【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊2.0」:森下駅前バス停付近の会話

2008-07-30 | ★門33系統(豊海水産埠頭~亀戸駅)

深川小学校って、昔はこんなところにあったのね。
思い起こせば、小学校のころって、この時期はいつも机にかじりついて一学期の復習をしたてなあ。
嘘ばっかり・・・。
そんなことはないぜ。今年だって、押井守の「スカイ・クロラ」を観るからにはちゃんと復習しておかなくちゃいけないと思って、彼の旧作の「GHOST IN THE SHELL」を観直したんだから。
そういう復習と学校の復習を一緒にするなんて、ヘンよ。それに、私たちが「GHOST IN THE SHELL」を観るのは初めてじゃない。
ばれたか。
遅すぎた復習ってところね。
別に熱烈な押井守のファンというわけじゃないんだから、許してくれ。
正直言うと、通りすがりに観たようなもんでしょ。
でも、13年も前の映画にしては古びた感じがしなかった。
2.0っていうことで、今回、映像にも音響にも最新技術で手を入れているらしいからね。
ってことは、将来的に3.0も4.0もあり得るってことか。
10年後に3.0。20年後に4.0とか?
そのころ、俺たちは何歳だよ。
でも、アニメーションの技術は日進月歩だから、新しい技術でまた新版が登場するってことは、じゅうぶん考えられる。
この映画自体、日進月歩の技術革新の果てに何が起きるかを描いているような映画だったからな。
崖の上のポニョ」みたいな映画を観たあとに、こういう映画を観ると、宮崎駿と押井守の違いが歴然とわかっておもしろい。
それって、比べるものに違いがありすぎないか。
片や、手描き。片や、CGバリバリ。
文明の行く末を降りて原初に戻るところから人間とは何かを問う姿勢と、片や、文明の行く末を突き詰めるところから人間とは何かを問う姿勢の方向性の違いが現れてるってことか。
どちらも根本のテーマは結構奥深くて、とくに「GHOST IN THE SHELL」なんて、生物とは何か、DNAとは何かっていう哲学的な問いを思索する映画になっている。
そこが、この映画が高い評価を受けた要因のひとつなんだろうな。その思索が絵と一体化している強さ。世界観ができあがっているから、いま観ても古びない。
問題は、あの音楽よね。
音楽?どうして問題なんだ?仏教音楽みたいな、エキゾチズムあふれる音楽。この映画の世界観にぴったりだったぜ。
そうかもしれないけど、あのドロドロした感じはどうにも耳になじめなくてダメだったなあ。それこそ、「崖の上のポニョ」と真逆の世界。
おいおい、この映画にポニョの音楽はないだろう。
たとえば、の話よ。
それにしたって、まったく方向性の違う映画なんだから、二本の映画を比べても意味ないだろう。
でも、押井守が監修したっていう愛知万博のパビリオンを訪れたときのことを思い出しちゃったわ。
ああ、あそこにも結構重たい音楽が流れてたな。
凡人には全然理解できないパビリオン。
頭で考えちゃダメさ。理解するより感じることだ。
でも、「GHOST IN THE SHELL」は相当理屈っぽい映画だったわよ。いかにも理系の人間がつくりました、って感じの。
たしかに、最近の宮崎駿の映画は文系で、押井守の映画は理系って感じがしないこともない。
こんどの「スカイ・クロラ」はどっちなのかしらね。
まあ、深川小学校とかの子どもたちなら文系も理系もないわけで、おもしろければどっちでもいいけどな。



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「1978年、冬。」:高橋バス停付近の会話

2008-07-26 | ★門33系統(豊海水産埠頭~亀戸駅)

