【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「陸に上った軍艦」:北参道バス停付近の会話

2007-09-29 | ★池86系統(東池袋四丁目~渋谷駅)

ここが明治神宮の北参道。この奥に明治天皇がまつられているのよね。
うーん、天皇陛下って聞くと複雑な気持ちになる人たちもいるかもしれないな。
どうして?
太平洋戦争では、天皇陛下の名のもとに多くの庶民が兵隊にとられていったんだ。
それは「陸に上った軍艦」を観ても実感できるわね。シナリオライターや監督として有名な新藤兼人の体験の映画化なんだけど、彼といっしょに兵隊に入ったのが、洋服屋とか床屋とかつつましい暮らしをしている庶民ばっかり。そういう人たちがいきなり軍隊に取られて、理不尽極まりない仕打ちを受けるんだから。
幸いなことに、彼らは終戦を迎えるまで戦地には行かず、国内の基地を転々とするんだけど、それはそれで悲惨なんだよな。戦場の悲惨さを描いた映画はたくさんあっても、こういう戦場には行かなかった兵隊の悲惨さを描いた映画ってあまりないんじゃないか。
ばかばかしくも悲惨さな日々。
理由もなくリンチを受けて、食べられる大きさになるまで5年も6年もかかるような鯉を池に放ち、その鯉のえさとしてハエたたきで黒いハエを1000匹も捕まえて池に放したら、鯉はどこへ行ったか全然わからなくなっていました、っていう笑えない笑い話みたいな日常・・・。
靴を前後さかさまに履けば、前進していても後退しているように見えて敵を欺けるだろうっていう、へたなコントも真っ青の訓練・・・。
命じられる側も、バカじゃないの、と思っているんだけど、おそらく命じる側も、こんなことで勝てるなんて本気で思ってない。
こんなあきれることしてるようじゃ勝てるわけないだろうって、みんなが薄々感じているのに、そんなこと言えないから、「必勝の作戦だ」なんて言いながら、マンガみたいなことばかりやっている。
結構、みんな冷静に見てたんだよな、当時の兵隊さんも。最後まで、「お国のためだ、勝つまでは」って信じていたのかと思ったら、そんなこと全然ない。
むしろ、みんながみんな、くだらないって思っているのに、ピラミッドのいちばん上にいる偉い人たちがやめるって言わないから、しかたなくやっている。
そのしわよせが全部、底辺でつつましく暮らしていた庶民にくる。
戦争の構造が手に取るようにわかるわね。
じゃあ、ピラミッドの頂点は誰だったんだろうって考えながらこの参道を歩くと、フクザツな気持ちになってくるわけよ。
でも、ここにまつられているのは明治天皇でしょ。太平洋戦争とは、関係ないじゃない。
俺が言いたいのは、個人じゃなくて、そういう仕組みが問題だってこと。ところが、仕組みが問題だっていうとまた個人の責任があいまいになるしな。
新藤兼人が実際に体験したことらしいけど、こういうみんなが知っておいたほうがいいような話、戦争が終わってすぐにシナリオにしなかったのはどうしてかしらね。
当事者だけに、記憶から消してしまいたいとか、死んだ人間に合わせる顔がない、とか複雑な心情があるんじゃないのか。
そういう思いを押しのけても、戦後60年経って、いま、語っておかなきゃいけないって思い立った何かが新藤監督にはあったのよね、きっと。
だから、いまは平和な参道を歩くとフクザツな思いにとらわれるわけよ、いつもは単純な俺にしても。


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「プラネット・テラーinグラインドハウス」:千駄ヶ谷五丁目バス停付近の会話

2007-09-26 | ★池86系統(東池袋四丁目~渋谷駅)

