしょ。
フジテレビ制作。脚本・監督が「踊る大捜査線」の君塚良一だから、観客の目をそらさせない術は心得ている。
いままでのフジテレビ印の映画のようにテレビドラマを無理やり水増ししたような散漫な映画にならないかなあとちょっと心配していたんだけど。
無意味なお遊びがすぎるとかね。
ところがどっこい、立派に1本の映画になっていた。正直、感心したわ。
刑事の佐藤浩市が抱えている心の傷とか、相棒の松田龍平のちょっと離れた立ち位置から眺めている視線とか、容疑者の妹の志田未来とボーイフレンドの関係とか、みんなうまいことからまって、モントリオール映画祭で脚本賞を受けたのも納得の出来映えだ。
演出もヘンに遊び心を出すことなく、直球で押している。
ラストなんて、もっとジメジメしそうなところをサッと切り上げて、最近の日本映画にないキレの良さだ。
二人と一緒に移動する、物言わぬギフトボックスがまた、絶妙な効果。絵的にも赤いリボンが効いている。
男からすれば、佐藤浩市扮する刑事は、大事な休暇の前にいままで経験したこともないような仕事のために呼び出されて親子ほども年の違う女の子のお守をまかされて、インターネットでは自分の家族までが誹謗中傷に会い、踏んだり蹴ったりの、100年に一度の大恐慌が1000年分一気に降ってきたような気の毒な話で、何の職業でも男が仕事を続けるってたいへんなんだよなあ、と身につまされちゃう映画だった。
えっ、そういう観方してたの?
ああ、ちょっと「クライマーズ・ハイ」の堤真一を思い出した。
でも、この映画って、犯罪容疑者の家族は果たしてどこまで守られるべきかっていう、社会問題提起の映画なんじゃないの?
もちろん、それもあるけど、そこに登場人物の背景や人間的な感情をきちんと入れ込んでいるから、わかりやすくて納得もできる映画になったんだ。
そうね、ここには被害者側も加害者側もなく、いろんな感情が渦巻いているもんね。フジテレビの映画でここまできっちり血の通った人間が登場したところを私は観たことがない。
そんな中、感情が見えないのが、インターネットおたくの連中。
刑事や容疑者の妹のプライバシーを、容赦なくどんどんインターネットで暴いてしまうオソロシイ連中ね。
こういう、感情を表さないのっぺらぼうな連中を登場させるのが君塚良一の特徴で、いまの世の中、こんな連中が密かにのさばっているのはたしかなんだけど、一方でこういう連中だって人間なんだから感情はあるだろう、あそこまで画一的な描き方しなくても、もうちょっと彼らの人間的な面を描いてもいいだろうという気はしたね。みんながみんな、リュック背負って携帯かざしてるだけなんて・・・。
それを掘り下げると、また別の映画になっちゃうんじゃないの?
ああ。次の映画ではそれをテーマにしてもらってもいいくらいだ。
ははあ、あなたがここで待ち合わせをしているのはひょっとしてそういう種類の人たちと?
ど、ど、どうしてわかるんだ?
だってあなた、リュック背負って携帯かざしてる。



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「チェチェンへ アレクサンドラの旅」:江東車庫前バス停付近の会話

2009-01-24 | ★錦25系統(葛西駅~錦糸町駅)

なんだ、この赤いバスは。共産党か、ソ連か。
あのねえ、いまどきソ連なんて言わないの。言うならロシア。このバスとは何の関係もないし。
待て待て。ソ連・イコール・ロシアってわけじゃあないだろ?たとえばチェチェンなんてソ連ではあったけど、今はロシアじゃなくて別の国だ。
そうね。ロシアと戦争しているんだもんね。
「チェチェンへ アレクサンドラの旅」は、そのチェチェンに駐屯するロシア軍の孫を訪ねていくアレクサンドラという名の老婆の話。
齢80歳。老婆が主人公の映画っていえば、題材はちょっと違うけど「やわらかい手」なんていう秀作もあったわね。
マリアンヌ・フェイスフル主演のフランス映画だろ。題材はちょっと、というより、全然違う。片や戦争という硬派な話、片や風俗という軟派の話。
でも、どちらの映画も主人公に圧倒的な存在感があるという意味では通じるところがあるわよ。
ああ、この映画の主人公、ガリーナ・ヴィシネフスカヤもマリアンウ・フェイスフルに劣らない存在感を示すと思ったら、世界的なオペラ歌手なんだってな。
それにしては、孫を気遣う庶民っていう地味な役柄がぴったりはまっていたわ。
天才は、何歳になっても、何の役をやっても天才なんだな。
彼女の訪ねる砂ぼこりの駐屯地にいる軍人たちは、男というより少年のように彼女を慕っていく。
偉大なる母性だ。
男たちは戦うことしか知らないが、女たちはすぐ姉妹になれる、なんていう戦争批判の言葉も、思わず納得しちゃうわよね。
ロシアの老婆とチェチェンの現地の老婆が心を通わせるシーンか。
チェチェンの破壊された建造物が映画の背景になっているからよけい痛ましいことばに聞こえる。
「日本の老女のことばに、大事なのは理性だというのがある」なんていうようなセリフも出てきたけど、日本の老女って誰なんだろうな。
わからないけど、日本にも偉大な老女がいるってことよ。老女は世界を救う。
他にも「破壊ばかりで建設はいつ学ぶの?」とかグサリとくるセリフがたくさんあって、考えさせられる。
全編セピア色を基調にした画面で静かに語りかけてくるような映画よね。こんな視点の戦争映画、いままでにあったのかしら。
戦争映画と言いながら、戦闘シーンがないのがちょっともの足りなかったけどな。
ああ、男はこれだからダメなのよ。ねえ、アレクサンドラ?




