【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点」

2013-06-04 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)


携帯電話がこんなに活躍していいのかよ。
たしかに、連絡はBARの電話にしろ、というのがこの映画のウリだったはずよね。
探偵が依頼主を助けていいのかよ。
そう、探偵は依頼主を助けられないというのが、ハードボイルドのお約束よね。
ほんとか。
よくわかんないけど、前作はそうだった。
なんか、この映画のおもしろみにつながっていた約束ごとがちょっと緩んできちゃったような気がするな。
この映画、大泉洋に対する松田龍平の立ち位置が新鮮でそれも魅力のひとつになっていたんだけど、二人のコントラストがどうもくっきりしなくなってきた。
まあ、テレビの「まほろ駅前番外地」の瑛太と松田龍平のキャラクターの違いがくっきりとしていていたのがまだ記憶の底にあるから、それと比べてどうだろうと思っちゃうのかもしれないな。
二作目ともなるとどうしても、粗探しをしたくなっちゃうっていうところもあるけどね。
新鮮味だけでは押していけないから、何か新たな魅力を付け加えなくちゃいけないんだろうけど、それがちょっと足りなかった。
尾野真知子もテレビの「最高の離婚」のほうが圧倒的にいい。
「砂の器」の主人公がああいう生い立ちで一流のピアニストになんかなれるわけがないって批判されてたけど、この映画の主人公もああいう生い立ちで一流のバイオリニストになんてなれるわけがない、って感じがある。
一流をめざした映画じゃないんだからいいけどね。
うん、そこは好感が持てる。

「ニッポンの嘘 報道写真家福島菊次郎90歳」

2013-01-14 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)


ひさしぶりね、どうしちゃったの。
ひさしぶりに骨のあるキャラクターに出会ったんでね。
90歳の福島菊次郎?
ああ、あの眼を見たか。鋭い鷹のような眼は、とても90歳のものとは思えない。
敗戦直後の広島から、学生運動、自衛隊、水俣、祝島と、戦後日本の激動を追い続けてきた写真家だけのことはある。
視力の衰えと眼力は関係ないってよくわかる。
若いころから、報道写真家は、中に入らなきゃ本当の姿は撮れないとばかり、どんどん問題の渦中に入っていく。
それだけに権力には睨まれる。
俺はそんなニセモノの権力には絶対頼らない、その気骨ある精神が発する一言「俺は福島菊次郎だ」。
あれには俺もしびれた。一生に一度でいいから、俺もあんなセリフが言ってみたい。
100歳まで生きても無理ね。
キネマ旬報の文化映画ベストワンだというのに、公開は8月に終わっちゃってる。
でも、見つけたのよ。2月9、10、11日に開催される「うらやすドキュメンタリー映画祭」の中で2回上映されるんだって。
浦安?ディズニーランドのあるところか。
そう、facebook 浦安ドキュメンタリーオフィスに出てる。
ま、試しに検索してみるか。

「黄金を抱いて翔べ」

2012-11-12 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)


黄金を抱いて翔ぶ前に映画が失速してしまった。
途中までの男たちの諸事情を巡るドラマはいいとしても、終盤、いかに銀行から金塊を盗み出すかという一点に話は集中していったはずなのに、肝腎なところでまた男たちの諸事情を巡るドラマがはさまっちゃうんだもんね。
そういうエピソードはせめて金塊を銀行の外へ運び出してからしてくれよ、と思うんだけど、銀行強盗の真っ最中にはさまっちゃうんだもんな。
ショーのクライマックスを観ているときに、突然舞台裏のドラマになっちゃったようで、興を削ぐ。
諸事情が悪いとは言わないよ。井筒和幸監督はそういう映画にしたかったんだろうから。でも、タイミングってものがある。
男たちの諸事情もそれなりに共感はできるんだけど、盛りだくさん過ぎて、消化不良になってしまったきらいはある。
男が男に抱かれながら死んで行くなんて、いちばんおいしいシチュエーションなんだけど、その二人の関係がどこまで親密なのかいまひとつわからないから、思ったほど胸に迫ってこない。
溝端淳平のキャラクターも新境地を開く熱演なんだけど、途中退場って感じで、もう少しフォローしてほしかった。
男たちの崖っぷち感に対して、彼らが駆け回る大阪の街のゆるさがいい対比にはなっているけどな。
彼らの行動を見ても驚きもしないで通り過ぎる、行きずりの大阪のおばちゃんたちがいちばんの見どころだったりして。
銀行の警備員たちも東京だったらもっとしゃんとしてるんじゃないの、と思っちゃうけど、まあ、大阪ならあんなものかなと納得しちゃう。
大阪だからこそ成り立つ犯罪。
銀行を襲う犯罪映画なんて、娯楽映画の基本の基なのに、こういう日本映画が最近なかったから、その意気込みは買うけどな。
黄金を抱いて空高く翔ぼうとしたら、低空飛行になっちゃったような映画。
低く翔ぶのも嫌いじゃないけどな。
誉めてるの、貶してるの、どっちなの。
両方。