ギョギョ、東京のこんなところにエンパイヤステートビルが・・・。
ニセモノだよ、ニセモノ。
やっぱりね。どんな懸命に真似したってしょせんは真似。本物の風格にはかなわないわね。
ところがどっこい、昔グラインドハウスというアメリカの三流映画館で上映していた映画を真似した「プラネット・テラー」は本物以上の風格がある。
そんなこと言って、あなた、本物のグラインドハウス映画、見たことあるの?
ないけど、三流映画がこんなにおもしろかったら、アメリカだって三流映画のままにしてはおかないんじゃないか。
画面に傷をつけたり、わざとピントをぼやかしたり、薄汚い色を再現したり、三流感を一生懸命出してるんだけど、たしかにおもしろすぎるわね。
失った右足の代わりにマシンガンをつけてぶっ放す女なんて、画としてあまりにも決まりすぎだろう。オリジナリティありすぎだぜ。
って、ほめてるの、けなしてるの?
ほめてるんだよ。全篇、血わき、肉踊る映画だ。
比喩じゃなく、ほんとに、血がわいて、肉が踊るのよね。これでもか、これでもかって調子で、ドバドバ、ビロビロ。まいった、まいった。
同じグラインドハウス映画の「デス・プルーフ」もおもしろかったが、あっちが映画オタク丸出しの映画だとすれば、こっちはプロ根性丸出しの映画だったな。
そうね、「デス・プルーフ」はタランティーノの趣味丸出し、やりたい放題、小ネタも満載っていう映画だったけど、ロバート・ロドリゲスの「プラネット・テラー」はぶっ飛んでるわりに、話としてちゃんとまとまりがあったもんね。
アメリカじゃあ、この二つの映画を二本立てで公開したっていうんだから、ごちそうだよなあ。
日本でいえば、「スキヤキ・ウェスタン ジャンゴ」と「女王陛下の草刈正雄」を二本立てて公開するようなものかしら。
おいおい、「女王陛下の草刈正雄」はまだ観てないぞ。観てない映画の話は厳禁だ。
はい。
それにしても、毛色の違った一流の三流映画を二本続けて観られるなんて、アメリカの映画ファンにはたまらなかっただろうな。
一流の三流映画なんて、形容矛盾もいいとこだけど、そうとしか表現しようがないもんね。
たとえば、エンパイヤステートビルに登った「キングコング」はもともと三流映画だったのに「ロード・オブ・ザ・リング」のピーター・ジャクソンが再現した新しい「キングコング」なんて一流映画に成り下がってしまった。それに比べて、タランティーノとロバート・ロドリゲスの映画には三流映画の精神が流れていてみごととしか言いようがない。
彼らに「キングコング」をつくらせたら、この東京のニセ・エンパイヤステートビルに登らせるかもね。
なるほど、それも一興だな。タラちゃんなんか、日本に来たくてしょうがないみたいだしな。
登れ、っていえば、アゴでこのビル登っちゃいそう。
たしかに。娯楽映画監督の鑑だな。


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千駄ヶ谷五丁目バス停



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「めがね」:新宿四丁目バス停付近の会話

2007-09-23 | ★池86系統(東池袋四丁目~渋谷駅)