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「我が至上の愛~アストレとセラドン」:亀戸一丁目バス停付近の会話

2009-01-21 | ★錦25系統(葛西駅~錦糸町駅)

エリック・ロメールも、もう87歳だって。
昔っからおじいちゃんのイメージがあるけど、まだ介護用品の心配はないかな。ちょうどここに福祉の店があるけど。
ない、ない。新作の「我が至上の愛~アストレとセラドン」を観る限り、まだまだ元気ハツラツっていう感じよ。
ああ、いつものロメール節、快調だったな。実にたわいのない話なのに、妙に心に落ち着く。期待を裏切らない、のどかな映画に仕上がっていた。エリック・ロメール、90歳を間近にして、まだまだ健在だった。
5世紀のフランスを舞台にしたささやかな恋愛小話っていうところね。アストレとセラドンという若い恋人たちがちょっとした誤解から仲たがいしてまたもとのさやに納まるまでの、まったく毒気のない物語。
緑したたる自然と白を基調としたコスチュームがとにかく目にまぶしいから、なんでも許す気になってくる。
あの緑!あの白!ほんとに目に焼き付いて離れない。
小鳥のさえずりがチュンチュン聞こえる中で恋人たちの思いがすれ違っても、ほほえましいとしか言いようがない。
うん。アストレからセラドンを奪おうとする美貌のマダムがいつの間にか画面から消えてしまっても、まあ、いいかあ、という気になっちゃう。
自分の恋人が女装して目の前に現れてもまったく気づかないなんていう展開も、そりゃあ、あり得ないだろうと思うんだけど、エリック・ロメールだからいいかあ、と許しちゃいたくなる。
そう。話も映像もすべてがおおらかだから、観ている側までおおらかな気分になってきちゃう。
エリック・ロメールの映画って、どうということもない話を妙に気持ちよく観れちゃうんだよ。天才だな。
ほんとうは「海辺のポーリーヌ」とか「友だちの恋人」とか現代を舞台にした映画のほうがちょっとビターで好きなんだけど、今回の映画も決して憎めない出来だったわ。
本人はこの映画で引退とか宣言しているらしいけど、もっともっと新作を観たいよな。
うん、もし介護用品が必要になったらいくらでも寄付するからね。



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「エグザイル/絆」:亀戸駅通りバス停付近の会話

2009-01-17 | ★錦25系統(葛西駅~錦糸町駅)

知らなかったな、亀戸のアトレにこんな喫茶店が入ってるなんて。
留学の情報とかも入手できる喫茶店らしいわよ。
へえ。留学するなら俺は何と言ってもマカオだな。
どうして?
カジノの売上げがラスベガスを抜いて世界一なんだぞ。一攫千金、左団扇の人生が待っている。
そんなこと言っても、恐いお兄さんたちがウロウロしてるのよ。「エグザイル/絆」を観たでしょ。
マカオの裏社会で生きる男たちの絆を描いたジョニー・トー監督の映画だろ。
うん、そう。
しかし、あれは、マカオの中国返還前のいちばん混乱してた頃の話だ。いまはもう、あんな連中はいないはずだ。
あんな連中?男のくせに珍しい反応ね。“カッコいい”を絵に描いたような男たちに同性として羨望の気持ちは生まれなかったの?
なんだよ、お前は。「恐いお兄さんたちがウロウロしてる」とさげすんだ舌の根も乾かないうちに「カッコいいを絵に描いたような男たち」って持ち上げて。ああいう連中、世の中にいたほうがいいと思ってるわけ、いないほがいいと思ってるわけ?
世の中にはいないほうがいいかもしれないけど、映画の中には断然いてほしいってことよ。
なるほど。たしかに、五人の男たちが銃を構える姿は感動的なほどサマになっているし、極端なほど狭い部屋の中、スローモーションで繰り広げられる銃撃戦はサム・ペキンパーさえ凌駕するほど、美しい。
あそこまで至近距離で撃ち合えばもっと悲惨なことになっているでしょうと思うけど、あまりの美しい映像にうっとりと眺めてしまう。銃撃戦に恍惚を覚えるなんて、何年ぶりかしら。
一方で、缶蹴りとかプリクラとか、男たちに残っている少年っぽい部分を見せることも忘れない。緊張もあればくすぐりもあって、緩急自在に観客の心を虜にする技はただものじゃない。
エレクション」のときは、全然ノレなかったけど、見違えるような出来。ヤラレタ!としか言いようがないわよね。
でもなあ・・・。
おっと、始まった。あなた得意の「でもなあ」攻撃。おもしろい映画は、素直におもしろいっていえばいいのよ。
でもなあ、結局生き残るのは、女なんだよなあ。
そういえば、なんだかんだ言いながら、女たちはみんなしっかり生き残ってた。
「明日に向って撃て!」の昔から、男たちは道化のように散っていき、女たちはしぶとく生き残る。これが世界の真実か?とてもひとごととは思えないよなあ。
つまり、あなたより私のほうが長生きするってこと?
いや、寿命のことじゃなく、マカオで一攫千金当てたとしても、お前はその金を持って逃げるんじゃないか、とふと思ったりするわけよ。
悪い?私たちの“絆”なんて、しょせんその程度よ。
ほら、その開き直りが、恐ろしい。