こんなところに船着き場があるとは知らなかった。
通勤客が使う船なのかしら。
まさか。東京のど真ん中を船で通勤なんてあんまり聞かないぜ。
でも、中国では、貨物列車で通勤しているみたいだし。
「1978年、冬。」に出てきた情景だろ。でも、あれは30年も前の物語だ。
中国の地方都市の暮らしを点描した、淡い感触の映画だったわね。
主人公は北京から来た少女に憧れる地元の少年とその弟。
多くの中国映画の佳作と同じように、ほとんど会話らしい会話もなく、目線と仕草でつつましい物語がつづられていく。
こういう映画を観ると、豊かさって何だろうって、いつもつくづく思うんだよなあ。
日本人が繁栄の中で置き忘れてきた素朴さがあるのよねえ。
それって何?って聞かれてもなかなか説明しづらいんだけどな。
家族の情愛とか、日々の暮らしとか、ささやかな夢とか、ことばにすると、そんなものかもしれないんだけどね。
わびしい食卓とか荒れた工場とか、ぜいたくな物が何ひとつない風景の中で繰り広げられる物語には、たいしてドラマらしいドラマもないんだけど、物に囲まれた自分の暮らしをついつい振り返ってしまうようなところがあるよな。
懐かしいというか、どこかにあったはずの暮らしの息遣い・・・。
というと、実に共感を誘う映画っていう感じがするんだけど、いままでのこの手の中国映画には、どこかしらハッとするような映画的なギミックがあったのに、今回は実直なばかりで、一本の映画としてはあまり新鮮な部分がなかったような気がするな。
鮮度がないってこと?
ああ、最近でいえば「孔雀」に出てきた落下傘とか「長江哀歌」に出てきたロケットとか、ハッとするような飛躍がない。
それだけ、素朴な映画だったってことじゃない。この映画の場合、そういう突出したシーンが出てきたら、かえって台無しになっちゃうんじゃないの?
しかし、「孔雀」や「長江哀歌」はそういうシーンがあっても全体の統一感はまったく崩れていなかったぜ。
そういう意味では、この映画にももう少しオリジナリティがあってもよかったかもしれないわね。
1978年といえば、毛沢東の独裁体制が終わったばかりで、中国人が観ればもっと感慨深いシーンがたくさんあったのかもしれないけど、俺は日本人だし、まだ生まれてなかったからそこまではわからなかったな。
ちょ、ちょっと、待って。いま、どさくさに紛れておかしなこと言わなかった?
え?
1978年には生まれていなかったとか何とか。
え、そんなこと言ったか。
年齢をごまかすなんてサイテーよ。
しかし、お前だってアンケートに自分の年齢を書くときは必ず4つ、5つ、ごまかして書いているじゃないか。
この映画に出てくるような素朴な人間にはなれないってことね、私たちは。


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「百万円と苦虫女」:清澄白河駅前バス停付近の会話

2008-07-23 | ★門33系統(豊海水産埠頭~亀戸駅)

ラーメン屋の前を通ると、アルバイトをしていたころを思い出すな。
指をどんぶりの中に突っこんで客の前に出して、いっつも店長に怒られてたわね。
いや、ああすると指の油がいい具合にスープに溶けこんで、絶妙な味わいが生まれるんだ。
うそばっかり。
はは、ばれたか。
おかげで何度ラーメン屋をクビになったことか。
それにひきかえ、「百万円と苦虫女」の蒼井優の器用なこと。カキ氷つくりも桃もぎもいっぺんでコツを覚えちゃうんだから感心するな。フリーター時代の最先端を行く才能の持ち主だぜ。
アルバイトで100万円貯めては、また次のアルバイトを探して引越しするという、友だちのいない女の子の物語。
ひとところにいることで人と親密になるのがイヤ、っていう、いかにも最近いそうな女の子だ。
奇妙なタイトルから、相当、根暗でひねくれた物語かと思ったけど、蒼井優の人柄のせいか、意外にストレートな青春映画に仕上がっていたわ。
彼女の苦虫をかみつぶしたようなつくり笑いが印象的な映画ではあったけど、タイトルはもうちょっときれいでもよかったかもしれないな。
自意識過剰と自信のなさの固まりみたいな、そうとうとっつきにくい女の子を演じているんだけど、容姿がかわいいから回りがほっとかないのよね。
そういやあ、アルバイト先で起こる事件は、ナンパされかかるとか、ミス・ピーチに選ばれかかるとか、かわいい女の子ならではのエピソードだったな。
私が同じような行動をとっていたらいまごろどうなっていたか、と思うと暗澹たる気持ちになるわ。
まあまあ、そう肩を落とすな。映画なんだから、もっとポジティブに楽しめよ。
後半は、森山未来との恋愛模様。その中で、自分の殻に閉じこもっていた蒼井優が徐々に考えを改め始める。やっぱり、女には男なのよね、男。
なに、いじけているんだよ。
女優と比べちゃいけないと思いつつ、つい、我とわが身を振り返っちゃうわけよ。
そんな、蒼井優に対抗心を感じるような年じゃないだろう。
女はいくつになっても女なのよ。
ふーん、よくわからん。
でも、最後が、ハッピーエンドというより、現実のほろ苦さを投影した微妙な幕切れだったから許しちゃうわ。
そうそう、それでこそ、正しい映画の見方だ。
そうやって考えると、蒼井優の困ったような、会話にならない会話を堪能する映画でもあったわね。
現実には、立て板に水のように自分の気持ちを表明するヤツなんていないわけで、ああいうたどたどしい会話には、いちいち共感しちゃうよな。
こういう自然体の映画が最近の日本映画には多いわね。みんな佳作で拾いもの。
つくりものが好きな人は、テレビ番組の映画版で楽しみなさいっていうことかな。
蒼井優が見せる自意識過剰も自信のなさも、青春期を通り過ぎた人なら、多かれ少なかれみんな経験していることだし。
やっぱり、ひとごととは思えない。
うん、ひとごととは思えない。
容姿を除いては。
言わないで!


