【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「リリィ、はちみつ色の秘密」:西麻布バス停付近の会話

2009-03-28 | ★品97系統(品川駅~新宿駅)

西麻布のランドマークといえば、HOBSON’Sだ。
あま~くとろけるようなアイスクリーム。
今年いちばん、あま~くとろけるような映画タイトルといえば「リリィ、はちみつ色の秘密」だろう。
主演が天才子役のダコタ・ファニングだし、どんなファンタジックなおとぎ話が始まるのかとウキウキしながら観始めたら、4歳のときに自分の母親を撃ち殺してしまった少女の物語なんだから、驚いたわ。タイトルから思い浮かべるイメージとあまりにも違い過ぎるんじゃないの?
まあ、まあ。そう神経質になるな。昔々、「新幹線大爆破」なんていうたいそうなタイトルの日本映画があって、派手に新幹線がぶっ壊れる映画かとワクワクしながら観に行ったら結局新幹線は全然破壊されなかったなんてこともあったんだから。
まあ、そういう意味では、この映画は、ちゃんとはちみつは出てくるし、少女の名前はリリィだし、タイトルに偽りありとまでは言えないわね。
タイトルの響きが柔らかいわりには内容がシビアだっていうことだろ。
うん。自分の母親を過って殺した苦悩をかかえたまま14歳になった少女が父親の虐待に遭ってメイドの黒人女性とともに家を出るという話。
人種差別についての映画でもある。設定が1964年。ちょうど黒人に公民権が与えられたばかりで、白人の黒人への偏見はまだまだ激しい。
このまえ観た「ダウト」と同じ時代設定よね。
あの映画の中でも黒人は重要な役割を果たしていた。黒人がからんでいたから、メリル・ストリープは無意識のうちに人種差別的な行動をとったんじゃないかと俺はいまでも邪推しているんだ。
そういう白人たちの偏見に囲まれながらも、この映画に出てくる黒人女性たちは背筋を伸ばして生きている。
演じるのがクイーン・ラティファとかジェニファー・ハドソンとか、日本人でいえば和田アキ子級の大物そろいで、おいおい、超ド級黒人女優大集合かよ、と思っちゃった。
監督自身が黒人女性らしいから、みんな共感して集まっちゃったんじゃないの?
その中でがんばらなきゃいけないんだから、子役といえど、やっぱりダコタ・ファニングくらいのレベルが要求される。経験と度胸が要る。
ベテラン子役。見るからにのジョディ・フォスターのような道を歩みそうな雰囲気。
安達祐実みたいになりませんように。
で、心にキズを負った少女は気丈な黒人たちと彼女たちの育てるみつばちに囲まれて心が癒されていくというお話。
それって、最近の日本映画で言えば「西の魔女が死んだ」に物語の構造が似てない?
心にキズを負った少女が自分とは違う文化の女性と自然を相手に暮らしていくうちに心が回復していくという意味では、ちょっと似ているかもしれないわね。
でも母親を殺したとか、父親に虐待されているとか、センセーショナルな題材のわりに、演出には、はちみつのような粘っこさがない。メリハリも足りない。
黒人女優たちにも、いつものような暑苦しいほどの存在感が消えて、どこか小ざっぱりしているわね。
タイトルどおり、みつばちが出てくるわりに「ミツバチのささやき」のような詩情も感じられないしな。
チェンジリング」のイーストウッド監督くらいのこだわりがあれば、傑作になったかもしれないわね。
演出はまだまだ、脇が甘い。
甘いタイトルは、映画の内容の甘さではなく、演出の甘さを暗示していたのね。
HOBSON’Sのアイスクリームみたいな甘さなら歓迎なんだけどな。
でも、食べ過ぎるとクイーン・ラティファみたいな体型になっちゃうかも。
そりゃ、ダメだ。せめて、ジェニファー・ハドソンくらいにしておいてくれ。



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「ワルキューレ」:日赤医療センター下バス停付近の会話

2009-03-21 | ★品97系統(品川駅~新宿駅)