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「チェ 28歳の革命」:水神森バス停付近の会話

2009-01-14 | ★錦25系統(葛西駅~錦糸町駅)

お、本屋だ。寄って行こう。
どうしたの、読み書きの大嫌いなあなたが、突然。
革命には、読み書きも必要なんだよ。
ああ、スティーヴン・ソダーバーグ監督の映画「チェ 28歳の革命」の中でチェ・ゲバラが部下に強調していたことばね。
わかってるなら、早く行こう。
でも、あなたと革命なんて、何の関係があるの?
いまのような世の中を変えるには革命しかないだろう。
それは飛躍のし過ぎよ。
そうさ、俺はチェのような生き方をして世界に飛躍するんだ。
いまから?
いまから・・・。
ムリよ。あなたみたいに、知力も、気力も、体力も、およそ力という字がつくものとは無縁な人間には。
うーん、冷静な指摘だ。俺と違って、チェには知力も気力も体力もすべて備わってたもんなあ。
そんなことないけど。喘息でぜいぜい言いながらジャングルを走り回っていたじゃない。
そんな彼をあそこまで革命に駆り立てた原動力は、何なのか。
南米の民衆よ。バイクで南米を旅するうちに民衆の置かれている状況を肌で知ったのよ。
まだ若き日のチェ・ゲバラのことか。「28歳の革命」の中ではその頃のチェは描かれていなかった。
ウォルター・サレス監督の「モーターサイクル・ダイアリーズ」っていう映画があるからね。あの映画では、若き医学生の頃のチェがいかにして世界の現実に目覚めるか、みずみずしい感覚で描かれていた。
うん。まず「モーターサイクル・ダイアリーズ」を観て、それから今回のチェ2部作を観たほうが、一人のアルゼンチン生まれの男がどうしてああいう行動をとるようになっていったのか、理解できていいかもしれないな。
「モーターサイクル・ダイアリーズ」を含めて初めて、チェ・人生の3部作っていう感じだもんね。
その中で、「28歳の革命」はカストロと出会ってからキューバ革命に成功するまでをじっくりと描いている。
世界を変えた英雄の栄光と挫折。その“栄光”の部分よね。
じゃあ、“挫折”の部分もあるのか。
おそらく、「チェ 39歳別れの手紙」はそうなるんじゃないの?
なるほど。栄光を極めた英雄っていうのは、ほとんど例外なく、挫折の底へ突き落とされるっていうのが歴史の必然だからな。
アラビアのロレンスなんてその典型よね。
栄光と挫折で一対だから、“挫折”の部分も観ないことには片落ちだな。「レッド・クリフ」に続いて後編が観たくなる映画がまた現れた。
「28歳の革命」は、まだ“栄光”の部分だから、演じるベニチオ・ベル・トロはあくまで颯爽として、かっこいい。葉巻をくゆらすたたずまいなんて、本人より革命家らしい。
なんといっても信念がまったくぶれない。どこかの国の政治家とは大違いだ。
でも、ぶれなさすぎって感じもする。勝利に酔ってアメリカ車を走らせる部下をたしなめる顔には、ちょっと危険な匂いがしたわ。
あそこまで清廉潔白で、部下はついてくるのか、ってことだな。
まあ、「39歳別れの手紙」を観てみないことには、これからあの性格がどう影響していくか、わからないけどね。
わかっているのは「革命には愛が必要だ」ってことだ。
うーん、そのことば、ベニチオ・ベル・トロから聞くぶんには感動するけど、あなたの口から出ると全然説得力がないわね。
俺たちの間には、愛はないってことか?
当たらずといえど、遠からず・・・。



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