【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「山桜」:錦糸公園前バス停付近の会話

2008-05-31 | ★都02系統(大塚駅~錦糸町駅)

あんなところで、何の写真撮ってるのかしら。
顔写真付きの名刺でもつくるつもりかな。
山桜名刺で、って言いたいんでしょ?
おお、よくわかったな。
わかるわよ。篠原哲雄監督の「山桜」を観てきたばっかりだもん。
篠原監督初めての時代劇なんだけど、まあ、どんな題材でも器用にまとめる監督だよな。
「月とキャベツ」「はつ恋」「命」「昭和歌謡大全集」「深呼吸の必要」「欲望」「地下鉄<メトロ>に乗って」。なるほど、みんなソツなく仕上げてるって感じね。
それぞれに佳作ではあるんだけど、いまひとつ傑作になり得ていない。なんか平均点は必ず取るけど、1等賞は取ったことがない優等生みたいな演出家なんだよな。
「昭和歌謡大全集」なんて、相当ぶっ飛んでる題材なのに、それでもどこか抑制がきいている。
今回の「山桜」も、藤沢周平が原作のつつましやかな時代劇だから、篠原監督の資質がじゅうぶんに発揮された佳作に仕上がってはいるんだけど、やっぱりこちらの期待を上回るようなところはない。
安心して観れるんだけど、安心できすぎちゃって、おもしろみに欠けるってこと?
映画としてキラリと光る瞬間がほしかたなあっていうことだ。
ずいぶんぜいたくなこと、言うのね。私は、田中麗奈と東山紀之のくせのない演技を楽しんだけどね。
出演者も田中麗奈と東山紀之だから、はめをはずすところがない。
そんなこと言うんだったら、他の映画を観ればよかったんじゃないの?篠原監督に大きな期待をするほうが間違いよ。
そうだな。江戸時代の地方を舞台に、ほのかな思いを通わせる男女の物語として素直に受け取れば、決して悪くないかもな。
そうそう。ひねくれた見方はしないこと。東山紀之なんて、終わってみれば、ほとんどセリフがなかったって気づくのに、観ている間は、過不足ない存在感でスクリーンに映っていたし、田中麗奈も思いのほか時代劇姿が似合っていたわよ。
富司純子がまた、出番が少ないのに、いいところをさらっていく。
なんか、終盤は相当強引な展開なのに、彼女の存在感で押しきっちゃって、富司純子って、ほんとに変わるべき存在のない女優になっちゃったわね。
いいところで、一青窈の主題歌がかぶっちゃったのは、ちょっといただけなかったかな。
エンドタイトルまで待てばいいのに、監督ががまんできなくなっちゃったのかもね。
もっと映像の力を信じなくちゃな。
「たそがれ清兵衛」や「武士の一分」の山田洋次みたいに、なんて言わないでよ。天才と比べちゃかわいそうなんだから。
言わないさ。無心に観ることにしたんだから。
ほんと、無心に観ればいい映画なのよ。あの山桜、ハッとするほどきれいだったし。
ああ、あれはきれいだった。絵はがきにしてほしいくらいだ。
山桜名刺で?





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「アフタースクール」:太平三丁目バス停付近の会話

2008-05-28 | ★都02系統(大塚駅~錦糸町駅)