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「崖の上のポニョ」:清澄庭園前バス停付近の会話

2008-07-19 | ★門33系統(豊海水産埠頭~亀戸駅)

おい、この手水鉢の中に何か見えたぞ。
ひょっとして、ポニョかしら。
うーん、あれは海にいる魚だからな。
うん、海で生まれたんだけど、人間になりたくて一生懸命努力する魚の女の子。
って、人間になるためにそんなに努力したか?たまたま人間の血をなめちゃっただけに思えるけど。
そう言われちゃ身も蓋もないけど、固いこと言わなくていいじゃないの。「となりのトトロ」のメイをほうふつとさせる、いかにも宮崎駿らしい、元気な女の子だったんだから。
いや、ほんと。あれは、どう見てもメイの生まれ変わりだ。前世は人間のメイだったのに、何の因果か魚に生まれ変わってしまって、人間に戻りたいようっていう物語だな。
それは考え過ぎだと思うけど。
たしかに。「となりのトトロ」ほど豊かな情感はないし、ポニョ以外に愛嬌のある生き物も出てこなかったしな。
あら、結構手厳しいのね、天下の宮崎駿に対して。
いや、最初映画が始まったときのバラエティ豊かな魚たちを観ている間は、これまで一環して森とか緑とかの描き方に現われてきた自然に対する敬意が、こんどは海をテーマにして表現されるのか、と思ったんだけど、話が進むうちに、単に人間になりたい魚の子に収束していったように思えて、正直がっかりしたんだ。
でも、物語の間中、海の中にはいろんな生き物がうようよしていて、ああ、さすが宮崎駿、と思ったけどね。
海の中の表現というならすでに「ファインディング・ニモ」という傑作があるわけで、CGと手描きとどっちが豊かな表現かという問題はあるかもしれないけど、とくに新鮮味があるわけではなかった。
CGと手描きじゃ、大違いじゃない。今回はあくまでも手描きにこだわって絵本風の触感を漂わせたかったっていうのがよくわかる出来だったわ。
話もいたってシンプルだしな。
そうよ。前作の「ハウルの動く城」がグチャグチャなストーリーになってしまったのに比べれば、ずいぶん単純でわかりやすい物語になったと思わない?
ところが、ストーリーはいたってシンプルなんだけど、ポニョの父親や母親が何を考えて行動しているのかいまひとつ要領を得なくて、実は裏側にものすごい哲学があるんじゃないかと勘ぐりたくもなる。
どういうこと?
たとえば、「月があんなに近づいている」とか言われると何かありそうなんだけど、よくわからない。
というか、あなた、宮崎駿の映画だからって、深く考えすぎなんじゃないの?純粋に子ども心に戻って、動く絵のおもしろさを楽しめばいいのよ。
監督にすれば、もうストーリーを語ることにはあまり興味がなくなってきたのかもな。悪い言い方をすれば物語の細部がかなり雑だもんな。
「もののけ姫」とか「千と千尋の神隠し」とかで、行き着くところまで行ってしまったんで、これからは、もっと単純にアニメをつくることを楽しみましょう、ってことなんじゃないの?
あれだけ緻密なストーリーの映画を撮ってきた黒澤明にしたって、晩年の「夢」とか「まあだだよ」になると構成が雑になってきたもんな。宮崎駿もそういう境地に達してきたってことかな。
枯れてきたってこと?
淡白になってきたのかもしれないな。トレードマークの空を飛ぶ飛翔感に代わるものとして、海の中を泳ぐ爽快感みたいなのが出てくるのかな、と思ったらそれもなかった。
それも勝手な期待よ。爽快感はないかもしれないけど、波の描き方なんていままでにないものだったわ。
そうだな。宮崎駿が枯れるなんてありえないもんな。手水鉢の水が決して枯れないように。
そういえば、この手水鉢、何が見えてたの?
なんか、太った女の顔みたいな・・・。
悪かったわね。それって、私の顔が映ってたってことじゃない。



