【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「ミルク」:信濃町駅南口バス停付近の会話

2009-04-29 | ★品97系統(品川駅~新宿駅)

絵画館の建物って、サンフランシスコ市庁舎に似ていないか。
そうかなあ。
威風堂々としたシルエットは似ているだろ?
真ん中がふくれているところぐらいじゃない?
でも、実物のサンフランシスコ市政委員ハーヴィー・ミルクと彼を映画で演じたショーン・ペンくらいは似ているだろ?
あいかわらず、例えがよくわからないけど。
こら、そうやって差別するな。
してないし。
ハーヴィー・ミルクっていえば、アメリカで初めて公職に就いたゲイなんだぞ。
彼の等身大の姿を描いた映画が「ミルク」。本人はちらっと写真が出てきただけだけど。
でも、人懐こそうな笑顔からは時代のカリスマになった魅力が十分伝わってくる。
たしかに、そのカリスマ性は、映画で彼を演じたショーン・ペンからも十分感じることができたけどね。
オーバーな仕草はいっさいなく、ほんの1、2センチ首を曲げたり、2、3センチ手を動かすだけで、ゲイであることをなんともナチュラルに感じさせるなんて、たいした芸だ。
あれ、いま、駄ジャレ言った?
言わない。
だよねえ。ショーン・ペンの演技は、ゲイを演じたっていう範囲にとどまらず、人間として魅力にあふれてた。
ユーモア、包容力。
気骨、精神力。
最初から成功したんじゃなく、何度も何度も落選を繰り返し、私生活的にも破綻を繰り返していく。それでもエネルギーを失わず、挑戦していく姿は、俺たちヒネた観客にも勇気を与えるよな。
“信念”よね。ゲイの存在を認めさせる以上に、世の中を変えたいっていう信念が伝わってくる。ゲイかどうかを越えてそういう信念を持っている人間は強いっていう普遍の法則。
それは、ハーヴィー・ミルク本人だけじゃなくて、この映画をつくったスタッフにも言える。
監督のガス・ヴァン・サントもゲイなんだってね。だからってわけでもないだろうけど、とにかくこの映画は芯に強いメッセージを持っていてそれが片時もブレない。
描き方としては決して奇をてらわず声高にならず、実にまっすぐなんだけど、それがまた映画の誠意を感じさせる。
でも、どうしてハーヴィー・ミルクは写真屋を開いたのかしら。
はい?
彼がサンフランシスコに来て最初にやったことといえば、写真屋を開くことだったんだけど、ミルクっていうからには牛乳屋のほうが自然じゃない?
おもしろいこと言うねえ。おもしろくない顔して。
素朴な疑問よ。
そんなこと、ちょっと考えればすぐわかる。
そう?
彼はゲイとしていつも人の目を気にしながら生きてきたんだぜ。見る、見られるを繰り返すうちに、無意識のうちに人を写しとる写真に興味を持ってしまったんだ。
ほんと?
知らないけど。
なにそれ。
だって、ハーヴィー・ミルクみたいな人間がいたなんて、この映画で初めて知ったんだもん。
40年近くも生きてきて?
40年生きてきて誇れるようなことは何もしてこなかった・・・。
あれ、それショーン・ペンのセリフじゃない。
ああ、ハーヴィー・ミルクは40過ぎてか頭角を現したんだ。俺にもまだまだ未来は開けてるよな。
なんか、むりやり自分に言いきかせてる?
ヒヒヒヒ。
あーあ、ミルクの笑顔とはえらい違いね。
こら、差別するな。
してないし。



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「グラン・トリノ」:権田原バス停付近の会話

2009-04-25 | ★品97系統(品川駅~新宿駅)