近頃、錦糸町近辺の学生は、放課後、ここオリナスあたりでたむろするようよ。
“オリナス”って、“織り成す”から来ている名前なんだってな。
放課後、織り成すとくれば、「アフタースクール」ね。
おとなたちが放課後に織り成す、二転三転のストーリー。
だまされちゃいけないと思ってポップコーンも食べずに観ていたけど、心地よくだまされちゃったわ。
ああいう展開になるって、わかる観客なんかいないよ。散りばめられたヒントから真実を探していく推理ドラマとは根本的に違うからな。どうにでも受け取れるような撮り方で、監督があとから、はい、私はこういうつもりで撮りました、って後出しで種明かしをする映画だ。トリックがあるわけでも何でもない。
それでも、ここまで心地よく裏切ってくれれば、十分じゃない。なんか、不満でもあるの?
いや、監督と観客のだましあいみたいな映画は嫌いじゃないし、内田けんじ監督の前作「運命じゃない人」なんて、パズルのピースのはめ方がみごとだった。
今回はあの路線からさらにグレードアップして、俳優も大泉洋、佐々木蔵之介、堺雅人という、芸達者なメンバー。どこか善良そうで、どこか怪しげな連中ばかりで、最後までどういうヤツなのか、よくわからないんだけど、最後の最後になって、なーるほど、という仕組みが新鮮で、内田けんじ監督、いよいよ冴えている。
でも、彼の才能は「運命じゃない人」で実証済みなんだよ。
でも、男たちののやりとりはやたらおかしいし、こんがらがった話がほどけていく快感は、相当なものよ。
それも「運命じゃない人」は、すべてほどけきった充実感があったけど、「アフタースクール」は、どうもほどけきった感じがしない。
例えば?
裏で糸を引く最大の大物が、どういう悪さをしていたのか、思わせぶりでよくわからない。あの赤ちゃんが誰のものかもわからない。大泉洋は、授業がない日だったのか。結局、権力にしっぽを振る人間の話だったのか。考え始めると、夜も眠れない。
いつも昼寝してるくせに。
関係ないだろ。
とにかく、そんな細かいことはどうでもいいじゃない。男のくせに、見かけによらず、神経質なのね。
そうさ。人はみかけによらないのさ。人はみかけによらないっていうのが、この映画の真髄なんだから。
でも、山本圭とか運転手のおじさんとか、脇役に至るまで、ヘンな人と思っていた人たちの行動にちゃんとした理由があったなんて、手品の種明かしを見ているみたいで、痛快じゃない。
結局、常盤貴子に男たちが踊らされていただけだという見方もできる。
“同級生”っていうのがポイントよね。「友だちだからって、全部知ってるのかよ」ということばを、映画全体を通して観客に突きつけたともいえる。
誰が何を考えているかなんて、そんな簡単にはわからないんだよ、ってことだ。
それでも、人と人には利害を超えたつながりがあるんだよ、っていうこともね。
なにか、そういうテーマというか、言いたいことが出てきたのが、「運命じゃない人」とのいちばんの違いかもしれないな。「運命じゃない人」は、あっけらかんと終わっちゃったけど、「アフタースクール」は余韻みたいなものが残ったことは認めるよ。
ようやく認めたわね、この傑作のすばらしさを。
駄作だとは、いちども言ってないさ。日本映画には珍しいカテゴリーの映画であることはたしかだ。
私が気になるのは、あの常盤貴子が堺雅人に贈った靴だけよ。
どうして?
ひょっとしてオリナスで買ったのかと思って。
どうして?
ここには、常盤貴子がよく来るらしいから。
ほんとか?
うっそぴょーん。
クソッ、だまされた。


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「山のあなた 徳市の恋」:太平二丁目バス停付近の会話

2008-05-24 | ★都02系統(大塚駅~錦糸町駅)

そろそろ、あじさいの季節かしら。
バス停にあじさいなんて、日本的な風情だな。
映画で日本的な風情といえば、「山のあなた 徳市の恋」よね。
ひなびた温泉宿の按摩とそこへ来た東京の女との淡い恋の物語。70年前の清水宏監督の映画「按摩と女」のリメークだっていうから、日本的なのは間違いない。
リメークどころか、ほとんど脚本も演出も一緒で、監督の石井克人は音楽でいうところの”カバー”っていうことばを使ってるそうよ。
なるほど、カバーバージョンね。たしかに、2008年の映画なのに、昭和初期の日本映画の匂いがした。
まずは、旅館の日本間。ああいう日本間を観るだけで、昔懐かしい匂いがしちゃうっていうのは、それだけ今の日本では畳のある光景が貴重になっちゃったってことかしらね。
それから、出演者たちの喋り。あの間とイントネーションは、明らかに古い日本映画のものだ。
出演者でいちばん驚いたのは、草剛でもなければ、加瀬亮でもなく、映画初出演のマイコだった。
洋風の顔立ちなのに、見るからに昔の日本の映画女優の風格をたたえていて、目を見張った。微妙に後ろを振り返るシーンなんて、他に観客がいなければ「よっ、見返り美人!」って声をかけてたぜ。
化粧品のモデルをやっていたって聞くと、たしかにそうだろうと思うところもあって、立ち居振る舞いがなんとも端正なのよね。
ドラマチックな展開はほとんどないんだけど、人情の機微で見せる部分がなんともおかしくて、その割にじめじめとするところはなく、こざっぱりしていて、いま見ても全然カビ臭くない。70年前にこんなおしゃれな映画があったなんて、目からうろこだ。
じゃあ、オリジナルを見ればいいじゃないって言うかもしれないけど、徳永英明のカバーCDを聴くようなもので、また違った魅力があるのよね。
今回のカバーバージョンのひとつの大きな意義は、やはりカラーになったことだろう。
初夏の緑のみずみずしさが、これでもかと目に映える。木々がきらめく山あいをのんびりと行く馬車の遠景。あれだけでも、映画館で観る価値、あるわよね。
あのみずみずしさは、カラーじゃないと表現しきれない。
高齢者割引でもないのに、1,000円で観れるっていうのも、こういう映画を観て昔の日本映画を再認識してほしいっていう制作者たちの心意気を感じるわ。
しかも、主演がスマップの草君だもんな。
たいした、たまげた。
なんだ、それ?
いや、昔の観客ならこう言うんじゃないかと思って。
とにかく、梅雨に咲くあじさいのように心にしみる映画だったよ。
うん、映画っていう名の絵手紙をもらったような気分よね。



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「ブレス」:太平一丁目バス停付近の会話

2008-05-21 | ★都02系統(大塚駅~錦糸町駅)

