【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「あの空をおぼえてる」:蔵前駅前バス停付近の会話

2008-04-30 | ★都02系統(大塚駅~錦糸町駅)

エポック社かあ・・・。
野球盤とかシルバニア・ファミリーとか、子どもたちが喜びそうなおもちゃをいっぱいつくっている会社ね。
でも、どんなにおもちゃがあっても、絵里奈はもう遊べないんだよなあ・・・。
絵里奈って、「あの空をおぼえてる」に出てくるかわいい女の子?
ああ、10歳の英治と6歳の妹の絵里奈が交通事故に遭って、英治は九死に一生を得るものの、絵里奈は死んでしまうという悲しい話だ。思い出しただけで嗚咽がこみあげる。うぐっ、うぐっ。
やめなさい。見苦しい。
あ、竹野内豊のマネしてたんだけど。
日本国民全員、わからない。
それは無念だ。うぐっ、うぐっ。
だから、やめなさいって。でも、日本映画に蔓延する“泣かせてやりゃあいいだろう”系の映画かと思っていたら、大間違いだった。
泣かせるための映画じゃなくて、泣くことからいかに立ち直るかっていう映画だからな。
幼い娘を失った両親と生き残った息子が、悲しみをどう乗りこえていくかっていう物語なのよね。
わざと涙をしぼらせるような大仰なシーンとか、とってつけたような修羅場が出てくる映画とは一線を画してほしいね。
それにしても、このおとうさん、悲劇の主人公を気取って、いつまでも自分の殻に閉じこもっちゃって、いくら娘を失ったからって、30過ぎた大のおとななんだから、少しは周囲のことも考えろっていうのよ。
そりゃあ、お前のようにコケも生えないような図太い神経を持ってりゃあ別だけど、俺や竹野内豊のように繊細な神経の持ち主にそれは無理だろう。
“俺”って言うのはよけいだけど、こういうときはきっと男親のほうが先にまいちゃうんでしょうね。
その男親を竹野内豊が静かに好演していた。これが、織田裕二とか木村拓哉だったら、全然違う展開になっていた。
なんか比較がヘンだけど、女親は、水野美紀。両親の役がふたりともアクがないんで、おしつけがましさのない、品のいい映画に仕上がったわね。
ああ。メルヘンチックな家の内部とか、リリカルな音楽とかのせいか、いい意味でとても口当たりのいい映画になっていた。心にスッと入ってくる。
その中心にいるのは、“生き残ってしまった”英治少年。
子どもは子どもなりに、おとなたちに気を使って生きているんだっていうことが、身に沁みてわかる展開だった。
とにかく、あの健気さには、私の小さな胸もつまったわ。
ああ、ほんとに小さな胸だな。神経は図太いのに。
茶化すな!
そう、そう。“お涙映画”とか、“お子様映画”とか言って、こういう映画を茶化してはいけない。去年の「バッテリー」といい、最近の日本映画の最良の部分は、実はこういうファミリー映画の中にあるんだから。
大向こうを狙うような映画だけが映画じゃないってことよね。きっちり、丁寧につくられた正統派の映画。それこそが、日本映画の質を支えているんだってこと。
エポック社の野球盤が日本のおもちゃ業界を支え続けているようにな。
なんか、強引に結びつけたみたいだけど、まあ、そういうことよね。
主題歌が平井堅っていうのだけが、またかよ、っていう気がするけど、それもご愛嬌ということで。
しょうがないわよ、映画の主題歌でひとつの“エポック”をつくった歌手なんだから。
あれ?それこそ、強引に結びつけようとしてない?
うぐっ、うぐっ。


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「アイム・ノット・ゼア」:寿三丁目バス停付近の会話

2008-04-26 | ★都02系統(大塚駅~錦糸町駅)

