【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「シャッター アイランド」:枝川バス停付近の会話

2010-04-29 | ★業10系統(新橋~業平橋)

あそこの建物、何に見える?
倉庫だろ。
とんでもない。レンタルスペースなのよ。
な、なんだって!倉庫に見える建物が実はロッカールームだって!そりゃ、驚愕の事実だ。
って思うような頭の持ち主が宣伝担当だったんでしょうね、「シャッター アイランド」は。
「あなたの脳を信じてはいけない」とか「この映画には隠された謎がたくさんあります」とか、挙句の果てには「絶対に最後を教えないで下さい」とかすさまじい宣伝文句が並ぶ。
一体どんなラストが待ち受けているのかと期待していたら、みごと肩すかしを食わされた。
宣伝にまんまと乗せられて、まだ何かあるはずだ、まだ何かはずだと思いながら観ていると、想像の範囲内で終わってしまう。映画の内容じゃなくて、宣伝に騙される映画だったんだな。
映画の中でも申し訳程度のどんでん返しはあるんだけど、全体を構成する大きな謎があれじゃあ、驚愕の結末っていうわけにはいかない。
「絶対に最後を教えないで下さい」って言うのは、教えられないほど凄い結末が待っているっていう意味じゃなくて、教えられないほど何もないっていう意味だったってことだ。
そういう意味では見事に観客の想像を裏切る映画だった。いやあ、すごい、すごい。
宣伝担当者も、この際、宣伝と実態との落差を思いっきりひろげて観客の度肝を抜くっていう破れかぶれの作戦に出たってことだな。相当、ひねくれた知恵者だ。
でも、そんな手を使わなくても、マーチン・スコセッシとレオナルド・ディ・カプリオのコンビなんだから、映画の魅力をまっとうに宣伝してもよかったんじゃないの?
1950年代、ナチとの戦争の後遺症が残るなか、共産主義の影が忍び寄ってきて、ロボトミー手術なんていうものが公前と行われる時代。あの時代のアメリカの不安を一身に背負った男の物語と見れば、十分鑑賞に耐えられる。
戦争の悲劇も確かにあったものだし、ロボトミーなんて悲惨な現実もたしかにあったわけだし、ただの謎解きで終わらせるには惜しい映画よね。
マーチン・スコセッシの演出は健在だし、マックス・フォン・シドーなんていう大御所も出演しているし、実は見どころ満載だ。
逆に、最初から謎を観客にばらして、その上で、その物語を表現する監督や役者の腕前をじっくり堪能してください、と宣伝したほうがよかったのかしら。
ああ、そのほうが、案外よけいな雑念を入れずに映画そのものを味わうことができてよかったかもしれない。
そこにシャッターを閉めてしまったわけね、この「シャッター アイランド」は。
惜しいことをした。




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「ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲」:豊洲四丁目バス停付近の会話

2010-04-24 | ★業10系統(新橋~業平橋)

黒土?白土はないのか。
何で?植物でも育てたいの?
白黒はっきりつけたいんだよ。
「ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲」みたいに?
あれは、白黒はっきりつけない話だろ。
だって哀川翔が白ゼブラーマン、仲依里沙が黒ゼブラクイーンになって「白黒つけてやる」って、戦う話じゃない。
そうなんだけど、最後の決着がああいう形だからな。
あれには、あっけにとられたなあ。監督が三池崇史だから何でもありだろうとは思っていたけど、白黒をつけるなんていうレベルをはるかに超える終わり方だった。
三池崇史らしいっていえば、三池崇史らしい。自由奔放、それがすべて。
自由よりも、奔放のほうがはるかに勝っている。
そもそも、ゼブラーマンを黒と白に分ける方法からして、あっけにとられる。
わかりやす過ぎ。
そんな三池ワールドで、今回いちばんの見どころは、何といっても仲依里沙だろう。
露出度が極端に高い衣装をまとった悪役を重量感たっぷりに演じている。
時をかける少女」に明朗な女子高生役で主演していたから、てっきりアイドル路線をひた走るのかと思っていたら、こういう、肉体を誇示するような、真逆の役柄をまったく臆するところなく演じ切るなんて、意外だった。
でも、こっちのほうが似合ってるみたい。半分、彼女のPVみたいな映画に仕上がってるもんね。
パワーを身にまとった、圧倒的な迫力。
まるで女子プロレスのアイドルを目の前にしているよう。
って、誉めことばか?
もちろんよ。哀川翔も彼女の前ではタジタジじゃない。
ちっちゃくまとまらないで、このまま突き進んでほしいよな。
観終われば、白も黒も関係ない、最初から最後までパワーとエネルギーだけで無理やり乗り切っちゃったような映画だったわね。
そうだな、黒土も白土も関係ないよな。
植物を育てるには関係あると思うけど。
あ、そう。




