【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「薬指の標本」:晴海三丁目バス停付近の会話

2006-09-28 | ★都05系統(晴海埠頭~東京駅)

しゃれたドラッグストアだな。
ここにならあるかしら、薬指につける薬。
けがでもしたのか?
ちょっと料理しててね。
へえ、お前でも料理すること、あるんだ。「平成の常識・やってTRY!」娘みたいな腕前で。
いいから、薬指につける薬買おうよ。
それより、標本にしちゃったほうがいいんじゃないのか。「薬指の標本」。
あの映画の中の薬指だって包帯巻いてたわよ。標本ていったって、別に薬指全体を標本にしたわけじゃないじゃない。
そうなんだよな。「薬指の標本」なんていうから、阿部定事件のように、いとしい人の体の一部がほしくて薬指を切っちゃう話かと思ってドキドキしながら観てたら、勤務中の事故で薬指の先をちょっと切りましたってことなんだよな。
しかも、その薬指をちゃんと見せてくれないから、なんか、欲求不満なのよね。
フランス映画だけど、原作は日本の小川洋子。彼女の小説は「博士の愛した数式」にしろ、「薬指の標本」にしろ、「数式」とか「標本」といった理科系の言葉に文科系の解釈を加えるところが新鮮でおもしろいのに、映画には、そういった「標本」に対するひねった解釈がなくて魅力が薄れたな。
映画の「博士の愛した数式」はちゃんとひねった解釈を、しかも映画的にわかりやすく展開してくれて楽しめたのにね。
フランス映画ってことで、ちょっと情緒寄りになったところはあるかもしれないな。
情緒といえば、あの女性の主人公が楽譜を見ながらハミングするところ、あそこはフランス的な抒情があふれててよかったわ。
昔々のフランス映画に「太陽がいっぱい」という名作があって、その中でマリー・ラフォレがやっぱりハミングするシーンがあったんだけど、それを思い出すくらい、あそこだけがやたらよかったよな。
古い映画ねえ。あなた、年いくつ?
誤解するなよ。リアルタイムで観ているわけじゃなくて、古い映画が好きなだけなんだから。
小川洋子の原作にはそんなシーン、ないんだけどね。
そういう意味では日本の小説を無理なくフランスの風土に置き換えてたな。そこは認めるよ。
でも、「薬指の標本」ていうんだから、もっと「薬指」と「標本」にこだわってほしかったな。
なにかを想像させる、とってもいいタイトルなのにな。
「親指の標本」じゃ指相撲の話みたいだし、「小指の標本」じゃやくざの出入りみたいで、恋愛映画のなまめかしさを感じさせるにはやっぱり「薬指の標本」じゃないとだめね。
なまめかしさは、たしかに感じられたけどな。ということで、お前も標本にしたらどうだ、その薬指。
だめよ。いま、薬指をなくしたら、私は一生「平成の常識・やってTRY!」娘のままよ。
俺はかまわないけど。


ふたりが乗ったのは、都バス<都05系統>
晴海埠頭⇒ほっとプラザはるみ入口⇒ホテルマリナーズコート東京前⇒晴海三丁目⇒勝どき駅前⇒勝どき橋南詰⇒築地六丁目⇒築地三丁目⇒築地⇒銀座四丁目⇒有楽町駅前⇒東京国際フォーラム前⇒東京駅丸の内南口

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