【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

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「マイ・ブラザー」:本所四丁目バス停付近の会話

2010-06-30 | ★業10系統(新橋~業平橋)

お、しゃれたちゃんこ料理屋だな。家族そろって食べにくるか。
相撲界が戦場のように荒れているときに、そんなのんきなこと、言ってていいの?
相撲界は戦場でも、俺の家族には関係ないさ。
そういう利己的な考えだから、いつまでたっても戦争がなくならないのよ。
なんだか発想が飛ぶねえ。
そんなことないって。遠くの戦争が家族にもたらす悲劇はいまも続いているのよ。あなたも観たでしょ、ジム・シェリダン監督の「マイ・ブラザー」。
兄がアフガニスタンで戦死したという訃報が届き、残された妻と子どもたちは弟に励まされ、ようやく穏やかな日々を取り戻したところへ、人格が変わったようになった兄が生還するっていう映画だろ。ちゃんこではないけど、あの映画にも家族が食事をする風景はたくさん出てきたぜ。
あれは、アフガニスタンとアメリカは遠いけど、戦場と日常はすぐ近くにあるっていう象徴ね。
そういう意味では、たしかに戦争が家族にどんな陰をもたらすかっていう映画ではあるんだけど、俺はむしろ「エデンの東」を思い出してしまったな。
「東のエデン」?アニメの?
違う、違う。「エデンの東」。エリア・カザンのアメリカ映画。
ああ、ジェームス・ディーンがすねちゃう映画ね。
賢い兄とちょっと不良の弟がいて、父親は兄のほうにばかり愛情をかけるが、兄の愛した女性はいつしか弟にひかれていくっていう構図が、「エデンの東」に似ていると思わないか。
どちらも兄は戦場に行っちゃうしね。
「エデンの東」は兄が戦場に行くまでの話、「マイ・ブラザー」は兄が戦場から帰ってからの話だけどな。
トビー・マグワイアが戦場の体験で別人のようになってしまった兄を「スパイダーマン」の俳優とは思えない鬼気迫る演技で熱演すれば、ジェイク・ギレンホールは刑務所帰りだけど気のいい弟を好演している。
間に立って弟にひかれていく妻役は、ナタリー・ポートマン。
そう、そう。「エデンの東」に出てくる女性は兄の恋人だけど、「マイ・ブラザー」は兄の妻。しかも子どもが二人もいる。これは大きな違いよ。
それだけに、弟とはちゃんと節度を持って接している。
死んだはずの兄の出現にも、表面上、おとなたちはみんな冷静を装って接するんだけど、そのおとなたちの微妙な違和感を敏感に感じ取ってしまうのが、兄の子どもたち。
みんなが心の中に抱えているけど、言ったらおしまいというひとことを、幼い娘が勢いで口に出してしまう。
子どもって、ときどき残酷な真実を無邪気に口にしてしまったりするから怖いわよね。
そのひとことを言ってしまった瞬間、その場の空気が製氷機の中のように凍りついて、下手なサスペンス映画なんて敵わないほどの緊張感。ドキドキするぜ。
ジム・シェリダンの映画って「イン・アメリカ 三つの小さな願いごと」といい、子役の演技がナチュラルだからねえ。
観終われば、やっぱり戦争映画というより、家族の映画だったっていう印象が強いなあ。
そうね。ちゃんこ料理も、家族が楽しい相撲の話題を口にしながら食べられる日が戻ってほしいわね。





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「クレイジー・ハート」:石原三丁目バス停付近の会話

2010-06-26 | ★業10系統(新橋~業平橋)