あそこに見えるのが神宮外苑の軟式野球場。
ああいうところで、少年たちは野球をしながら、男の生きざまを学んでいくんだ。
ン、そういう言い方、なんか、かっこいいわね。クリント・イーストウッドみたい。
ほ、ほんとか?
うっそー。嘘に決まってるじゃない。
そうだよなあ。クリント・イーストウッドなんて、そんじょそこらにいる男じゃない。
そのイーストウッドが監督、主演して、彼の魅力が全面展開する映画が「グラン・トリノ」。
野球こそ出てこないけど、イーストウッドが隣に住む少年に、はからずも男の生きざまを教えていく映画。
一人暮らしの偏屈な老人がひょんなことから東南アジア系移民モン族の少年と出会い、自分の人生の引き際を考えるようになる。
よくあるストーリーかもしれないけど、映画歴四十数年のイーストウッドが演じると味わい深いこと、このうえない。
これまでの映画人生が顔や仕草全部に出てきちゃうからね。
そしてすべてを総括するような、ラストの衝撃。
絶対知らないで観たほうがいい。
チェンジリング」に続いて、また一本、奇跡のような映画を目撃してしまった。
趣は違うけどね。
趣が違うのに、どちらも甲乙つけがたい傑作だっていうところが奇跡なんだ。
チェンジリング」は、映画として客観的に物語を語ることに精力が注がれていたけど、「グラン・トリノ」はイーストウッドの心情をもろに告白したような映画。
俺はこういう死に方をしたいんだって、全身で語っているような映画だもんな。ゾクゾクしちゃったぜ。
まるで遺言のように世界に注がれる視線。
チェンジリング」が「父親たちの星条旗」に近いとすれば、「グラン・トリノ」は「ミリオンダラー・ベイビー」に近い。
ああ、どれもこれも傑作すぎる!
「ミリオンダラー・ベイビー」も観た当初は、物語がおかしなほうに進んでいくんであれれと思ったけど、この心境へ到る道標だと思うと納得できる。
ほんとにどうしちゃったのかしらね、最近のクリント・イーストウッドは。
老いてますます渋く、ピークがどこにあるのかわからない。
本人も、彼のつくる映画もね。
かと言って、肩に力の入った映画じゃないし。
ユーモアもあれば、スラングも使い放題。
差別的な発言もへっちゃら。
怖いものなし。やりたい放題。
そうかと思うと、演出的には、余計な情を捨てたカットの切り方なんて、いっそスマートで引き締まる。ムダに余韻を引っ張る映画が多い中、イーストウッドの映画はいつも思い切りがよくて感心する。
野球で言えば、9回ぴったりで完封しちゃったって感じよね。
イーストウッド、78歳。このまま行ったら、100歳で最高傑作を撮るなんてことにもなりかねない。どうなっちゃうんだよ、いったい。



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「鴨川ホルモー」:北青山一丁目アパート前バス停付近の会話

2009-04-22 | ★品97系統(品川駅~新宿駅)

KEEP OUT・・・世の中には、越えちゃあいけない一線があるってことだよな。
なに、インテリぶってつぶやいてるの?プロレタリアートには似合わないわよ。
いや、「鴨川ホルモー」の京大生たちも、越えちゃあいけない一線を越えちゃったなあと思ってさ。
鬼を見ちゃったってことね。
仁王立ちするようなおっかない鬼じゃなくて、ねずみの大群みたいにチョコマカしたポケモン鬼な。
二浪して京大に入った学生が、実体も知らないまま青竜会というサークルに入ったら、これがなんと鬼同士を戦わせる“ホルモー”という伝統競技をする団体だったという、奇想天外な話。
鬼を操るには鬼語っていうのがあって、まずはこれを覚えなければいけない。
「ゲロンチョリー」とかね。
「ゲロンチョリー」!吉本か!
それを山田孝之や栗山千明たちが、どまじめにやるもんだから、観てるほうは、ぼう然とする。
鬼の出現より彼らの演技のほうがゲロンチョリー。
見てはいけないものを見てしまった後ろめたさとイタ気持ちよさが、微妙に閑散とした映画館の中を生暖かい空気のように漂う。
そしてなぜか、突然響き渡るレナウン娘の男声合唱。
1000年の風習になぜ、レナウン娘?
ぼう然はあ然となり、あ然は陶然となる。
なぜ、男のあーんなところに、あーんな、きんと雲が現れる?
でも、1000年の古都、京都が舞台だから、ひょっとしたらこういうこともあるかもしれない、っていう厳粛な気持ちにもなる。
ならないって。
陰陽師に連なる世界かもしれないし。
そんな高尚な次元じゃないって。
ただのコメディ?
身もふたもないコメディ。作りようによってはもっと高尚な映画にできたかもしれないのに、監督の本木克英は手を抜いてない?
というより、この話は軽みが身上だと思ったんだろう。重たい現実が多いこの世界だ、たまにはこんなあっけらかんとしたほら話もいいだろうっていう、カツドウヤとしての心意気。
同じほら話なら、伊坂幸太郎の原作を映画化した「フィッシュストーリー」のほうがはるかに出演者に血肉が通っていて、心情があふれていたけどね。
万城目学・原作の世界は鬼だからなあ。鬼に血肉を通わせるっていうのは、並大抵のことじゃできない。
ただのキャラクターとしてみれば、キモかわいい系の出来で、じゅうぶん好感は持てるけどね。
どうしても鬼に気を引かれるけど、実はそれを操る学生たちのグダグダした青春がテーマだからね、この物語は。
そう、そう、京都だから鬼をフィーチャーしたけど、実はどこの大学のどのサークルでも似たり寄ったりのグダグダした青春が繰り広げられているのよね。
山田孝之と栗山千明との恋も燃え上がるには温度が低すぎるけど、現実なんてそんなもん。
そして映画は無為に過ぎていく・・・。
青春が無為に過ぎていくようにな。
このくだらなさがわからない観客はKEEP OUTね。
ああ、俺もKEEP OUTしちゃおうかな。
おいおい。