建物の壁に大きな木の絵なんか描いて、この建物の持ち主、結構ユニークね。
刑務所の面会室の壁に絵を貼るほどユニークじゃないけどな。
キム・ギドク監督の新作「ブレス」の話?
ああ、死刑囚を赤の他人の主婦が訪ねてきて、面会室の壁に春夏秋冬、四季の絵を貼って歌い踊るっていう、腰を抜かすような設定の映画。
それだけ聞くと、キワモノ映画みたいだけど、腐ってもキム・ギドク映画だからね。無視はできないわ。
キム・ギドクって、ほんとに、ふつうの人が考えつかないようなシチュエーションのドラマを次から次へ、よくつくるよな。
それもいよいよ極まってきたって感じもするけどね。
彼の映画って、おもしろいか、つまらないかって言われれば、決しておもしろくはないんだけど、ついつい次回作を観てしまう。そういう意味では、日本映画でいえば、黒沢清みたいな存在なんだけど、それにしたって今回は、とうとうネタも尽きたか、って感じだった。
みどころがあるとすれば、死刑囚役のチャン・チェンの深い孤独を宿した瞳よね。
ほとんど、セリフをしゃべらないだけに、いっそう印象に残るのかもな。
それに対する主婦役のチアが、いかにも生活に疲れた主婦って感じで、映画としては適役なのかもしれないけど、いままでのキム・ギドク映画みたいな華がないのが残念だったわ。
映画全体が地味になってきちゃった。
ひょっとして、資金が集まらなくなって、こういう地味な映画しかできなくなってきちゃったのかしら。
それはそれで、残念な気がするな。世界中探してもいないような監督であることには間違いないんだから。
テーマが“愛と死”っていうのもよくわかるし、あのラストもそうきたか、っていう気はするけど、何か今まで彼の映画を観て来た観客にとっては、もうひとつ突き抜けてほしかったなあ、って気がするのよね。
せっかくの天才が、だんだん、ただの変わり者になっていかないことを祈るばかりだな。
そのためにも、応援は続けなくちゃ。
キム・ギドクには、あの建物の壁くらい大きなキャンバスを用意して、思い切り遊ばせてやりたいね。
期待をこめて、ここにも大きな余白を残しておくわね。以下、余白。














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「丘を越えて」:石原四丁目バス停付近の会話

2008-05-17 | ★都02系統(大塚駅~錦糸町駅)

ばね?洋風に言うと、スプリング?
なに、なんで、洋風に言わなきゃいけないの?ルー大柴じゃあるまいし。
でも、菊池寛って、洋風かぶれだったらしいぞ。
元祖ルー大柴ってこと?
そういう話じゃないだろう。俺は文芸春秋をつくった菊池寛の話をしてるの。
たしかに、映画の「丘を越えて」の中には、和服で暮らしていた葉子が菊池寛のところへ就職の面談に行くというので洋装にしたら、一発で合格しちゃったっていうエピソードがあったもんね。
一気に洋風文化が流れ込んできた昭和初期を背景にした、菊池寛を中心とする人々の物語なんだけど、菊池寛の役を西田敏行、秘書の葉子の役を池脇千鶴、朝鮮人編集者の役を西島秀俊が演じている。
池脇千鶴がそのころの洋風ファッションをとっかえひっかえ着て現れるのが、ひとつの見どころよね。
ラスト、コーション」でタン・ウェイがあのころのファッションを次々着こなしていたのを思い出すな。
池脇千鶴だから、あそこまで色っぽくはないけどね。
いや、しかし、彼女の恋の相手を務める西島秀俊は、いい線いってたぜ。このままいけば、日本のトニー・レオンになるんじゃないか。
それは、オーバーでしょう。”トニー・レオンが出てればどんな映画でも傑作と認める女性の会”会長としては、ほっとけない言葉ね。
おいおい、いつからそんな会の会長になったんだ?
いま。
しかし、池脇と西島がクラシックな部屋で別れ話を交わすシーンなんて、アジア映画特有の濃密な空気が流れてたぜ。
そうね。一瞬、ウォン・カーウァイの「花様年華」とかアン・リーの「ラスト、コーション」とかを思い出しちゃったもんね。
幻想の中のダンスシーンなんて、池脇の踊りはどうしても、段取りどおりに動いてみましたっていう感じで、大人の色気に欠けるんだけど、西島は結構色っぽかった。
池脇の踊りは、フィギュア・スケートでいえば、荒川静香の滑りがほしいのに、浅田真央の滑りになっちゃったみたいな感じよね。
でも、西田敏行も含めて、あの戦争が迫りくる時代の一瞬の自由と華やぎを深刻ぶらずにややコミカルに描いた中では、池脇の軽さもしっくり納まっていた。
映画の中で「高等遊民」なんて言葉聞いたの、何十年ぶりかしらね。
夏目漱石の専売特許だからな。森田芳光の「それから」以来かなあ。
監督の高橋伴明も、ところところで、あの当時の映画スタイルに目くばせするお茶目なセンスで、なんともユニークな映画をつくったもんね。
ラストもああいう形で終わらせるなんて、なんとも人を食ってる。
ベテランの余裕よね。
この映画をスプリングに、さらにいい仕事をしてほしいもんだ。
うーん、あなた、やっぱりルー大柴になってない?



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