あの赤いところ、何て書いてあるの?
天狗。
どうして遠くから眺めてるの?
どんなに才能があっても、天狗になっちゃあいけないと思ってさ。
「クレイジー・ハート」に出てきたカントリーシンガーみたいに?
まあ、彼も天狗になっていたわけじゃあないんだろうけど、かつて一世を風靡していただけにいまの自堕落な生活との落差を感じちゃうよな。
その自堕落なカントリーシンガーを名優ジェフ・ブリッジスが演じた映画がスコット・クーパー監督の「クレイジー・ハート」。
結婚生活は何度も破綻し、アルコールに溺れ、ひたすら落ち目の日々。対照的に、弟子であり、バックバンドの一員だった男はいまや大スター。
物語自体は、かつて脚光を浴びていた男の典型的な転落物語。
そこに彼を愛する女性が現れ再生していくという展開も、意外性はない。
こういう話は、いかに演出していくかという勝負になるんだけど、いたって常識的だった。
「クレイジー・ハート」っていうから、もっと映画自体がクレイジーなのかと思ったら、実に誠実というか、手がたい演出で、破たんがなかった。
大スターになった弟子も憎めない男で、師匠をないがしろにするどころか、尊敬のまなざしを変えることはない。コリン・ファレルが、師匠の再生のために手を差し伸べる儲け役を爽やかに演じていた。
最大の見どころはやっぱり演奏シーンだな。
ジェフ・ブリッジスが、自身、まるで昔から主役のカントリーシンガーであるような自然な存在感で愛用のギターを抱え、渋く歌う。
一挙手一投足にこれまでの日々を感じさせる。
アカデミー賞を獲るのもあたりまえの演技ってことね。
でも、同じように落ちぶれても音楽をやめない男たちの姿を描いた「アンヴィル!夢を諦めきれない男たち」なんていうドキュメンタリー映画を観ると、実際はもっともっと惨めで滑稽だよな。
家族に見限られ、頭は禿げあがり、それでも夢を追い続けている。
それに比べると、ジェフ・ブリッジスは、まだまだかっこ良すぎる。アル中もすぐ治っちゃうし。
そこはやっぱりドラマとしての抑制を効かせているのよ。
でも、同じように落ちぶれた中年男を描いたドラマでも、ミッキー・ロークが主演した「レスラー」にはもっと切羽詰まった破れかぶれ感があったぜ。
あれは、題材がレスリングだから、あそこまでなりふり構わない演出ができたんじゃないの?
いや、「クレイジー・ハート」をけなしているわけじゃなくて、ジェフ・ブリッジスにアカデミー賞をあげるなら、ミッキー・ロークにもあげて良かったんじゃないの、とふと思ったもんだからさ。
ふたりとも、賞をもらったからって天狗になるような歳じゃないしね。
そう、俺と同じようにな。
何言ってるの。あなたには、そもそも天狗になるような才能なんてないじゃない。
むふっ。





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「春との旅」:亀沢四丁目バス停付近の会話

2010-06-23 | ★業10系統(新橋~業平橋)

