【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「BALLAD 名もなき恋のうた」:亀戸駅前バス停付近の会話

2009-09-05 | ★亀29系統(なぎさニュータウン~亀戸駅)

手前に見えるのぼりのマーク、「BALLAD 名もなき恋のうた」で草剛が被る兜の模様に似てない?
これは丸いのが三つだけど、あれは丸いのが二つだったわよ。
じゃあ、「BALLAD」の出来は星二つ。
なに、そのおおざっぱな評価。
いいんだ、おおざっぱな映画だったんだから。
そんなことはないでしょう。クレヨンしんちゃんの「嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」の実写化なんだから。
たしかに、山城の再現とか、戦国時代の戦いの仕方とか、これまでの時代劇に比べると、ずっと史実に近いんじゃないかと思わされるようで、時代の再現には細心の精力を注いだ跡が見えて、さすが「ALWAYS 三丁目の夕日」のスタッフだと感心はした。
だったら満足できたんじゃないの?
ところが、そこで繰り広げられる物語が、いくらアニメの翻訳とはいえ、生身の人間がやると底が浅く見えてしかたなかった。
そうかしら。姫と武将の身分違いの恋なんて、実写映画にだってたびたび取り上げられているテーマよ。
そういう身分違いの恋には、引き裂かれる力が働くものなんだけど、この映画はその引き裂く力が弱くて、それだけに悲恋が盛り上がらない。
敵の大名が姫をめとりに来るなんて、相当な力だと思うんだけど。
でも、ものわかりのいい父親は、姫をやらないっていう決断をあっけなくしてしまう。身分違いと言っても、身内に敵がいないんじゃあ、たいした悲恋にはならないだろう。
現代からやってきたしんちゃんの幼い説得がきくのも、もともと二人の壁が低かったからっていうことね。
しんちゃんがいきなり異世界に投げ込まれたことに不安を覚えるという描写もないし。
実にあっけなく現代に戻れる。
時代は戦国時代だぜ。殺すか殺されるかっていう時代なのに、車の中からのほほんと合戦のようすを眺めてていいのかよ。いくら、しんちゃんでも緊張感なさすぎ。
弱肉強食の時代の武将が、しんちゃんの懇願が効いたとはいえ、あんな形で敵に情けをかけるなんていうこともありえないかもね。
本来、こどもの目から見た世界とおとなの目から見た世界は違うんだっていうことをわからせるべき厳しいシーンにすべきだったんだ。
暗転が入ったのはそういう意味かと思ったら違った。
敵の大将も、それでおめおめと引き下がるなんて、とどめを刺されるよりかっこ悪いはずだ。
きっと監督がいい人なのよね。だから、「ALWAYS 三丁目の夕日」のような人情劇の世界を描くときにはプラスの面に働くんだけど、厳しい世界を描くときには、マイナスの面に働くのかもしれない。
とにかく、合戦というのは本質的に残酷な殺し合いなんだってことにもっと自覚的でないと、肝心なところを逃げた映画だっていう印象しか与えない。
「逃げないことに決めた」っていうのがテーマの映画なのにね。
姫役の新垣結衣はよかったけどな。
あなたの場合、新垣結衣は出ていればなんでもいいんでしょ。
ああ。名前が売れてなかった「ドラゴン桜」のころからぞっこんよ。
それこそ、名もなき恋のうたね。
それを言うなら、モテモテだ。




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「グッド・バッド・ウィアード」:亀戸駅通りバス停付近の会話

2009-09-02 | ★亀29系統(なぎさニュータウン~亀戸駅)