「鍵泥棒のメソッド」

2012-09-26 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)


監督は「運命じゃない人」「アフタースクール」の内田けんじ。
トリッキーな映画で観客を騙す監督だし、売れない役者と殺し屋が入れ換わる内容だっていうので、またそういう路線かと思ったらちょっと違った。
広末涼子に始まり、広末涼子に終わる。つまり、これ、ロマンチック・コメディだった。
役者と殺し屋が堺雅人と香川照之だから、どうしても視線はそっちに行っちゃうけどな。
ひょんなことから香川が堺に殺される演技を教えるシーンがあるんだけど、そこの二人の掛け合いなんて、最高に可笑しいもんね。その訓練を堺が活かすシーンが観たかったなあ。
そして、そこにからんでくる広末のずれっぷり。几帳面すぎる性格が香川とシンクロして可笑しい。
男二人と女一人の組み合わせって、昔から映画としてものすごく座りがいいんだけど、今回もその法則が証明されたわね。
「突然、炎のごとく」から「冒険者たち」、「明日に向って撃て」、日本映画なら「俺たちの荒野」、「さらば夏の光よ」・・・。
なんか、古い映画ばっかりね。
まだあるぞ。コメディならビリー・ワイルダーの「お熱いのがお好き」もそうだった。
内田けんじ監督、ビリー・ワイルダーの路線に近づいた、と言ったら誉め過ぎかしら。
シチュエーションにまだちょっと辻褄合わせ感はあるし、危機脱出法もちょっと甘いけど、広末の職業や車の音をはじめとする伏線、小道具はよく活かされている。
内田監督ならではの徹底的に練られた脚本。映画的感覚では三谷幸喜も及ばない。
アフタースクール」はデビュー作「運命じゃない人」のテクニックを伸ばそうとしてムリヤリ感が出てしまったけれど、この映画は「運命じゃない人」のハートを伸ばそうとして成功したように思える。
観客を騙そうという姿勢ではなく、観客を楽しませようという姿勢が前面に出てきたのね。
三谷幸喜の名前で封切ったらネームバリューが効いて大ヒットだったに間違いない。
いっそ、そこまで世間を騙すフェイクを使えば、いっそう内田監督の手口が際立ったかもしれないわね。

「カルロス」

2012-09-23 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)


いちばんびっくりしたのは、カルロス最後の潜伏地スーダンの人々が唄う民謡が日本の民謡にそっくりだったこと。
アフリカの歌ではあるんだけど曲調とか歌い方とかまるで日本の民謡よね・・・て、そういうところがポイントの映画じゃないんだけど。
わかってる、わかってる。実在したテロリスト、カルロス・ザ・ジャッカルの軌跡を追う5時間30分の三部作。
本名はイリッチ・ラミレス・サンチェス。あだ名の「ジャッカル」は、1971年に発表されたフレデリック・フォーサイスの小説「ジャッカルの日」に由来するという説もある。
ジョン・フランケンハイマーが映画化した名作か。このカルロスはあのジャッカルほど禁欲的じゃない。
というか、いつも女を横にはべらせている印象。
右手に拳銃、左手に女って感じだな。
監督もドラッグから再起を図る女をマギー・チャンが演じた映画「クリーン」を撮ったオリヴィエ・アサイヤスだからね。確かに「ジャッカルの日」のような骨太のサスペンスの部分もあるけど、それだけではなく、カルロスという男の裏表、そして彼を取り巻くこの世界の姿を、大小のテロ事件の再現を重ねることでまるごと掬いあげる。
そのための5時間30分。全然退屈しない。
どちらかというとチンピラぽかったカルロスが徐々に組織の中で知られる存在になっていく第一部はいわば青春篇。カルロスの肉体も若々しさがみなぎっている。
大きなテロをまかされ、その実行と挫折の中で有名人になっていく第二部はいわば成熟編。肉体もややぽっちゃりして精悍さは抜けつつある。
そして、時代は移り、カルロスのようなテロリストが世界の厄介者になっていく第三部は没落編。ぶよぶよと太った肉体にももはや昔日の面影はない。
脂肪吸引までして、見る影もない。長々と映画を観てきたぶん、最初の頃との落差、寂寥感が観客の胸にも実感される。
飛ぶ鳥を落とす勢いだった男がだんだん時代に取り残されて哀れな最後を迎えるというのは世の常なんだけど、カルロスを演じたエドガー・ラミレスは、その変貌をロバート・デ・ニーロのごとく、一人で演じ切っているから凄い。
時間の経過とともに肉体もみるみる変わっていくからな。実はその変貌ぶりがいちばんの見どころだったりして。
あなたもひとごとじゃないわよ。
そう、ダイエット、ダイエット・・・ってそういう結論に至る映画じゃないんだけど。