なんで外車が展示されているの?
ランボルギーニの販売店だから。
あの有名なイタリアの車?
お、よく知っているな。でも、ランボルギーニって、いまはドイツのアウディ傘下に入っているらしいけどな。
さすが、ドイツ。ヒトラーを生んだだけのことはある。
って、やめなさい、そういう誤解を生む言い方。
そうよね、ヒトラーだけがドイツ人じゃないって「ワルキューレ」の中でも言っているもんね。
第二次世界大戦中にヒトラーの暗殺を企てたドイツ将校たちの物語か。
中心となる将校を演じるのは、トム・クルーズ。
総統より祖国を愛するとか言いながら、ヒトラーの暗殺を画策する。
祖国のために!かっこいい!
わが祖国、いまはわが粗国、ってか。
で、あと一歩で暗殺成功というところまで行くんだけど、最後の詰めを過って失敗してしまう。
終わってみれば、「何ごとも確認がだいじ」っていう人生訓を残す実に身につまされる映画だった。
いや、そういうテーマの映画じゃないと思うけど・・・。
暗殺がテーマだっていうなら、フランスの大統領暗殺を映画化した「ジャッカルの日」に遠く及ばない出来だぜ。
すぐそういう名作と比べたがる。悪いクセねえ。だいいち、あの暗殺もこの映画と一緒で結局未遂に終わっているじゃない。
同じ未遂でも、あっちの未遂は、誰もそこまでは念頭になかったっていう意外なミスが原因だけど、こっちの未遂は、ちゃんと確認しなかっただけの基本的なミスだからなあ。
暗殺当日、会議の時間が変わるとか会議室が変わるとかハプニングが起きて、いくらトム・クルーズでも冷静でいられなかったのよ。
でも、確認くらいしろよ。「ミッション・インポッシブル」のトム・クルーズはどこ行った?
だからそんなヒマもなかったんだって。
だったら、確認できなかったって言えばいいものを、確認した気になって、ドジなトム。もっとあっというような理由で暗殺に失敗するなら同情もするけど。
これは史実なんだから、そんな映画みたいに都合よくはいかないのよ。
おいおい、これは、史実じゃなくて、史実をもとにした映画だろ。
そりゃ、映画だけど、暗殺をめぐるサスペンスだけがテーマじゃないわ。ドイツの中枢にも国の将来を憂える人々がいたってことを伝えたかったのよ。
憂国の士か。三島由紀夫みたいだな。
うーん、たとえがヘン。
じゃあ、二・二六か。
まあ、そんなところかしら。
常々不思議に思っているんだけど、二・二六っていかにも映画的な出来事なのに、あの事件を正面から描いた傑作が日本映画にないのはどういうわけだ?
知らないわよ、そんなこと。いま話しているのは「ワルキューレ」。
戦争映画にぴったりのいい音楽だよなあ。あの曲を聞くだけで血が騒ぐ。
「地獄の黙示録」を思い出す。
そのわりにこの映画の中ではあまり効果的に聞こえてこなかったのはどういうわけだ?
だから、知らないって。
とにかく、軍人とか偉い人しか出てこない。憂国の映画なら、もう少しドイツに暮らす庶民の姿を描きこんでもよかったんじゃないのか。
ジェネラル・ルージュの凱旋」みたいに?
お、いいこと言うねえ。「ジェネラル・ルージュの凱旋」はほとんど病院関係者しか出てこない映画なのに、「先生、うちの人は見捨てるんですか」と訴える患者側の立場の人が一瞬出てくる。それだけで映画が大きく膨らむのに、「ワルキューレ」にはそういう立場のヒトラーに蹂躙される側の描写がない。
でも、久々の第二次大戦ものよ。あなたみたいな戦争映画ファンにとっては懐かしいんじゃないの?
昔の戦争映画っぽい雰囲気はあるよな。
出演者たちも、トム・クルーズを除けばみんな渋いし。
将軍の妻が「ブラックブック」の女優、カリス・ファン・ハウテンっていうのがいちばんの見所だったかもしれない。
あの映画もヒトラーに反旗を翻す人々の映画だったもんね。
というより、彼女のたたずまいがいいんだよな。当時の顔をしている。よくあの地味な女優をトム・クルーズの妻役に配役したもんだ。
二コール・キッドマンっていうわけにはいかないでしょう。
そりゃそうだ。「アイズ・ワイド・シャット」になっちまう。
そういえば、「ワルキューレ」のトム・クルーズは左目が義眼だった。
目を大きく開いても、片眼は閉まったまま。
文字通り「アイズ・ワイド・シャット」ね!