ドン・キホーテって、ごちゃごちゃといろんな物が置いてあって、満州の闇市みたいなところだよな。
満州の闇市?
ああ。韓国映画「グッド・バッド・ウィアード」に出てくるような雑然とした闇市。
いくらなんでも、あそこまで無秩序じゃないでしょう。
でも、いちど、ドン・キホーテを舞台にしたアクション映画が観てみたいな。狭い通路を逃げる男たち。山積みにされた商品をかきわけて追う男たち。安売りの値札は飛び散り、カートはぶっ壊れ、足元では小物が床をどこまでも転がる。客も店員も入り乱れての大攻防戦!
「グッド・バッド・ウィアード」の影響受け過ぎじゃない?
「グッド・バッド・ウィアード」は、もっとスケールが大きい。なんといっても広大な大陸の話だ。
1930年代の満州を舞台にした大活劇。隅から隅までウェスタンを意識した韓国版西部劇になっている。
韓国製西部劇なんていうと、奇をてらっただけのちゃちな映画なんじゃないの、って思うかもしれないけど、これがどうして堂々とした大作だった。
堂々としているかどうかはともかく、地平線まで何もない広大な平原とか、魑魅魍魎が跋扈しそうな闇市とか、たしかに西部劇の道具立てはばっちりそろっていた。
その中で、悪党たちが秘密の地図を奪い合い、地図に書かれた宝の山をめざす。
戦争直前の満州だから、韓国人もいれば、中国人も、日本人も、ロシア人もいる。まさに西部劇でいうフロンティアと同じゴッタ煮状態。どんな荒唐無稽な話もまかり通る。うまいところに目をつけたわよね。
とにかく、開巻直後の列車強盗からしてスピーディーきわまるアクションの連続で、血沸き、肉躍るとはこのことだ。
だだっ広い大地を白煙を吐いて疾走する列車。金品を狙うコソ泥、馬で襲う蛮族、屋根に乗る賞金稼ぎ。
西部劇のお約束がぜんぶ詰まってる。
あなたの言う、ドン・キホーテのような闇市での壮烈なアクションがあったりして、最後は、人馬入り乱れての追撃戦へとなだれこむ。
宝の地図を持ったコソ泥を、蛮族が追い、ギャングのボスが追い、賞金稼ぎが追い、日本軍までが追いかける。
風になびく馬のたてがみ。舞い上がる砂塵。いななく声。撃たれて倒れる音。
その全貌をあるときは至近距離から、あるときは空の上から、変幻自在にカメラが追う。
イモトアヤコが走っても24時間じゃ走り切らないような、壮大な平原で延々と続く追跡劇は理屈抜きに気持ちがいい。
まさしく、映画。まさしく、モーション・ピクチャー。いやあ、こういう映画こそ大画面で観るに限るな。
その風景に負けじと、ソン・ガンホ、イ・ビョンホン、チョン・ウソンといった、韓国を代表するトップ男優たちが、うさんくさい連中を嬉々として演じている。
ひらりと馬にまたがるわ、器用にライフルを振り回すわ、風にコートをたなびかせるわ、これ以上内ない目力で見得を切るわ。やりたい放題。
そのぶん、登場人物の心情とか、人間関係の機微とかは、まったくないんだけどね。
そんな細かいことを考える暇があったら、アクションを楽しめっていう男気がうれしいじゃないか。かっこいいとは、こういうことさ。
でも、最後の三すくみの対決は、もうちょっとすっきりと勝ち負けが決まってもよかったと思うんだけど。
そんなちっちゃいことは気にしないの。
そもそも、あれだけの銃弾の中で主人公たちには一発も当たらないって、おかしくない?
だから、そんなちっちゃいことは気にしない、ワカチコ、ワカチコ。
地図を見なくてもみんな宝の山の近くまで来れちゃうのもヘンよね。あの地図はいったい何だったのって思っちゃう。
だから、小さなことは気にしない。ワカチコ、ワカチコ。
あなた、興奮しすぎて、理性に欠けてない?
それでいいんだ。きっと、監督のキム・ジウンは、西部劇を観過ぎて偉大な妄想に陥った男なんだから。
それって、騎士道物語を読み過ぎて偉大な妄想に陥った男みたいね。
何ていう名前の男だ?
ドン・キホーテ。
うわっ、偉大。




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「女の子ものがたり」:五ノ橋バス停付近の会話

2009-08-29 | ★亀29系統(なぎさニュータウン~亀戸駅)