家庭センターかあ。一緒に暮らすことを兄弟に拒否された老人の相談にも乗ってくれるのかなあ。
ここは、子どもに関する相談に乗るところみたいよ。
じゃあ、「春との旅」に出てくるような老人は、身の振り方をどこに相談すればいいんだ?
小林政広監督の「春との旅」は、19歳の孫娘と北海道の漁村で暮らす老人が、孫娘を独り立ちさせるために、自分は兄弟のところに身を寄せようと道内や東北を回るが、行く先々で煙たがられるという話。
そりゃそうだよなあ。なにしろ、老人ていうのが、あの仲代達矢なんだぜ。あんなリア王みたいなじっちゃんが突然やってきていきなり「一緒に暮らしたい」なんて言われたら、血を分けた兄弟だって拒絶反応を起こすぜ。
その兄弟や家族たちを演じるのが、大滝秀治、菅井きん、田中裕子、淡島千影、柄本明といったベテラン俳優の面々。
見た目にも、仲代達矢と一緒に暮らせるとは思えない。
それぞれ出番は少ないのに、存在感を示して、登場シーンではみんながみんな場面をさらっていく。
大滝秀治が妻役の菅井きんの肩を抱き寄せる。それだけでもう、万感の思いがこもったシーンになっちゃうんだもんねえ。
淡島千景なんて、近頃とんとご無沙汰だから引退でもしたのかと思ってたら、矍鑠たるおばあちゃんを全然ブランクなく演じて、あの仲代達矢がタジタジになるんだから見ものだわ。
そういうひとくせもふたくせもある連中の中でひとり、孫娘役の徳永えりだけがまっすぐな演技で映画を支えている。
ほんと、加齢臭プンプンの中で、彼女の清潔感は、文字通り一服の清涼剤よね。
小柄な徳永えりが両腕を開いてがにまたでチョコチョコ走っていく姿は、なにやらアニメの登場人物みたいに見えなくもないんだけど、どっしり構えた老人たちの演技合戦の中で絶妙なアクセントになっていて、映画がじじくさくなるのを救っている。
どんな名演より、実はあの走りがいちばん映画の質感を決めているのかもしれないわね。
まあ、暑苦しい連中ばかりの中で、撮影中は徳永えりも相当プレッシャーを受けていたと思うけど、いままでどちらかといえば脇役が多かった彼女も、これで脚光を浴びるようになると嬉しいな。
結局、仲代達矢に「一緒に暮らさないか」って声をかけるのが血のつながっていない人物だったなんて、小津安二郎の「東京物語」みたいな展開だけどね。
でも、主演の仲代達矢が笠智衆みたいに枯れていないっていうのがミソでね。
笠智衆なら一緒に暮らしてもいいかもしれないけど、仲代達矢じゃちょっとねえ。
やっぱり、家庭センターに相談するしかないかな。
だから、家庭センターは子どもの相談を受けるところなんだって言ったじゃない。あなたもそろそろボケが始まったんじゃないの?
やばっ。





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「闇の列車、光の旅」:緑三丁目バス停付近の会話

2010-06-19 | ★業10系統(新橋~業平橋)

こんなところに、相撲部屋がある。
宮城野部屋っていえば、モンゴル出身の白鵬がいる部屋だぞ。
いろいろ話題になっている相撲界だけど、外国出身力士の活躍にめざましいものがあるのはたしかよね。
ホンジュラスからアメリカをめざす移民たちの中にも、国を離れて一旗あげようという人たちがいるんだろうな。
そんな希望に満ちたものじゃないわよ、「闇の列車、光の旅」に出てくる不法移民たちは。なにしろ、貨物列車の屋根に乗り、メキシコを抜けてアメリカにたどり着こうっていうんだから。
なんか、戦争中のアウシュビッツに向う貨車の上にでも乗っているんじゃないかっていうような悲壮感がある。
列車から見える風景が牧歌的なのと対照的に、屋根の上の人々の顔は不安におびえている。
自由とチャンスの国への希望というより、地獄の暮らしからの命をかけた逃避行っていう趣だもんね。
警察に追われて強制送還される恐怖を抱えながら、とにかく無事にアメリカにたどり着くことを祈っている。
そればかりじゃなく、メキシコの凶暴なギャング団に狙われたりする。
そのギャング団の中のひとりの少年と不法移民の中のひとりの少女が、ひょんなことから一緒に逃げるようになる。
この二人、あまりに過酷な環境の中での出会いすぎて、決して恋を語る余裕なんかないんだけど、演じる二人の純粋さのせいか、なんか、南米のロミオとジュリエットみたいな雰囲気が漂ってくる。
とくに、あの少女。太い眉とコーヒーブラウンの肌がいかにも南米っていう感じで印象に残る。
まあ、AKB48あたりにはいないような顔だ。それだけに生きることの本質をつきつけてくるようなところがあって、圧倒させられる。
列車に乗って旅をするなんていうと、かつてのアメリカ映画によく出てきたホーボーのように、どこかしらのどかな気分がしちゃうんだけど、いまの現実は過酷そのものだもんね。
映画にでてきたメキシコの凶悪なギャング団もほんとうにいるらしいしな。
小学生くらいの少年が拳銃で人殺しをしたりする。日本じゃ考えられないけどね。
列車の通り過ぎる沿線の人々がまた、みかんを放って応援をしてくれる人々もいれば、石を投げつけて悪意を露わにする人々もいて、いずれにしろ、こういう形の移民が半ば公然の事実になっていることがわかる。
監督は、日系アメリカ人のキャリー・ジョージ・フクナガ。
監督の祖先も移民だったっていうわけか。
それを言ったら、アメリカ人の祖先なんて、みんな移民なんだけどね。
でも、不法移民はいまだにアメリカの大きな社会問題になっている。
これだけの苦労をしてたどりついたアメリカが、彼らにとってほんとうにいい国かどうかはわからないっていうことね。残酷な話だなあ。
無事に着いたら着いたでまた、ふんどしを締め直してかからなきゃいけないな。
あれ、突然おかしな表現になって、どうしちゃったの?
いや、あそこ、相撲部屋の上に見える黒いもの、あれ、力士のふんどしだからさ。
ええっ!





