【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「抱擁のかけら」:浅草雷門バス停付近の会話

2010-01-27 | ★草63系統(池袋駅~浅草雷門)

まっ赤な人力車なんて、派手ねえ。
「抱擁のかけら」にでも出てきそうな人力車だな。
ああ、ペドロ・アルモドバル監督の新作ね。赤いドレスに、赤い靴、赤いセーターに、赤い車。たしかに、赤が目立つ映画だった。
情熱があふれ出してくるような濃厚なスペイン映画だったからな。
映画監督と主演の女優が愛し合うようになるんだけど、その女優にはパトロンがいて、彼の息子が二人の仲を始終監視するうちに悲劇が訪れるという物語。
ストーリーだけ追うと、古びたメロドラマに過ぎないんだけど、監督が「オール・アバウト・マイ・マザー」や「トーク・トゥ・ハー」のペドロ・アルモドバルだから、ねっとりとした口調であくまで格調高く語りかけてくる。
ある意味、オーソドックスで、しかも大胆。サスペンスもたっぷりに、もちろん、トレードマークのゲイの話も挟み込んで映画にふくらみを持たせている。
出演者たちも、文字通り、ゲイ達者をそろえている。
主演は、ゲイではない、正真正銘の美女、ペネロペ・クルスだけどね。
去年「それでも恋するバルセロナ」でアカデミー助演女優賞を獲って、いま、もっとも油が乗っている女優だ。
“油”じゃない。“脂”でしょ。
燃えるような情念を持つ女、といえば“油”のイメージだろう。
キツい顔立ちを活かして抜き差しならない恋愛に悩む妖艶な女性を演じているけど、映画内映画では、オードリー・へプバーンのような軽快なタッチの役柄を要求される。
その二つの面を堪能できて、ペネロペ・クルスファンにはたまらんな。
ペドロ・アルモドバルがまた、彼女の一挙手一動をもらすまいとするように撮ってるのよね。
粗いモニターの画像に映し出された彼女の顔を映画監督の手がなめまわすように這っていく場面なんか、その最たる瞬間だ。
あのシーンこそ、映画的快楽の極み。ペドロ・アルモドバル映画のクリエイティビティの高さを象徴している。
ただものじゃないぞってわけだ。
「抱擁のかけら」っていうタイトルだけど、かけらどころか、熱い抱擁を交わしたような映画だった。
この際、俺も抱擁を交わしてやるか。
誰と?
ペネロペ・クルスと。
あり得ない。
あ、やっぱり?







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「Dr.パルナサスの鏡」:浅草一丁目バス停付近の会話

2010-01-23 | ★草63系統(池袋駅~浅草雷門)

「新仲見世」?見世物小屋でもあるのかな。
浅草だから、アミューズメント施設があっても不思議じゃないけど、いまどき、さすがに見世物小屋はないんじゃないの。
ロンドンにはあるのにな。
映画の「Dr.パルナサスの鏡」の話でしょ。
ああ、「寄ってらっしゃい、観てらっしゃい。この世のものとも思われぬ幻想的な世界へようこそ」っていうやつな。鏡の向こう側の摩訶不思議な世界へいろんな人物が案内される。
鏡の向こう側には、そこへ行った人たちの想像力でつくられた、夢まぼろしの世界が広がっている。
監督が「未来世紀ブラジル」や「バロン」のテリー・ギリアムとくれば、どれくらい現実離れした世界か想像がつく。
思いっきりイマジネーションの翼を広げて、自分の思い描いた通りの映画世界を創造する天才監督よね。
今回もまた、彼の独創的な世界観が隅々にまで発揮されている。
今回も、って言うけど、テリー・ギリアムは不遇続きで、「ドン・キホーテを殺した男」なんて撮影途中で暗礁に乗り上げちゃってるし、この映画の主人公のヒース・レジャーも撮影途中で急死している。
ところが、そのあとを、ジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルというそうそうたるメンバーが穴埋めしているんだから、不遇なテリー・ギリアム監督とはいえ、どれだけ俳優たちから信頼されているか、想像がつく。
鏡のこちら側の主人公をヒース・レジャー、鏡の向こう側の主人公をあとを継いだ三人が分担して演じるというマジックのような構成で乗り切っている。まさに、この映画だからこそ成し得た快挙といったところね。
でも、それだけに、この三人、わりとあっさりとしたゲスト出演的な見え方がしてしまう部分もあって、せっかくのキャスティングなのに、それぞれのキャラクターをちょっと活かしきれていなかった感じもする。
まあ、異常事態だったからね。そういう意味では、テリー・ギリアムの演出もいつもに比べるとあっさりしていたかしら。
この手の映画は、これでもか、これでもか、と異常なほどの粘着力で圧倒的なイマジネーションの押し付けをしてくるところに醍醐味があるんだけど、今回はちょっと本来のしつこさが足りなかったかもしれないな。
彼の本領は、まだまだこんなもんじゃないって気はするわよね。
テリー・ギリアムといえば、エミール・クストリッツァ、ティム・バートンと並ぶ“世界三大ほらふき監督”の一人なんだから、もっともっと狂い咲いてほしいよな。
あら、“世界三大ほらふき監督”なんて、誰が言ってるの?
俺。
それも、ほらなんじゃないの?
とーんでもない。これは紛れもない真実だ。この三人の映画しか上映しない“世界三大ほらふき監督の館”でもつくってほしいくらいだ。
どこに?
まあ、こういう妖しげな施設がふさわしいのは、浅草くらいしかないかな。







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「今度は愛妻家」:浅草公園六区バス停付近の会話

2010-01-20 | ★草63系統(池袋駅~浅草雷門)