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「ノン、あるいは支配の空しい栄光」:豊洲駅前バス停付近の会話

2010-04-20 | ★業10系統(新橋~業平橋)

ここって、たしか消防署の施設じゃなかったかしら。
いまやシャッターも閉まって、それも過去の栄光だな。
ポルトガル映画の「ノン、あるいは支配の空しい栄光」に描かれた茫漠たる世界みたいなものかしらね。
1974年、アフリカの植民地戦争に参加しているポルトガルの兵士たちが自分たちの置かれた立場に疑問を持ち、戦争についての議論を始める。
そのうち、議論は過去のポルトガルの戦争の歴史に及ぶ。
それも、紀元前の戦争から始まって、1578年の悲惨な戦争に至るまで、ポルトガルという国の歴史を戦争の側面からたどるような展開になる。
しかも、挫折や敗北を繰り返す無残な戦いの数々。いつのまにか、戦争を通して人類の愚かさと自分の国の歴史を振り返ろうという壮大な叙事詩になってる。
マノエル・ド・オリヴェイラ監督って、名前だけは聞いていたけど、こんな骨太な映画をつくる監督だとは想像してなかった。
そうかと思うと、いきなり希望を灯すような天使が現れたりして、はるか神と人間に関する考察にまで話は及ぶ。
ある種、とんでもなく哲学的な映画だ。
なんと言っても、戦場の兵士たちが、戦争というものに対する議論を延々とするっていうのが斬新に映るわ。しかも、カメラ目線で。
振り返ってみれば、戦争それ自体について兵士たちが議論を交わすなんて、あまり見たことがない光景だよな。
映画に描かれる戦争と言えば、最近の「ハート・ロッカー」を持ち出すまでもなく、痛ましい現実の姿がまず第一に来るものなんだけどね。
戦争は痛いものなんだ、っていうのが、数々の戦争映画の原点だからな。
もちろん、この映画もその視点はしっかり押さえている。
とくに後半。ゲリラとの戦いで多くの兵士たちが次々と傷ついていく。
リアリスティックな描写とギリシャ悲劇みたいな過去の戦争の回顧の組み合わせが、独特の視点を持った映画をつくりあげた。
でも、東京では二週間限定公開。
ポルトガルの歴史なんて、日本人じゃピンとこないところがあるからかしら。
俺だって、ポルトガルなんて渋谷にあるレストランくらいしか知らないけど、言いたいことは十分伝わってきたぜ。
日本でも、こういう、自国の戦争の歴史を俯瞰する映画が出てきてもよさそうなもんだけどね。
いずれにしても、戦争は無益だってことだ。
戦争の火は、ひとつ残らず消してしまいたいわね。消防車が火を消すように。
その消防車も、ここにはもうないけどな。




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「アリス・イン・ワンダーランド」:豊洲二丁目バス停付近の会話

2010-04-17 | ★業10系統(新橋~業平橋)