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「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」:立川バス停付近の会話

2010-06-16 | ★業10系統(新橋~業平橋)

こんなところに鎌倉があるとは思わなかったな。
鎌倉?鎌倉って、有名な芸能人の名前かなにか?
おいおい、「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」に出てくる安藤サクラみたいなこと、言うなよ。
彼女は“網走”を、芸能人の名前と勘違いしたのよ。
無知ということでは、似たようなもんだ。
無知で無学な男の子二人とちょっと頭のイカレた女の子一人が成り行きから網走をめざすという映画が「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」。
男二人を松田翔太、高良健吾が、女一人を安藤サクラが演じている。
男二人に女一人の組み合わせといえば、「冒険者たち」「明日に向って撃て!」の昔からロードムービーの定番よね。
男二人がイケメンていうところもな。
女一人もだいたい美人って相場が決まっているんだけど、今回ばかりはそうじゃなかった。
女まで美人にすると話がきれいになりすぎるんで、監督が敢えて避けたんじゃないか。
うん。「冒険者たち」や「明日に向って撃て!」と違って、ロマンもへったくれもない映画だったもんね。
施設上がりで、簡単な計算もできなければ、自分たちじゃあ人生も選べないような最底辺にいる若者たちのドンヅマリの話だからな。
何かを壊すことでしかこの世界を変えられないと思っている。
その彼らの仕事が電動ブレーカーでひたすら壁を壊す仕事だっていうのも皮肉だ。
とうとうこらえ切らなくなって、盗んだバイクで荒涼たる北海道を目指す。
自分たちを覆っているなにかを壊しに。
でも、それがなんだかわからない。
監督が「ゲルマニウムの夜」の大森立嗣だから暗い映画になるんだろうなあと思っていたら、予想通りだった。
心に何かざらりとした鬱屈が残るというのも予想通りだった。
鬱屈というより、底知れない心の闇を表現していたのが、松田翔太の兄を演じた宮崎将。
松田翔太との再会シーンでは、信じられないような狂気を見せて、場面をさらった。
超低温でグツグツとたぎっているような、見たこともない狂気。
親切に物語を説明してくれる映画じゃないから、軽い気持ちでは観れないんだけど、一瞬出てくる洞口依子の表情とか、相変わらずマイナーな新井浩文とか、実は見るべきものがいっぱいある。
もちろん、いちばんの収穫は、主役の三人だ。
アンサンブルがとにかく絶品。
松田翔太や高良健吾がここまでいい俳優だとは思わなかったな。
安藤サクラがうまいのは知ってたけどね。
でも、「告白」「アウトレイジ」と続いて、さらにまたこういう寒々しく閉塞した映画を観ちゃうと、映画の出来に関係なく、日本っていう国はだいじょうぶかよと思っちゃうな。
閉塞日本三部作とでも呼びたいような映画群だもんね。
告白」はその子ども編、「アウトレイジ」はそのおとな編、「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」はその若者編っていう感じね。
ケンタとジュンとカヨちゃんの国、日本。
“鎌倉”が何かも知らない女のいる国、日本。
知ってるわよ。“いいくにつくろう、鎌倉幕府”でしょ?
いいくにかあ・・・。






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