今半の前を通ると、大林宣彦監督の「異人たちとの夏」を思い出すのよねえ。
風間杜夫が、父親の片岡鶴太郎と母親の秋吉久美子と連れ立って、浅草の今半で食事を共にするシーンだろ。肉親の情が際立つ名場面だった。
薬師丸ひろ子と豊川悦司が夫婦役になる「今度は愛妻家」も、親子の話ではないけれど、家族の情が感じられる、いい映画よね。
家族というより、夫婦の愛情の物語だ。
もちろん、それがメインなんだけど、おカマ役で出てくる石橋蓮司が二人を引き立てていい味出してるのよ。
まあ、何をやらせてもうまい役者だからな。途中まではおもしろおかしいだけの謎の人物なんだけど、素性がわかってからは存在感がますます冴えてくる。
この映画自体、途中までは、犬も食わない夫婦喧嘩の話かとみせかけておいて、謎が解けてからは、夫婦の深い愛情に胸が打たれるという仕掛けが用意されている。
薬師丸ひろ子の白いシャツがまぶしいなあと見とれていたら、そこには理由があった。
家に出たり入ったりするタイミングがどうもおかしいと思ったら、そこにも理由があった。
その謎がわかるまでの薬師丸ひろ子のコメディエンヌぶりもひとつの見どころだ。
豊川悦司との、すっかり賞味期間が過ぎたような夫婦のかけあいが、ときには滑稽に、ときには辛辣に進んでいく。
明らかに舞台劇の映画化だってわかる構造なんだけど、薬師丸ひろ子の、なんともふわふわした存在感がこの物語にぴったりはまってる。
最後はちょっとセンチメンタルになっちゃうけどね。
くすくす笑わせて最後はしんみりさせる。これぞ、映画の王道じゃないか。
映画の王道かあ。
「世界の中心で愛を叫ぶ」でケチをつけた行定勲監督らしからぬ正統派の娯楽映画だ。あの映画のリアリティのなさから比べると、この「今度は愛妻家」の、本来リアリティのない話にリアリティを持たせた行定監督の技量は長足の進歩だと言っていい。
なに、言ってるの。「世界の中心で愛を叫ぶ」の前にだって「GO」っていう傑作を撮ってるのよ。
ああ、そうだった。出来にムラがあるっていうことかな。
今半のすき焼きにはムラがないけどね。
「異人たちとの夏」の今半かあ。「異人たちとの夏」は、ある意味「今度は愛妻家」を観た人には、観てほしい映画だな。
ある意味ね。







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双葉十三郎、死す。

2010-01-16 | ★草63系統(池袋駅~浅草雷門)


ショックです。
日本で最も尊敬する映画評論家の双葉十三郎さんが亡くなりました。
軽妙な文章で映画の本質をつくその手腕には、いつも感心させられていました。
しかも、最近の評論家のように難しいことばで持って回ったような表現をすることもなく、
あくまで、平易で簡潔な評論でした。
いま、多くのブロガーのみなさんが☆取り表をつけていますが、
日本で初めて映画の評価を☆で表したのも、双葉さんだったのではないでしょうか。
彼の著書「僕の採点表」は、映画ファンのバイブルです。
きょうは、いつものように、観た映画についての記事をアップする気力がありません。
静かにご冥福をお祈りしたいと思います。
合掌。

「バッタ君町に行く」:西浅草三丁目バス停付近の会話

2010-01-13 | ★草63系統(池袋駅~浅草雷門)

ここが、佃煮で有名な鮒金よ。
バッタの佃煮もあるかな。
バッタの佃煮?イナゴの佃煮の間違いじゃないの?
同じようなもんだろ。
そんなこと、言ったらバッタにもイナゴにも失礼よ。そういうのを人間の横暴って言うんじゃないの?
人間の横暴にバッタが立ち向かうアメリカ映画といえば、「バッタ君町に行く」だ。
1941年。なんと太平洋戦争が始まったときに製作されたアニメーション。
そのわりには、アニメの技術もテーマも古くない。
土の上に暮らす虫の視点で描かれているんだけど、その平和な土地を人間たちが開発しようとして、虫たちが追いだされそうになる話は、日本で言えば「平成狸合戦ぽんぽこ」と同じような構図だし、最近の「アバター」だってそういう話だって言えないこともない。
わがままな人間に蹂躙される平和な楽園っていうことだな。
時代を超えた、普遍的なテーマなのよ。
それを表現するアニメの動きが、また、異様になめらかなんで、虫たちの話なのに妙になまめかしい。
ディズニーでいえば、「白雪姫」と同じような印象よね。動きに省略がないから、実写以上に丁寧に動いているように見える。
といっても、これはディズニー映画じゃなくて、「ポパイ」や「ベティ・ブープ」などのフライシャー兄弟の映画。
だからかあ。感覚がどこかしらアートっぽいというか、都会的。
見どころは、なんといっても、建設中のビルに虫たちが上っていくシーンだろう。
ビルをつくる機械や組み上げられていく鉄骨のめまぐるしい動きをかいくぐって、虫たちの列が、上へ、上へと進んでいく。そのリズム、色彩、構図がひっくり返るほどモダンなのよね。
戦争の始まった1941年にこんな映画をつくっているんだから、日本はアメリカに負けるわけだ。
でも、当時はアメリカでもあまりヒットしなかったそうよ。
ヒットしてれば、続編も出来てかもしれないのにな。
続編?
「イナゴ君町に行く」とかね。
そして、佃煮になっちゃうとか?
そう、もぐもぐ・・・って言わせるな。







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