「大熊象牙」っていうのもなかなか凄い迫力のある名前だな。
それより私は象の寓話を思い出したわ。
象の寓話?
目の見えない人が集まって、ある人は象の足だけ触り、ある人は象の鼻だけ触り、ある人は象のしっぽだけ触り、それぞれが象をわかったつもりになってしまったっていう話。
でも、みんなのイメージを合わせなければ、ほんとうの象の姿はわからない・・・。
そう、そう。
でも、それって、映画の「アイム・ノット・ゼア」みたいな話だな。
うん、そう思った。「アイム・ノット・ゼア」はボブ・ディランをモデルにした伝説のミュージシャンの姿を六人の俳優が演じ分けているんだけど、それぞれを観ていても、彼の一面しかわからない。六人のイメージが集まって初めて一人のミュージシャンの姿が浮かび上がるっていう話。
その六人が女性もいれば黒人少年もいるという幅の広さな上に、各人の挿話が一話ずつつながっていくという構成じゅなくて、話が入り組んで進んでいくから、観ていて混乱しないかと思ったら、そんなことは全然なかった。
ひとことで言うと、ボブ・ディランの人生と歌をバラバラに解体して、監督の視線でもういちど組み立て直したっていう映画なんだけど、その視線がぶれていないから、映画も思いのほかすっきりした仕上がりになっているのよね。なぜ、こんな幅広い層の役者が演じ分けなければならないのかも納得できてくる。
転がる石のように変化し続ける人物を表現するには、こういう方法論もあったってことだよな。
きっと、ボブ・ディランのファンが観たら納得できるシーンやセリフがいっぱいあって相当盛り上がるんだろうけど、その分、彼に特別関心があるわけでもない私のような人間にはわかりにくいかな、と思ったらそんなこともなかった。あまりボブ・ディランに関心のない人間が観ても、彼の人物像がくっきりと伝わってくる。
ボブ・ディランの伝記ということを脇においても、一本の映画としてよくできているってことだ。
女でありながら男を演じたケイト・ブランシェットの演技なんて、ほんとうに見ものだったもんね。
ボブ・ディラン本人に似ているのかどうかわからないけど、しぐさから表情まで、映画を観る醍醐味を味あわせてくれた。
エリザベス:ゴールデンエイジ」のときも感じたけど、オーバーアクトがよく似合う女優よね。
でも、映画として一番印象的だったのは、リチャード・ギアのエピソードだ。
あら、それは意外。彼が演じたミューシャンのエピソードは、西部劇だか現代劇だか微妙で、映画全体の流れからちょっと浮いていたんじゃないの?
いや、そういうことじゃなくて、リチャード・ギアが列車に飛び乗るとき、行方不明になっていた愛犬が突然現れて追ってくるシーンがあって、ここだけの話、あれがいちばん心に残っている。
案外、ボブ・ディランの心象をいちばん表しているシーンだったりするのかもね。愛するものを残しても、ひとところに留まるわけにはいかないという・・・。
というか、この映画を観てボブ・ディランがわかったと思っても、俺はその手をすり抜けていっちゃうぞ、という目くばせ・・・。
そうねえ、象の全体像を把握するのは、凡人には難しいかもね。
なにしろ、「アイム・ノット・ゼア」、俺はそこにはいない、だからな。






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「フィクサー」:三筋二丁目バス停付近の会話

2008-04-23 | ★都02系統(大塚駅~錦糸町駅)

刃物研磨所?いつ誰に襲われるかわからないし、俺たちも刃物を研いでおくか。
なに、物騒なこと言ってるのよ。そんな目にあう心あたりがあるわけ?
「フィクサー」とか観てると、いつ襲われても不思議じゃない気がするじゃないか。
あれは、敏腕弁護士と大企業の幹部が争う話じゃない。私たちのような庶民にはしょせん関係のないことよ。
そんなことはないだろう。そもそもの発端は、大企業の被害者による集団訴訟なんだから。原告は俺たちと同じ庶民だぜ。
でも、その原告の影は薄くて、エリートたちだけがうごめく話だから、ちょっと他人事のような気がしちゃったな。
そうだな。発端となる事件にもう少し、新味なり切実感が感じられるとよかったかもしれない。
悪徳弁護士が正義にめざめて大企業の幹部の不正を告発していくなんて話、よくあるもんね。
その悪徳弁護士を演じるのがジョージ・クルーニー。対する大企業の幹部を演じるのがイギリス女優のティルダ・スウィントン。
出世や名誉のためなら手段を選ばない女性。裏で殺し屋を雇って邪魔者を消していく。
でも、脇の下には汗をいっぱいかいたりして、肝が座っているわけでもない。
ああいう女性が自分の脇の下の汗を気にするなんてシーン、映画で初めて観たような気がするわ。ティルダ・スウィントンは、あれでアカデミー賞を獲れたのかしら。
あれがほんとの“脇役”か?
私も脇の下には気をつけなくちゃ。
って、こんなところで腕を上げるな!
脇の話は脇に置いておいても、ティルダ・スウィントンはエリート女性ならではの神経質な感じがとってもよく出ていた。女性が出世するって大変なんことなんだなって、つくづく思ったわ。
お前には関係のない世界だけどな。
わからないわよ。いつ、なんどき、邪魔者を消そうと思うか・・・。
ほーら、やっぱり、刃物は研いでおかなくちゃ。ジョージ・クルーニーは、たまたま助かったけど。
そうよね、ジョージ・クルーニーは、たまたま助かっただけだもんね。
そう、そう。物語的には、あくまで偶然助かっただけなんだけど、ああいう助かり方って、何かとても今風な感じがして新鮮だった。
どうして?
去年の映画「クイーン」で女王が鹿と出会ったシーンを覚えているか。
覚えているわよ。ただ、鹿と会うだけで、物語にからんでくるわけじゃないんだけど、とても印象的なシーンだった。あれをきっかけに女王の中で何かが変わったような・・・。
ジョージ・クルーニーが助かるシーンもあれと同じで、物語の外側にあるものに、なにか天の啓示を受けたために助かってしまったという風にも見えるんだ。
え、どういうこと?
説明しづらいけど、なにか自分の来し方行く末を考えさせるような精神の彷徨・・・。
なに、タルコフスキーの映画を観たときのようなことを言ってるのよ。
まさに、あのシーンは、見方によってはタルコフスキーの映画のようでもあった。
飛躍しすぎよ。いくらジョージ・クルーニーがタルコフスキーの名作「惑星ソラリス」のリメイクに出ていたからって。
しかし、わかりやすさを旨とするアメリカ映画で、重要なポイントにああいうシーンを登場させるなんて、画期的なことだと思わないか。
なるほど。そういう見方もできるのか。でも、もっとストレートにわかりやすいほうがよかったんじゃないの?
やっぱり、刃物で解決するとか?
だから、それは物騒だって言うの。心の刃を研いでおくっていうのはどう?
なあるほど。お前らしい、よくわからない意見だ。