映画のポスターの向こうに見えるのは?
キッザニア。
どちらも子どもたちにとっては、夢のワンダーランドってことね。
でも、ティム・バートン監督の「アリス・イン・ワンダーランド」に登場するのは、19歳になったアリス。もう十分おとなだ。
好きでもない男から求婚されかかっている。そこから逃れようと、幼いころ飛び込んだ穴の中へまた飛び込んでいくっていう物語。
ティム・バートンと不思議の国のアリスって、観る前からいかにもマッチしそうな印象だったけど、まったくその通り、極彩色の奇妙な世界が広がっていく。
コスプレ好きのジョニー・デップがいつも通りに怪演すれば、ヘレナ・ボトム・カーターがどでかい頭の赤の女王で応える。
ヘレナ・ボトム・カーターって、「眺めのいい部屋」のころはまともな女優だったのに、いつのまにか怪優になってしまった。
対する白の女王に扮するのが、文字通り白塗りのアン・ハサウェイ。
彼女も「レイチェルの結婚」みたいにちゃんとした演技ができる女優なのに、ときどきおちゃめな役柄に浸ったりする。
そりゃ、この手の映画にまじめな演技を求めるのは野暮ってもんでしょう。
いや、別に否定しているわけじゃない。むしろ、称賛したいくらいだ。映画の中でも言ってるじゃないか、「お前はどうかしてる。でも、偉大な人はみんなそうなんだ」って。
アリスも、最初は、こんなおかしな世界、ただの夢にすぎないと思っているのに、そのうち「あれは夢じゃない、記憶なんだ」って思い始めたりする。
いいことばじゃないか。俺なら「映画は夢じゃない。記憶なんだ」って言いたいね。
どういう意味?
「映画を観るっていうことは、ひとときの夢を観るようなもんだけど、それは記憶として観た人の現実を変える力にもなり得る」ってことさ。
この映画のアリスが穴の中で活躍したあとに、生きる力を得て、現実に戻っていったように?
ああ、そういうこと。ティム・バートンって、いつもそんな気持ちで映画を撮っているように感じられて、画面に現れた独特の世界だけじゃなくて、その裏にある心持ちにひかれるんだよなあ。
今回はあまりにもぴったりな題材過ぎて、これまでのティム・バートン以上の世界ではなかったように思ったけどね。
いいんだ。偉大なるマンネリは偉大なる文化に昇華する。
そういえば、あたしたちの会話もマンネリ気味じゃない?
偉大なる文化って意味か?
あほか。



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「息もできない」:IHI前バス停付近の会話

2010-04-14 | ★業10系統(新橋~業平橋)

IHIって、何の略か知ってるか。
以前も聞かれたような気がするけど、IHIねえ・・・。イヒ?
そんなわけないだろ。
イヒじゃあないのか。イヒではない・・・イヒもできない・・・息もできない。
って、「息もできない」につなげたいわけ?そりゃ、苦しすぎるだろ。
苦しくて息もできない・・・。
まあ、たしかに苦しくて息もできないような映画ではあったな、韓国映画の「息もできない」は。
家庭に問題を抱えるチンピラやくざと女子高生が偶然出会って心を通わす物語。
なんて説明すると、やわな恋愛映画かと思われちゃうかもしれないけど、実際は、息もできないくらい悲痛で救いのない話だ。
やくざな男と女子高生って、韓国映画の代名詞みたいな組み合わせで、しかも、韓国映画お得意の暴力シーン満載とくれば「またですか」っていう感じなんだけど、これがどうして、これまでの韓国映画の枠を壊しちゃうみたいなすさまじい勢いがある。
暴力が、単なる肉体的暴力を越えて、暴力を振るう側の人間のどうしようもない心の叫びにまで昇華され、ぎりぎりと胸をえぐってくる。
登場人物は、そういう形でしか表現しかできないほど痛ましい悲惨を抱えている。
まさしく息ができない。
そんな状況の中、夜の川辺でふっと交わされる孤独な男女の魂。
愛でも恋でもなく、ボロボロに荒みきった心の通い合い。
暴力でしか自分の思いを表現できなかった男がふと見せる弱みと、気丈にふるまう少女の底のない悲しみ。震えるほどの名場面よね。
それで彼らの心が癒されるのかというと、そうは問屋が卸さない。いよいよ、破滅が待っている。
これでもか、これでもか、って攻めてくるのが韓国映画の本領だからね。
チェイサー」とか「母なる証明」あたりの韓国映画を観ていれば、ことは単純には運ばないってことは容易に想像できる。
うん。ラストも一筋縄ではいかない終わり方で、「チェイサー」、「母なる証明」に連なる傑作サスペンスがまた一本でき上がったっていう感じよね。
しかも、人間ドラマの部分が濃い。
ヒリヒリとやけどするくらい濃い。
なんか、こういう映画群を観ていると、映画としてはものすごい力量を感じるけど、一方で韓国って相当、鬱屈した国なんだなあっていうマイナスの印象を持ってしまったりもする。
韓国に対して、案外、偏った見方を持っちゃうかもね。
“IHI”を“イヒ”って読んでしまうような勘違い?
じゃあ、なんて読むの?
アイ・エイチ・アイ。
そのまんまかい。




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