テレンス・マリック、いつかこういう映画をつくるんじゃないかと思ってた。
“こういう”って?
自然とか神とか精神的なものにググッと寄った、ある意味宗教的な映画。
でも、50年代アメリカの父子の葛藤の物語よ。
そう、そう、そうなんだよ。テレンス・マリックって、いつも物語は至って下世話な話なのに映像が崇高というか神がかってるというか思わせぶりなんで、何かとてつもなく深遠なものを見せられてしまったような気がするんだ。特に今回は、そういう部分が異様に膨れ上がってきた。
なにしろ、地球の誕生から神の世界まで映像が拡がっちゃうんだもんね。
それをまた、きっちり撮ってるからグゥの音も出ない。
ドラマは厳格な父親とそれに反発する息子という単なる家庭の事情の話なのに。
いたってユニバーサルな映像といたってパーソナルな物語がどこで結びつくのか。ショーン・ペンの語りに頼るしかない。
でも、映像の感性は、その二つを分断してないと思ったけど。
ドラマ部分でも、ふっと誰の視点だかわからなくなる瞬間があったりするんだよな。
こういう映画はあんまり頭で考えながら観ちゃダメっていうことかな。
観るより感じる映画、っていうとなんだか陳腐な映画にも思えてくる。
でも、何と言っても演出力が並みはずれているから文句のいいようがない。
足元にも及ばない。
絶賛の嵐。
もうちょっと俺たち庶民の感覚に近くなってくれたら言うことないんだけど、どんどん離れて行くような予感がする。
崇高な映画で有名なスタンリー・キューブリックだって、実は結構くだけた感覚を持ってた。
この映画と似たようなトリップシーンの出てくる「2001年宇宙の旅」だって、考えてみれば相当ハッタリを効かした、いい加減な映画だった。
「デイジ~、デイジ~」なんてね。
それに対し、この映画、息を抜くところがない。
恐竜が出てきたときには“おちゃめ”と思ったんだけど、それだけだった。
いい映画なのか、そうでないのか、俺たちの手には負えないな。
器が大きすぎ。