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「スラムドッグ$ミリオネア」:青山一丁目駅前バス停付近の会話

2009-04-18 | ★品97系統(品川駅~新宿駅)

このあたりも、秋にはスラムのように枯葉の吹きだまりになることを人は知らない・・・。
知ってるけど。
その枯葉がみんなお札だったらいいなあと俺が思っていることを人は知らない・・・。
そりゃ、私だっていいと思うわよ。億万長者になれるもん。
億万長者?俺の語彙にはないことばだな。
ミリオネアは?
ミリオネアなら知ってる。クイズ・ミリオネア。爆笑問題の太田が1000万円を獲得した。
そのときの問題は爆笑するほどのものでもなかったけどね。
「スラムドッグ$ミリオネア」も爆笑するほどの映画ではなかったな。
別にコメディじゃないけど。
じゃ、何?
純愛映画。
あ、そうだったの?
主人公の思いが一直線の純愛物語だったから、ヒネた青春を送った人間にはピンとこないのかもね。
だって、貧民街で育った若者が純愛からクイズに挑戦するというだけの映画じゃ、ひねりがなくておもしろくないじゃん。
ひねりは、インド。インドが舞台ってところがインドを知らない人には新鮮に映るのよ。
インドというエキゾチックな土地柄にアカデミー賞の会員は目くらましを食ったってことか?
経済的にもあれだけの人口をかかえるインドはいま、アメリカ人にとって興味深い土地なのよ。映画の出来も別に悪くないけど、時代も味方したんじゃない?
たしかに、インドといっても、サタジット・レイの「大地のうた」とかと違ってやはり西洋人からみたインドという感じはしたからな。
現地ロケで現地人を使って頑張ってはいるんだけどね。
しかし残念なことに、貧民街を描いても、どこかフォトジェニックで、本来スラムのはらむ猥雑な活力が思いのほか漂ってこない。
ブラジルのスラムを描いた「シティ・オブ・ゴッド」や南アフリカのスラムを描いた「ツォツィ」の身も凍るような街の姿に比べるとまだまだ手ぬるいというか、緊迫感が足りない。
子どもの目をつぶすとか、ぞっとするシーンもあるんだけど、主人公をあくまで誠実な人物に据えたところに限界があるのかな。
ハリウッド流の限界?
でも、そのおかげでアカデミー賞を獲ることができた。
口当たりがよくなるからね。
でも、こういう中途半端にエキゾチックな映画が賞を獲る傾向ってどうなの?
おくりびと」は違うと思うけど。
ああ、あの映画を観ることで世界の人がもっと日本映画に関心を持ってくれるとうれしいな。
「スラムドッグ$ミリオネア」を観た世界の人がもっとインド映画に関心を持つようになれば、それはそれでいいいのかもね。
ああ、本物のインド映画のスター女優はもっともっとデブだぞ、とか、本物のインド映画の踊りはもっともっとはちゃめちゃにエネルギッシュだぞとかな。
なにしろ、あの八方破れの映画「ムトゥ 踊るマハラジャ」でさえ、インド映画の範疇では洗練された映画に位置づけられるっていうんだからね。
それに比べれば、この映画のヒロインの華奢なこと。明らかに西洋人が好む東洋人だ。
まるで黒木メイサみたいでね。
黒木メイサ、いいねえ。彼女をちゃんと生かした映画が日本でもできていいのにな。
いっそ、あなたがお金を出してつくったら?
それならいっそ、クイズ・ミリオネアにでも出るか?
そうそう、クイズ・ミリオネアに出る理由はやっぱりお金じゃなきゃねえ。
純愛が理由でクイズ・ミリオネアに出るなんて逆に不純だよなあ。
クイズ・ミリオネアに失礼よ。
賞金を何に使ったのかも描かれてないし。
そう、そう。珍しく二人の意見が合ったわねえ。
そういう意味では、俺たち二人の愛を確認した映画ではあったな。
そこまでは、意見が合わないんだけどね。