「ポスター、貼り紙はお断りします」って、落書きもいけないのかしら?
当たり前だろ。
でも、廃屋の壁にかわいらしい絵を描くのはいいわよね。
森岡利行監督の「女の子ものがたり」みたいに?
そう。西原理恵子の自伝的漫画の映画化。緑しかない片田舎の廃屋に高校生の大後寿々花がパステル調の絵を描く。
そんな女の子は、やがて都会へ出て漫画家になる・・・。
漫画家になった後を演じるのは、深津絵里。
田舎の女の子三人の小学生時代からおとなになるまでの友情物語だから、時代によって演じる女優が変わる。
でも、不自然さは全然なかった。
なるほど、こういう女の子が、こういう風に成長するんだろうと納得させられる。
いい若手女優がそろったっていう感じよね。
女の子の友情物語といっても、家が貧乏で、いじめと男の暴力にまみれた青春の話だから、相当悲惨な境遇なんだけど、女優たちのはつらつとした姿と、過剰さを避けた落ち着いた演出で、画面から受ける印象は、さわやかな青春映画に仕上がっている。
廃屋の絵のように、映画全体がパステル調に彩られている感じ。
とくに、女の子たちの身にまとう服の色が印象的だった。
青、ピンク、黄色・・・。絶望の中に小さな希望がゆらめくようで、鮮やかに目に映える。
ラストの主題歌を持田香織が歌っているんだけど、映画全体に、彼女の歌声そのままの感じの優しい視線が注がれていた。
世間から見れば決して恵まれているとは言えない女の子たちに、小さく、ファイト!って声をかけているような映画よね。
本当は、幼い頃から将来が見えてしまった女の子たちの、あきらめにも似た青春物語なんだけどね。
夢とか希望とかハナから捨てている、ドン詰まりの青春。
どんよりとした田舎から出ることもなく、母親たちの世代のように、じめじめと生きていかなければいけないと、若くして悟ってしまっている。
だから、せめて漫画家志望の女の子にだけには自分たちの果たせない夢を託す。
とても逆説的な言い方でな。
何て言ったかは、映画を観てもらうしかないんだけど、ああいう形でしか友情を示せない状況がどうしようもなく悲しくて、胸が痛む。
映画の表面的な口当たりの良さとうらはらに、世の中の不条理が心に重く残る。
「女の子ものがたり」なんていいながら、相当おとなの映画よね。
監督の森岡利行は、ボクサー森岡栄治を描いた「子猫の涙」といい、高く飛ぶことのできない青春を描かせたら、とても手堅い映画監督で、本来もっと評価をされてもいいんじゃないか。
じゃあ、「森岡利行をもっと応援しよう」って、貼り紙でもしようかしら。
それはダメだ。貼り紙禁止だ。
だよね。




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「ちゃんと伝える」:西大島駅前バス停付近の会話

2009-08-26 | ★亀29系統(なぎさニュータウン~亀戸駅)

何て書いてあるのかしら。
「青少年に愛の手を」。
ずいぶんストレートなメッセージね。ちゃんと伝わるかしら。
だいじょうぶ。ストレートなメッセージはちゃんと伝わるさ。
あら、たいした自信ね。その自信はどこから来るの?
園子温の新作「ちゃんと伝える」を観たからさ。
園子温っていえば、「紀子の食卓」とか「愛のむきだし」とか、ストレートとは程遠い、やたらいびつな傑作をつくってきた監督だけど。
ちゃんと伝える、というより、恥も外聞もなく、無理やりにでも伝えるって印象だった。
とにかく、異常な熱気で押し通しちゃう。
その監督が、今回はそのいびつな部分を全部削ぎ落として、実にオーソドックスな映画をつくった。
そんなこと言っても、主演がEXILEのAKIRA。オーソドックスになんてならないんじゃないのと思っていたけど。
そのAKIRAがまた、予想に反して、派手なところのまるでない堅実な若者を好演している。
物語の中心にあるのは父と息子のコミュニケーション。そういう意味では前作の「愛のむきだし」からつながっている。
主題はそのままに、手法を従来の日本映画寄りに転調して描いたっていえば、近いかな。
でも、前作とこんなに表現に温度差があって、突然どうしちゃったのかしらね、園子温。
「ちゃんと伝える」は、がんで死にそうな父親を見守る息子の話だからな。さすがに、飛んだり跳ねたりできないのかもしれない。
その息子のほうにも父親に言えない秘密がある。ちゃんと伝えたいことが伝えられないもどかしさ。
やがて、湖のほとりにたたずむ二人。その背中。
息子は、父親の背中を見て育つっていうけど、父子の背中が並んでしまう。ああいう形でしかあふれる思いを伝えられないかと思うと、胸がつまるわ。
でも、きっとあれでちゃんと伝えられたんだよ。
会話はないけど?
そう、ことばにできない思い。
イタリア映画の「湖のほとりで」に出てきたような静かな湖のシーンだった。
最後には、実父に捧ぐ、っていう監督のメッセージが出てくる。父親の顔を思い浮かべながらつくると、誰しもこういう実直な映画をつくってしまうということなのかもしれないな。
園子温がどういう映画をつくって来たかを知らずにこの映画を観れば、日本映画のよき伝統を受け継いだ、心に触れる映画だって満足できるかもしれないわね。
おいおい、同じ監督だからって、いつもいつも同じような映画をつくるとは限らないぜ。題材によっては、こういう、ある意味、教科書のような映画をつくれるってことは、才能がある証拠だ。ミニシアターだけでなく、同じように父をおくる映画「おくりびと」を上映した映画館でもかけてほしいと思ったね。
それを伝えたかったの?
ああ、ちゃんと伝えたかった。




