放射能汚染の心配はしなくていいのか。
それって、昔、火事の映画「タワーリング・インフェルノ」を観た人たちがほんとに怖いのは煙なのにその心配はしなくていいのか、って言ったのと同じレベルの疑問よ。
どういうレベルだ。
野暮。
そんなことはない。こういう時期だ。ひとことでもいいから、汚染がないくらい遠くへ行った、あるいは何かの手段を取ったっていうエクスキューズがほしかった。
ハリウッド映画にそこまでの機微を求めるのはムリよ。
じゃあ、最後のとってつけたようなクリスチャン・ベールのシーンはどうだ。
どういう意味?
どうとでもとってくれ、って解釈を観客に委ねてしまう、職場放棄的な監督の姿勢。「インセプション」のコマの再来か。
監督のクリストファー・ノーランはああいう謎を残す終わり方が好きなのよ、きっと。
悪役べインが実は・・・っていう種明かしもムリヤリ感がある。あれじゃあ、どんなに恐ろしげな様相をしていたって悪役としては結局小粒に見えてしまう。前作のジョーカーには及ばない。
見た目も「羊たちの沈黙」だしね。
残念ながら期待に届かぬキャラクター。
でも、クリストファー・ノーランならではのシャープな映像は今回も存分に楽しめる。
それは健在。試合中のアメフト場を端から爆発していく映像なんて、名作「ブラックサンデー」に貸してあげたいくらいの出来だ。
キャットウーマン、アン・ハサウェイも悪くない。黒の衣装に身を包み、想像以上にがんばっていた。
クリストファー・ノーラン好きには堪らない映画であることは確かだ。
問題は完全な続きものだっていうことね。初めて観る人にはわからない部分も結構あるんじゃないのかしら。
この映画、前作を観てから観るのが正解だな。
「ダークナイト三部作」いよいよ完結!と言いながら続編がつくられてもおかしくないような終わり方だしね。