お、高島屋か。めがね売場行かなくちゃ。
どうして?
めがね買うんだ。
だから、どうして?
だって、映画の「めがね」の出演者はみんなめがねかけてたぜ。
だから、どうしてみんなめがねかけてたの?
どうして、って・・・どうしてだろうな。沖縄の離島に来て心が癒されていく女性の話なんだけど、めがねと関係が深い話じゃ全然ないしな。
荻上直子監督の前作「かもめ食堂」は北欧が舞台だったんで、こんどは南の島を舞台に癒しの映画をつくろうという意図はわかるんだけどね。
都会の暮らしで近視眼的な心になってしまった人たちが南の島にやってきてほんとうの生き方を見る目を回復するって意味で、みんなめがねをかけてるのかな。
でも、映画では何も説明しない。みんな、どこで何をしていた人々なのか全然説明しないのよね。
なんか「かもめ食堂」よりさらに純度の高い癒し映画になってきた印象だよな。
とにかく、「何も考えず、ここでたそがれてください」って言うね。
映画の中では「たそがれる」っていうことばがたくさん出てくるけど、そもそも「たそがれる」なんて日本語あるのか。
まあ、あるにはあるんだけど、「日が暮れて薄暗くなる」とか「盛りを過ぎて衰える」とかいう意味なのよねえ。
うーん、この映画の中で使われている意味とはちょっと違うような気がするな。
もっと何か、心地いいというか、人間的な状態を指している感じだもんね。
そうそう。よけいなものがどんどん抜け落ちていって、残ったのは心地よさだけという、ある意味、実に幸福な二時間だった。
なんだか、荻上監督ならではの映画の世界を確立しちゃったわね。
しかし、「かもめ食堂」は一応仕事としての食堂があったけど、この映画のかき氷屋はもう仕事の範疇を超えている。このまま純度をあげていったら浮世離れするぎりぎりの線だぜ。
いいじゃない、どうせ現実には浮世離れできないんだから、映画の中でひととき浮世離れしちゃったって。
ああ、いい夢見させてもらったよ。
世の中に疲れたら何度でも観たくなる映画よね。
ああ、どこで上映しているんだっけ?
テアトル・タイムズスクエア。
って、高島屋の入っているこのビルじゃないか。
そう、桃源郷は案外目の前にあるものなのよ。曇っためがねじゃ見えないかもしれないけどね。


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新宿四丁目バス停



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「包帯クラブ」:新宿伊勢丹前バス停付近の会話

2007-09-19 | ★池86系統(東池袋四丁目~渋谷駅)

お、伊勢丹か。ネクタイ売場行かなくちゃ。
どうして?
ネクタイ買うんだ。
だから、どうして?
ネクタイクラブ、つくるんだよ。
ネクタイクラブ?
そう、心に傷を負った人の事件現場にネクタイを巻くんだよ。巻きます、効きます、人によります、ってな。
それって「包帯クラブ」そのまんまじゃん。
いやいや、「包帯クラブ」は若者たちのクラブだろ。「ネクタイクラブ」はおとなたちのクラブだ。傷はもっと深く、つらいぞ。
でも、若者たちだから、あんなことしても許されるんで、いいおとなが同じことをやったら、バカじゃないの、って思われるだけよ。
だからって、何もしなくちゃ世界は変わらないぞ、って映画の中でも言ってるだろ。
青い、青い。まだまだ頭の中が青いわねえ。
そういうわけ知り顔のおとなが若者たちの芽を摘むんだ。
まあ、そう言いたくなる気持ちもわからないことはないけどね。他人のために包帯を巻いて、傷をいやしてあげているつもりが、自分の傷がいやされていたんだって気づく、とってもナイーブな映画だもんね。
一歩間違えると、往年の「白線流し」みたいな、テレビの連続ドラマになりそうなほどわかりやすい話なんだけど、さすがに映像派の堤幸彦だけに、スローモーションやカット飛ばしやいろいろな手法を微妙に使って、原作のエッセンスを生かしながら映画ならではの空気感を作り出している。そして、画面に寄り添う音楽の透明感が、またすばらしい。さすがだな。
石原さとみの素直さも柳楽優弥の弾け具合も、ちょうどいいしね。
屋上を走り続ける柳楽優弥を延々と追うヘリコプターショット。あれがこの映画の白眉だな。「コイヤー、コイヤー」っていう掛け声は、いつまでも耳に残るぜ。
北関東の高崎って町に場所を設定しているのもいいわよね。
高校生が生きる世界っていうのは、せいぜいあのくらいの行動半径のところだもんな。実に狭いところで、世界は変えられるか、なんて悩んでいる。若いっていうのは、そういうことなんだよな。
ところが、この映画はそれでは終わらない。ラスト、いきなり広い世界に話が飛ぶんだけど、原作を読まないで映画だけ見た人にあのラストシーンの意味がわかるのかしら。
わかるかどうか、わからないけど、高校生たちの狭い世界の物語が、実は広い世界につながっているという、巧妙にして絶妙なラストシーンだ。あそこで一気に映画が大きくなる。
人の痛みをわかるとは世界の痛みをわかることなんだ、世界はそうして変えて行くしかない、っていうメッセージよね。
だから、高校生にばかりまかせておかないで、俺たちおとなもつくらなくちゃいけないんだよ、ネクタイクラブ。
でも、あなたの傷って、上司にどなられたとか、派遣社員に無視されたとか、そんなのばかりでしょ。話が小さくない?
それより、よく考えると、包帯に比べてネクタイって高いよなあ。なんか、もったいないよなあ。やっぱりやめるか・・・。
あーあ、いきなり、みみっちい世界の話になっちゃったわね。