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「ダウト~あるカトリック学校で~」:広尾橋バス停付近の会話

2009-03-14 | ★品97系統(品川駅~新宿駅)

この門をくぐると、どこへ行くんだ?
聖心インターナショナルスクールというカトリック学校。
まさか、「ダウト~あるカトリック学校で~」の舞台じゃないよな。
ここは広尾よ。あの映画の舞台はニューヨークのブロンクスにあるカトリック系学校だったじゃない。しかも時代設定は、1964年。
そうだよな。メリル・ストリープみたいに神経質な女校長とか、フィリップ・シーモア・ホフマンみたいに腹黒そうな神父とか、日本にはいないよな。
神父が黒人生徒とみだらな関係を持ったのではないかという疑惑を持った厳格な女校長が彼と対決する。その物語を二大俳優で描く映画が、「ダウト~あるカトリック学校で~」。
二大俳優というより、二大怪優だろう。うわばみみたいなメリル・ストリープとカポーティのなれの果てみたいなフィリップ・シーモア・ホフマンが出てくるだけで、画面がやたら暑苦しくなる。
メリル・ストリープ扮する校長は、なにか証拠をつかんだのではなく、いわば心証だけでフィリップ・シーモア・ホフマン扮する神父を疑う。
それにしては、彼女の自信たっぷりなこと。どこまでもヒステリックに神父を追い詰めていって、どうなっちゃってるの、この校長。
自信たっぷりというより、不安でしょうがないのよ。だから、小さなことまで気にかけ、悪いほうへ想像をたくましくして、事態を悪化させる。
それじゃあ、まるで正気を失ってイラクに攻め入った9.11以降のアメリカみたいじゃないか。
いいこと言うわねえ。テロの不安感から、証拠もないのにイラクに攻め入ったアメリカという国と精神構造は一緒よね。
1964年といえば、ケネディが暗殺され、黒人たちも台頭してきた時代だ。そのころのアメリカを覆っていた不安感って、9.11で頭に血がのぼりイラクへ侵攻したアメリカを覆っている不安感に重なるのかもしれないな。
カトリック学校の問題というより、アメリカという国の問題だっていう意味では、いまという不安定な時代に映画化された意味もあるのかもしれないわね。
でも、ひょっとしたら神父はほんとによからぬことをしていたのかも知れないぜ。そのあたりは霧の中だ。
真実はどうであれ、人を疑わざるを得ないような精神のありかたが不幸なのよ。校長の壊れかけた心もようをメリル・ストリープがいつもながらに好演していたわ。
好演といえば好演だけど、メリル・ストリープの演技ってうますぎて鼻につくんだよなあ。
それはいまに始まったことじゃないでしょう。
そう。いつも手堅すぎて、新鮮な驚きがまったくない。はいはい、おじょうず、おじょうず、それで?みたいな感想になってしまう。
無味乾燥な感想。
はは、うまいこと言うねえ。
メリル・ストリープほどじゃないけどね。
フィリップ・シーモア・ホフマンのうまさは、まだかろうじて鮮度を保っているけど、彼もそのうち男ストリープになってしまいそうで不安だなあ。
あら、あなたにも不安感っていうものがあるの?
そりゃあるさ。この映画に描かれた精神的な不安感ていうのは実はアメリカだけじゃなく、世界を覆う不安感だ。
国際的に精神が不安定になっているってこと?
ああ、精神インターナショナルだ。
は?それって、聖心インターナルスクールとかけてないよね。
ない、ない。絶対ない。
うーん、疑わしいなあ。
ダウト!



