
細田守監督って、いつも映画らしい映画をつくるんで感心する。

映画らしい映画って、いつもアニメだけど。

アニメだけど、脚本やカメラワークや小道具・美術、演出が“映画”になっている。

一般的なアニメのような誇張や飛躍がないってこと?

いや、タイムスリップするとか電脳世界の戦いとか、設定はいつもアニメらしい。

今回はおおかみと人間の間に生まれた子どもたちの物語。これもまたいかにもアニメらしいシチュエーション。映画らしい映画ってどこを指してそう思うの?

スクリーンから立ち昇る匂いみたいなものかな。

意味わかんない。

たとえば姉が白いカーテン越しに自分の秘密を告白する場面、あのカーテンの揺れはもう映画以外の何者でもないわけ。

そう言われてもねえ。

「
サマーウォーズ」で言えば、お婆ちゃんが死んだあとの家族の姿を横移動で写す場面構成に映画の匂いを感じてしまうわけよ。

それより、幼いころはおおかみぽかった姉が人間になることを選び、幼いころは弱虫だった弟がおおかみになることを選ぶっていう逆転の選択がおもしろかったわ。

言ってしまえば、“混血児”の物語だからな。細田守・奥寺佐渡子のコンビも実に微妙な題材を選んだものだ。

おおかみと人間の混血って考えるとファンタジーになるけど、これが、二つの民族の間に生まれた混血だったりするとまるで様相が違ってくるわね。

この映画、何かの隠喩っていうわけでもないだろうから、それ以上の詮索をすると映画の意図を見誤る。誤解を生むようなことは言わないに限る。

細田守、また次回作が楽しみだわね。

そうそう、それくらいの感想が無難だ。