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「南極料理人」:大島一丁目バス停付近の会話

2009-08-22 | ★亀29系統(なぎさニュータウン~亀戸駅)

ハトにエサをやるのはまずいかもしれないけど、南極観測隊にはエサをやらないとな。
エサ?お国のために極地でがんばっている人たちにエサとは失礼でしょ。
あ、これは失言。でも、「南極料理人」に出てくる観測隊員は、探検家というより、我々と変わらない、ごく一般の男たちに見える。
たしかに、みんな自動車会社とか通信会社とかから派遣された、ただのサラリーマンだもんね。
そういった混成部隊の南極での日常を、専属コックの視点からユーモラスに描いたのが沖田修一監督の「南極料理人」。
堺雅人演じるコック自身、いやいや南極に派遣されてる。
娘の抜けた乳歯をお守り代わりにしてな。
高良健吾扮する、大学院から派遣された青年なんて、高い電話で一生懸命恋人と会話を交わすものの、結局ふられてしまう。
あれは、心の旅だな。
心の旅?
ああ、チューリップの“心の旅”。 遠く離れてしまえば愛は終わるといった  ってな。
そして、一番近くにいた女性と恋に落ちる。
恋愛に距離は大事だってことだ。
でも、南極で一番近くにいる女性っていったって、実際には相当離れていることには変わりないわよ。
いいんだ。俺は心の旅の話をしているんだ。
よくわからないけど、南極観測は心の旅なのね。
堺雅人も最後に呟いている、「僕は本当に南極に行ったんだろうか」って。長くて遠い心の旅をしていたってことだ。
その割に何かを学んだとか成長したとかっていう話でもないけどね。日本に戻ってくれば、また日本の日常が始まるだけ。
過酷な状況に置かれた人間たちがどう変わっていうか、っていう視点よりは、南極での日常生活を淡々と描くほうに力点を置いているからな。
人間ドラマではなく、生活の点描に軸足がある。そこがいいんじゃない?
そこが今風でもあり、ちょっと物足りないところでもある。
もっと濃密な人間ドラマを期待していた?
いや、そんなことはないけど、あれだけ隔離された場所なんだから、人間の本質がぬめっと現れる場面があってもよかったんじゃないか。
ラーメンが底をついて隊長がパニックになるシーンなんてそれに近いんじゃないの?
でも、それを深く掘り下げるわけでもなく、一エピソードとして扱っている。
そうは言うけど、南極を極限状況としてとらえ、その中に人間の本質をあぶりだそうとした韓国映画の「南極日誌」は、みごとに失敗に終わっているわよ。
ああ、あれは、ホラーだかなんだか、スタッフ自身が南極の白い世界の前に混乱しちゃった壮大な失敗作だった。
それに比べれば、「南極料理人」はスケールは小さいものの、結局、人は食べることが第一なんだという、誰もが食いつきやすい視点から入っているから、観ていて共感を覚える。
うん、少なくともラーメンが食いたい気分にはなった。
そうそう、ラストシーンはやっぱりラーメンで締めてほしかったな。
隊長の名前は小池さんにしてほしかったな。
そんなことしたら、あなたの期待する人間ドラマとはますます遠く離れてしまうけど。
 遠く離れてしまえば愛は終わるといった  
この人、混乱してる・・・。




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