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「ジェネラル・ルージュの凱旋」:天現寺橋バス停付近の会話

2009-03-11 | ★品97系統(品川駅~新宿駅)

ここは、慶応幼稚舎。
将来、慶応大学に行く子も多いんだろうな。
中には、医学部に行く子もいるんでしょうね。
慶応の医学部といえば、名門中の名門だ。そのまま慶応大病院の医者になる人もいるかもしれない。
できれば、ジェネラル・ルージュのような立派な医者になってもらいたいものね。
立派?ジェネラル・ルージュが立派な医者かどうかは映画の「ジェネラル・ルージュの凱旋」を観て判断してもらいたいけどね。
立派じゃない。救急患者は絶対断らないという信念を押し通す、大学病院の救急救命センター長。
そのジェネラル・ルージュと呼ばれるほど腕が立つ医者にかけられた嫌疑をめぐる映画が「ジェネラル・ルージュの凱旋」。果たして彼は、善人なのか悪人なのか。
チーム・バチスタシリーズの第2作だから、阿部寛と竹内結子の凸凹コンビも当然出てくるけど、意外なことに「チーム・バチスタの栄光」と違って、殺人者は誰か、それを二人が突きとめていくという謎解きがメインの映画じゃなかった。
むしろ、映画全体を通して日本の医療現場の実情を告発する社会派映画に近いんでびっくりした。
医者を演じるのはいまや飛ぶ鳥を落とす勢いの堺雅人。
救急患者は断らないのが信条の彼が、赤字病院の経営を第一に考える一派と衝突し、そこに大きな疑惑が生まれる。
とにかく、堺雅人が熱演で、この人の演技、「クライマーズ・ハイ」あたりから完全に一皮むけてしまったわね。
とても、堺正章の息子とは思えない。
えっ、堺雅人って、堺正章の息子なの?
いいや、違うよ。
えっ。だって、いま、堺正章の息子とは思えないって・・・。
堺正章の息子じゃないから、堺正章の息子とは思えない、って言ったんだ。
あのねえ、阿部寛みたいな冗談言わないで。
そういえば、この映画の中の阿部寛、あいかわらず「チーム・バチスタの栄光」みたいなスベった冗談を放っているが、あの映画ほど鼻につかない。
自分の分をわきまえてきたのね。
映画自体も「チーム・バチスタの栄光」を覆っていたどこかふぬけた感じが嘘のように消えて、引き締まった仕上がりになった。2作目のほうが1作目より出来がいいなんて珍しい。
あの「ALWAYS 三丁目の夕日」だって、結局は2作目より1作目のほうが出来がよかったもんね。
単なるミステリーじゃなく、日々の医療現場というリアリティあるテーマを芯に持ってきたことが成功しているんだろうな。
それに応えた堺雅人の熱演。彼の過剰とも思える演技が映画の隅々に緊張感をもたらしているんじゃないの?
疑惑の被告として病院内の倫理委員会で熱弁を振るうシーンなんてシビれるもんな。
ああいう裁判シーンて、わりと静的なイメージがあるんだけど、会議室が異様に広いから、堺雅人も縦横無尽に動けて演技のしがいがある。
あの会議室の広さ。あのパースペクティブは、テレビじゃ生かしきれない。
「Tomorrow」とか「コードブルー」とか、同じように医療をテーマにしたドラマってテレビでもいっぱいあるんだけど、映画はテレビとは描写の仕方が違うぞ、って意識させられる場面よね。
テレビの連続ドラマだと何週間にも渡って描けるから丁寧な話づくりができるんだけど、それが出来ない分、映画にはテレビドラマの粋を凝縮したような密度の濃さが出る。それを再確認した2時間3分だったな。
テレビ局のTBSがつくっているのにエラい!
そして、後半は裁判ドラマになるのかと見せかけて、ある瞬間からデザスター映画に切り替わり、映画的空間が一気に広がる。
鮮やかとしか言いようのない展開!
でも、医療というテーマがしっかりしているから単なる阿鼻叫喚のパニック映画には陥らない。
堺雅人が常に舐めているチュッパチャップスも彼の性格を表わすだけの小道具かと思いきや、物語の最後に生きてくる。小さいところまでおろそかにしない、プロの仕事よね。
監督は、1作目に続いて中村義洋。「ジェネラル中村の凱旋」と呼びたい映画だった。
彼は成城大出身で、慶応出身じゃないみたいだけど。
ああ、だから舞台が、“慶応大病院”じゃなくて“成城大病院”になっているのか。
あのねえ、映画の舞台は“成城大”じゃなくて、“東城大”だけど。
そうだっけ?
あんたも成長してないわね。
口紅つけてくれ。
って、映画を観た人にしかわからない冗談言わないの。
はい。