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新宿伊勢丹前バス停



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「スキヤキ・ウェスタン ジャンゴ」:日清食品前バス停付近の会話

2007-09-15 | ★池86系統(東池袋四丁目~渋谷駅)

なに、この「ヤキニク・ウェスタン」って?
違う、違う、「スキヤキ・ウェスタン」。
ああ、「アミヤキ・ウェスタン」ね。
あなた、人をおちょくってるの?
イタリア製の西部劇を「マカロニ・ウェスタン」て言うのは知ってたけどなあ。
それよ、それ。それに引っ掛けて日本製西部劇を「スキヤキ・ウェスタン」て呼んでみたわけ。
しかし、イタリアが「マカロニ・ウェスタン」っていう麺の名前なら、日本は「カップヌードル・ウェスタン」っていう麺の名前にすべきじゃないのか。
じゃあ、日清食品に聞いてみましょうか、ここに本社があるみたいだし。
まあ、目くじらたてるほどのことじゃないか。中身がウェスタンになってればいいんだから。
なってたような、なってなかったような・・・。
えせウェスタンってことを際立たせようと、日本人なのにわざと英語を喋らせてるんだけど、彼らの英語を聞いていると、どうもかくし芸大会を見ているような気分になるのは俺だけ?
タランティーノが出てたけど、なぜか彼のほうがカタコトの日本語を喋ったりしてね。
まあ、タランティーノばりに好き勝手やってみようよ、という映画なんだけど、彼の「デス・プルーフinグラインドハウス」とかに比べると、ハチャメチャぶりが徹底していないというか、妙にまじめな部分があったりして、ちょっと抜けきれていない感じがしたな。
英語を喋らせるとか、壇ノ浦の戦いから百年後とか設定が現実離れしている割りに、撮り方が結構きちんとしているのよね。
やっぱり、タランティーノの映画は、好きで好きでしかたがなくてつくっちゃいましたっていうラフな楽しさがあふれているんだけど、三池崇史の映画はちょっと大向こうの受けを狙ってみましたっていう感じがあって、どっかいい加減になりきれない部分があるんだな。
役者たちも一流がそろっているだけに、B級キャラクターにあるような魅力が足りなかったかな。
俺に言わせりゃ、三流感が足りない。
木村佳乃なんて、ギリギリがんばって腰を振ってるんだけど、やっぱりタランティーノの女たちの品のない色気に比べちゃうとね。
お、女のお前もそう思ったか。
あなたに代わって言ってあげたのよ。
日本映画としちゃあ、日本人だけを使ってよくここまでマカロニ・ウェスタンに迫ったと誉めるべきなのかもしれないけど、タランティーノの映画を観たあとなんて、ちょっとタイミングが悪かったかなあ。
でも、イタリア製西部劇を「マカロニ・ウェスタン」て呼ぶのは日本だけらしいわよ。
昔クリント・イーストウッドが出てたんだろ。
「カップヌードル・ウェスタン」のスタッフやキャストからも、そのうち、イーストウッドのような大監督が出てくることを期待したいわね。
お、「スキヤキ・ウェスタン」じゃなくていいのか?俺の提案を受け入れてくれるってこと?
そういえば、昔はよく、昼をカップヌードルで済まして、浮いたお金でこういう映画を観てたなあって思い出したのよ。
ああ、そんな頃もあったな。つーか、今もときどきそうしてない?
そうしてる。


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日清食品前バス停



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