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「カメレオン」:平野一丁目バス停付近の会話

2008-07-16 | ★門33系統(豊海水産埠頭~亀戸駅)

10円?なんだ、これ?
何でしょうね。謎だわ。
10円じゃあ、いまどき何にも買えないだろう。昭和の時代ならまだしも。
でも、なんか愛嬌がある看板でいいじゃない。
愛嬌があるといえば、映画の「カメレオン」だろう。
ああ、あの東映アクション映画ね。もともとは、脚本家の丸山昇一が30年も前に松田優作を見込んで書いたシナリオだっていうから、どんな映画になるかと思ったら、たしかに愛嬌たっぷりな映画になってた。
松田優作とか萩原健一が活躍していたころをほうふつとさせるチンピラ映画だったな。
ちょっと時代遅れっぽい感じがなんとも心地いい。
おー、お前もとうとうそういう心境に達してきたか。
年とったってこと?
おとなになったってことよ。
なーるほど。そう考えてみると、おとなのお遊び映画ともいえるわよね。
主役の藤原竜也は、松田優作に比べるとやっぱりまだまだ若い気はするけどな。
でも、茶目っ気たっぷりに飛んだりはねたり、大活躍。儲け役じゃない?
相手役の水川あさみが、これまた蓮っ葉な感じをみなぎらせていい味を出してる。
テレビの「ラスト・フレンズ」で最終回、いきなり結婚しちゃう女の子よね。主役たちの影に隠れていたけど、ちょっと崩れた役でこれからどんどん出てくるかもよ。
それに、谷啓とか犬塚弘とか加藤治子とかひとくせもふたくせもある連中がからんでくる。
こうなってくると、昭和の匂いが漂い始めるのよね。
古い、というより懐かしい映画だな。会話、会話に小さなギミックを入れたりして、クスリとするシーンのなんと豊かなこと。
かといって、テンポはいいし。
アクションの切れも目を見張る。
大作でもなく、テレビの焼き直しでもなく、こういうふらりと見れる気楽な娯楽映画が昔はあった、っていう見本のような映画ね。
じゃあ、つくりもチープなのかというと、そんなことはなくて、国会の証人喚問のシーンの美術なんて、いかにも本物っぽい臨場感にあふれていて、テレビとは違う映画屋の心意気を見た気がした。
若いチンピラが汚職にかかわる人物の拉致現場を目撃したことからその筋の人間に追われる、なんてストーリー自体はよくある話しなんだけど、CGをいっさい使わず肉体だけで勝負するアクションと、憎いほど軽妙な会話で、魅せる、魅せる。
鉄道ファンの俺には、ローカル線がまたわけもなく郷愁をさそう。
この映画の監督、阪本順治の昔の「傷だらけの天使」にもローカル線が出てたけど、映画全体があの映画をもうちょっとハードにしたような気分もある。
まあ、職人、阪本順治監督だから、安心して観ていられるしな。
なんといっても、見所は、敵と拳銃を交換する場面。
あんなところで、あんなことするかよと思うけど、あれがあるから映画になるんだよなあ。昔の映画の雰囲気を再現したっていう意味で、阪本順治版「グラインド・ハウス」っていう言い方もできるな。
10円じゃあ観れないけど、かつては日本映画にもこんな映画があるんだって、知ってほしい気がするわね。
いや、いまでもあるってことをだ。



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