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「愛のむきだし」:光林寺前バス停付近の会話

2009-03-07 | ★品97系統(品川駅~新宿駅)

この先へ行けばフランス大使館にたどり着く。
恋の国、フランスね。おしゃれな映画もたくさんあるし。
フランス映画のようにソフィスティケイトされた恋もいいが、むきだしの愛の話もなかなかいいぞ。
園子温監督の「愛のむきだし」のこと?
ああ、宗教の話がからまった、奇っ怪な愛の物語。園子温だけに口当たりのいい日本映画とはひとあじ味もふた味も違うぶっ飛んだ映画に仕上がった。
ほんとうよね、最近の日本映画で3時間57分の長尺映画なんてなかなかないもんね。腰が痛くなっちゃった。
そりゃお前、持病のヘルニアのせいだろ。
そう、ヘルニアスクリーンで観たかった・・・。
健康な観客なら、ナレーションで引っ張っられて物語がサクサク展開していくから時間の長さはまったく気にならない。
園子温お得意のチャプターナンバーや「奇跡まであと何日」なんてテロップまで出てきて観客の興味をそらさない。
そこで繰り広げられるのは、西島隆弘と満島ひかりのトリッキーな愛の成り行き。
西島隆弘はAAAのメンバーとはいえ、映画俳優としてはまだまだだし、満島ひかりもいまひとつ花がないし、だからかどうか、映像に一流感はまったくないんだけど、その粗雑さが奇妙な味わいになって、ひねくれた物語に映画としての力がみなぎってくる。
そのあたりが、どこか内田けんじ監督の「運命じゃない人」みたいな匂いを醸し出すんだよな。
そして後半は宗教と暴力のエネルギーが暴走する狂気の世界へとなだれこむ。
前半から宗教色はビンビンだったけど、後半はにせ宗教との戦いへと話がひん曲がる。
でも、終わってみればたしかにむきだしの愛の物語だった。
愛はすべてを救う!
これが実話をベースにしているっていうんだからびっくりする。
どこまでが実話なのかしらね。イーストウッドの「チェンジリング」と違って相当脚色していると思うけど。
貶すわけじゃないけど、なんか展開がマンガっぽいもんな。
篠原とおるの「さそり」なんて出てきて、いったいいつの話よ、と思っちゃう。
ああ、映画では梶芽衣子が演じてた。
梶芽衣子・・・あの人はいま?
さあ・・・。
まあ、そんなマンガっぽいところがまたこの映画の魅力なんだけどね。
そうかと思うと、満島ひかりが聖書の一節を暗唱する長回しのシーンとか、これぞ映画だっていう瞬間が確実にあって、園子温、ほんとに隅に置けない。
ごった煮映画とも呼べるかもしれないけど、3時間57分楽しませてもらったのは事実よね。
でも2500円は高くないか。
二人で5000円かあ。そのわりに爆発シーンとか、チープなつくりではあったわね。
上映時間の長い映画を高くするなら上映時間の短い映画は安くしなくちゃ公平じゃないよなあ。
でも、その時間、楽しんだんだからいいんじゃないの?
ずいぶん、おおらかだな。
フランス人はおおらかなのよ。
ってお前、いつからフランス人になったんだ?
これから。フランス大使館に行って手続きしようと思って。
なにそれ、園子温よりぶっ飛んだ発想だな。




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