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「レッドクリフPartⅡ-未来への最終決戦-」:赤坂高校前バス停付近の会話

2009-04-11 | ★品97系統(品川駅~新宿駅)

お墓の隣にある高校ってどうなのよ。
死者を敬え、死人に学べってことだろ。
まあね、学問、とりわけ歴史っていうのは、先人たちの行いを知るっていうことだからね。
死屍累々の歴史と言えば、まず思い浮かぶのは三国志だろう。
たしかに。中国的なスケールだから何人死んだかわからない。
映画の「レッドクリフ」とか観ても、その数は想像のしようがない。
「レッドクリフ」は戦いの残酷さを描くというよりは、講談としての面白さを狙った映画だからね。死者に涙する場面もあるけど、基本的には大河ドラマ。
でなけりゃ、周瑜とか孔明とか、あんなにかっこいいわけがない。
ほんとはもっとドロドロした軍師だったんでしょうね。
ドロドロドロンジョ。
でも、監督のジョン・ウーは、あくまでかっこいい男たちの物語にしたかった。
男も女も含めてな。
敵も味方も含めてね。
そういう意味で、登場人物たちの性格や特徴が描き分けられた「PartⅠ」を受けて「PartⅡ」では、どんな濃密な人間ドラマが待っているのかと期待していたら、あらら、割りと想像の範囲内だった。
そうかしら。合戦の迫力は圧倒的だったし、トニー・レオンや金城武が知力を駆使して敵を欺く姿はPartⅠ同様、やたらかっこよかったじゃない。
PartⅠ同様で、それ以上ではなかった。彼らの魅力はPartⅠで十分描き尽くされているんじゃないのか。
いやいや、孔明が風を読む挿話なんてどうよ。
そうだな。終わってみれば、気象予報士の大切さを思い知った映画だった。
そう、明日のお天気には注意しましょう・・・って、そんなレベルの映画じゃないわ。主演者たちが最後に相まみえるシーン。みんながみんなに狙われる三すくみ、四すくみになるラストなんて見ものだったじゃない。
「レザボア・ドッグス」の昔からよくある設定のバリエーションだけど、なにか香港映画みたいな独特の空気が漂っていた。ああいうシーンをもっともっと観たかった。
最近でいえば、「エグザイル/絆」みたいな雰囲気かしら。
それは誉めすぎだろう。
とにかく、圧倒的に物量を誇る敵を頭脳プレイで追い詰める姿には身が踊るわよね。
しかし、要するに相手が間抜けだったっんじゃないかという気もして、敵をやっつけてもWBCで日本が勝ったようなスカッと感がいまひとつ足りないんだなあ。
周瑜が七人の侍ばりに最後にひとことつぶやくように、単なる勧善懲悪ものじゃないんだから、それでいいのよ。
そう、そう。ヒーローものじゃない。歴史ものだった。
お墓の隣の高校生が観ても学ぶところが多いんじゃないかしら。
明日の天気には気をつけよう、とかな。
そればっかり。




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