【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「マッチポイント」:田町駅前バス停付近の会話

2006-09-19 | ★田87系統(渋谷駅~田町駅)

田町といえば、ウディ・アレンだな。
どうして?
たまち、たまっち、たまっちぽいんと・・・なんちゃって。
「マッチポイント」って言いたいわけ?
明快だろ?
あなたのジョークは、ウディ・アレンには、とおおおおおおく及ばないわね。
そうなんだよなあ。俺がウディ・アレンを好きなのは、俺のレベルに合わせたような高級ジョークの数々なのに、今回の映画にはジョークはほとんどなかった。
あなたのレベルに合わせた低級ジョークはもう使い果たしちゃったのよ、きっと。今回は、あなたとは永遠に縁のない高級な階級の話だからね。
ああ、上流社会に入ろうとする男が愛人が邪魔になって・・・ていう、「アメリカの悲劇」みたいな辛気臭い話だからな。
ロンドンが舞台だからどちらかというと「イギリスの悲劇」だけどね。
でも、愛人が「ロスト・イン・トランスレーション」のスカーレット・ヨハンソンなんで、パッと妖艶な花が咲いたような映画になったな。
そうそう。明らかにウディ・アレンはスカーレット・ヨハンソンに気があるわよね。撮り方が、かつてのダイアン・キートンとかミア・ファローみたいに、監督としてというより男として好きで好きでたまらないって撮り方だもの。
おいおい、ウディ・アレンは71歳で、スカーレット・ヨハンソンは20歳そこそこだぜ。孫みたいな女を好きになるか?
男と女の間に年齢は関係ないわ。
しかし、そういう見方だけでこの映画を語るのは、敬愛するウディ・アレンに失礼というものだろう。
じゃあ、どういう見方をすればいいの?
指輪を巡る深遠な物語なんだよ、これは。打算から上流社会の女と結ばれ、結婚指輪を指にはめた男がその指輪に拘束されてしまう物語。愛人のほうがよくてほんとは指輪をはずしたいのに、はずせない。指輪を捨てたいのに、出世欲とか金銭欲とかが邪魔をして捨てられないんだ。結局関係のない人間の指輪をはずし、それを川に投げこもうとしたところから、運命が変わってくるという、皮肉な物語。いわばウディ・アレン版「ロード・オブ・ザ・リング」とも言える映画なんだ。
ずいぶん飛躍した解釈ね。
これくらい飛躍していいんだ。ウディ・アレンは変わったんだら。
でも、劇場前を撮影の場所にするとか、今回はオペラだったけど音楽の入れ方とか、ロンドンが舞台でもニューヨークと同じような撮り方をして、いかにもウディ・アレンらしい映画だったわよ。
いやいや、「ドストエフスキー」とか「モーターサイクルダイアリーズ」とか出てきて、おちょくりの対象にするのかと思ったらそんなそぶりが全然ない。昔は絶対ジョークの対象にしてたのに。
そのぶん、スカーレット・ヨハンソンに気が行ってたのよ。
あの唇、たまんないもんなあ。やっぱり、男と女に年齢は関係ないのかもな。
不倫したくなるのもわかるってこと?
いや、そこまで踏み切れないのが男の悲しさなんだ。後半、一気に物語が飛躍するけど、それもわかるような気がするね。
いいのよ、私なら身を引いても。ちょうどここはバスの終点だし。
って、それは飛躍のしすぎだろう。


ふたりが乗ったのは、都バス<田87系統>
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