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「大いなる陰謀」:元浅草三丁目バス停付近の会話

2008-04-19 | ★都02系統(大塚駅~錦糸町駅)

キズもヘコミも早く直さなくちゃいけないわよねえ。
ああ、特に国家レベルのキズやヘコミはな。
あれ、なに、いきなり高邁な話になってるの?
いや、「大いなる陰謀」とか観ると、そう感じるわけさ。
トム・クルーズ、メリル・ストリープ、ロバート・レッドフォードと大御所がそろったポリティカル・フィクションのことね。
泥沼化したイラク情勢を打開しようとする政治家がトム・クルーズなんだけど、そのためにアフガニスタンでまた侵攻作戦を起こそうと企む。
というか、それで自分の政治的な名声を上げようとする意図が、見え見え。
そのためには派手な軍事作戦をぶちかます以外頭にないみたいで、ほんと、アメリカ人て根っから戦争が好きだとしか思えない。
アメリカの一部の人々、って言って。
自分自身は、戦争で殺される立場にいない人たちな。
彼を取材する報道記者がメリル・ストリープなんだけど、うさんくさい作戦に異を唱えながらも、「いまやマスコミが反対しているイラク戦争も開戦当初は大賛成してたじゃないか。マスコミにだって責任がある」なんて言われると、反論のしようがない。
そのアフガニスタンへ自分の指導する学生を心ならずも志願兵として行かせる羽目になってしまった大学教授が、ロバート・レッドフォード。
ヒスパニック系とアフリカ系の学生で、生きて還ってくれば、学費が免除される。
たしかマイケル・ムーアのドキュメンタリー「華氏911」でも取り上げられていたな、イラクで殺される志願兵は、しかたなく戦争へ行った貧しい階層の若者ばかりだって。
そういう深刻なテーマなんで、ある意味、陰々滅々とならざるを得ないんだけど、トム・クルーズの政治家とメリル・ストリープの記者、ロバート・レッドフォードの教授とその学生が1対1で議論を交わしていくっていう形で話が進むから、観ていて正直肩が凝ったわ。
監督も兼ねるロバート・レッドフォードって、とにかく生真面目だから、気を抜く場面をつくらない。色気でもユーモアでもいいから、ちょっと柔らい部分を入れてくれるとまだ救われたんだけどな。
「リバー・ランズ・スルー・イット」とか「モンタナの風に抱かれて」なんていう監督作は、同じ生真面目な作風でも、大自然の美しさが前面に出ていたから、心地いい映画になったけど、密室の中で延々と議論を交わされると、ちょっときついわね。
アメリカの苦悩はシンプルな構図では描き切れないところまで来てしまったという、切実さは伝わってくるけどな。
でも、地味。大スターが三人も名前を連ねていて、こんなにも華やかさに欠ける映画なんて信じられない。アメリカっていう国は、ほんとうにドツボにはまりかけているのかしら。
しかし、アメリカ映画を観ていて感心するのは、現役の大統領とか実在の政党とか平気で出してくるところだ。「大いなる陰謀」でもトム・クルーズとブッシュ大統領が並んでいる写真が臆面もなく出てきた。日本映画で現役の首相が出てきたり、実在する政党の名前が出てきたりっていうことは、ほとんどない。
と言うか、いまの日本映画では政治的な映画って死滅しかかっているもんね。高齢者の問題でも格差社会の問題でも、映画になりそうな政治的テーマは、ゴマンとあるのに。
そういう意味では、アメリカのほうが映画の志は高いってことかもしれないな。
出来不出来は別にして、映画は政治の世界のキズやヘコミを訴えることもできるってことを忘れていないのよね。
俺の人生のキズやヘコミも直してほしいな。
うん、それはムリ。


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「うた魂♪」:新御徒町駅前バス停付近の会話

2008-04-16 | ★都02系統(大塚駅~錦糸町駅)

「給食当番」?なんだ、ここは?
レストランみたいね。
しかし、「給食当番」とは、また懐かしい響きだ。もう何年、白い割烹着を着てないかなあ。
あなたの割烹着姿?そんなもの、想像したくもない。
おいおい、そう馬鹿にしたものでもないぞ。「うた魂♪」に出てくる学生服だって、ついこの間着てたような服だし。
ああ、ゴリの着てた学ランね。彼の学生服姿っていうのは、たしかにあなたの学生服姿みたいな印象だった。
だろ?
って、それくらい年齢設定に無理があったってことよ。
いやいや、リアリティを追求する映画じゃないから、あれくらいでちょうどいいんだ。仲間たちと歌う尾崎豊の名曲「15の夜」なんて、正直、感動ものだった。
25年も前の曲だもんね。いい年をした人には、学校給食並みに懐かしい曲だったかもしれない。
だから、そういう年齢の問題じゃないって。いい曲は、世代を超えていいってことなんだよ。
合唱コンクールに参加した、高校合唱部の物語なんだけど、ヤンキーばかりの型破りな湯ノ川学院高校男子合唱部の代表がもじゃもじゃ頭のゴリ。
一方、いかにも清楚な七浜高校女子合唱部でソプラノを担当しているのが夏帆ちゃん。
曲目も彼女のチームが歌うのは、女子高生らしい清潔感あふれる曲ばかり。
ああ、いかにも文部科学省御用達系の歌。実際の合唱コンクールで尾崎豊系の歌って聴いたことないけど、ああいう歌は本来、ご法度なのかな。
たしかに。白状すると、あの「15の夜」は思いがけず心に沁みたけどね。
だろ?名曲はいつ聴いても名曲なのさ。
名作映画はいつ観ても名作映画であるようにね。
とはいえ、映画としての「うた魂♪」は残念ながら名作になりそこねた。
あら、どうして?「ウォーター・ボーイズ」とか「スウィング・ガールズ」の線に近い青春映画の佳作だと思ったけど。
話としてはあの路線の話なんだから、作りようによっては傑作青春コメディになっただろうに、手放しで誉めるのはためらわれる。
そうかしら。ラストの盛り上がりなんて、「ウォーター・ボーイズ」とか「スウィング・ガールズ」にまして感動的だったじゃない。
でも、その直前に、夏帆ちゃんが、そういうことがありそうだとほのめかしちゃうんで、演出的には意外性が薄まった。
ああ、彼女のナレーションね。ファーストシーンも、そんな複雑な気持ちを抱えているわけじゃないんだから、安易にナレーションで説明しなくても、他の映画的表現があったんじゃないのとは思ったけどね。
薬師丸ひろ子の位置づけも、あいまいだった。
わけありなんだけど、どういうわけがあるのか、よくわからなかったわね。
せっかく夏帆ちゃんがゴリに名せりふを吐くシーンで、横からしゃしゃり出てきて、いいところをさらってしまうなんていうのも、ありえなーい。
って、ずいぶん、強調するわね。もしかして、隠れ夏帆ファン?
ぽっ
って、いい年して、頬を赤らめるな!
同級生の男子がコンクールの会場で、夏帆ちゃんの熱唱する顔を撮ろうとして、一瞬ためらうショットがあるんだけど、そのあとに続くショットが、薬師丸ひろ子のアップなんだ。どうして、こういうつなぎ方するんだよ。ふつうは、夏帆ちゃんのアップがくるところだろう。
まあまあ、そう声を荒げないで。他にも夏帆の顔のアップなんて、いくらでもあったじゃない。
でも、肝心なところで決めてくれなきゃなあ。観客がスタンディングするシーンでも、ぱらぱらと立ち上がるのが自然だろうに、段どったみたいにブロックごとに立ち上がったりして、なにか、もう一息演出にデリカシーが足りないんだよなあ。
そこが、「ウォーター・ボーイズ」とか「スウィング・ガールズ」との違いってこと?
まあ、そうは言っても致命的な欠点っていうわけじゃなくて、観ている間は結構、幸福だったけどな。
わかるわよ。観ている間、あなたもサケが産卵するときのような顔をしてたもの。
じゃあ、いまはどんな顔をしているか、わかるか。
わかるわよ。いまは、夏帆みたいなかわいい子と一緒に給食当番をしたかったなあって、残念がっている顔。
そうそう。似合うと思うんだよなあ、夏帆ちゃんの割烹着姿。
あなたには、鼻をつままなきゃ飲めない脱脂粉乳が似合うかもね。
どうせ俺は鼻つまみ者よ。って、よけいなお世話だ!


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