【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「ラスト、コーション」:東京ビッグサイトバス停付近の会話

2008-02-02 | ★東16系統(東京駅~ビッグサイト)

ビッグサイトって、フェリーでも来れるんだよな。
香港を往来しているフェリーみたいに?
そこまでロマンチックじゃないけどな。
香港映画の「ラスト、コーション」はロマンチックだったけどね。
おいおい、「ラスト、コーション」はたしかに香港が舞台のひとつにはなっているけど、いわゆる香港映画じゃない。どちらかといえば、中国映画だし、監督のアン・リーはアメリカを中心に活躍している。それに、ロマンチックというのとは、ちょっと違う印象の映画じゃないのか。
いいのよ。私にとっては、トニー・レオンが出てれば、みんな香港映画だし、みんなロマンチックな映画なの。
トニー・レオンが出てれば何でもいいんだよな、お前は。
そりゃあ、「花様年華」のトニー・レオンよ。「インファナイル・アフェア」のトニー・レオンよ。彼が出てれば、それ以上何が必要?
たしかに、今回も、彼特有の、どこか生きることに疲れたような虚無的な存在感、そこから醸し出されるゾクゾクするほどの男の色気は、いぶし銀の域に達していた。でも、ロマンチックっていうのとはちょっと違うんじゃないのか。
どうして?1940年代、日本占領下の上海で、タン・ウェイ演ずる女スパイが、トニー・レオン演ずる敵対組織のリーダーを暗殺するため彼に接近するうち、二人の心に微妙な感情が芽生えていく、っていう話よ。ロマンチックとしか言いようがないじゃない。
そう言うと聞こえがいいけど、つまりは、ダイヤモンドに目がくらみ、任務を忘れた愚かな女スパイの話だろ。
うーん。あなたらしい身も蓋もない見方・・・。そういう見方ばかりしてると、恋なんか一生できないわよ。
20歳過ぎたおとなが、”恋”なんて気恥ずかしい言葉を使うな。それにこの映画はそんな高校生が使うような言葉で表現できるほど、単純な映画じゃない。
じゃあ、なに?
まるでトニー・レオンに乱暴されるように彼と関係を持ったあとのタン・ウェイの、一瞬ゆるんだくちびる。あれは、何だよ。愛とも打算とも何とも形容のし難い顔。二人のねじれた関係をそのまま映し出すような表情だった。
そうね。愛と打算の間で揺れ動く二人の駆け引きをじっくりと追ったサスペンス映画とも言えるかな。
女スパイ役のタン・ウェイがトニー・レオンを相手にまた、清純なのか淫乱なのかわからない女を初々しくも大胆に演じていて、時折ゾッとする表情を見せる。”恋の映画”じゃなくて”濃い映画”だったってことだ。
たしかに、ロマンチックということばでは語りきれない濃密過ぎる世界かもしれないわね。でも、それは、単純に、「ダイヤモンドに目がくらみ、任務を忘れた愚かな女スパイの話」なんてまとめられないってことでもあるんじゃないの?
うーん。鋭い指摘だ。お前もやっぱり、タン・ウェイと同じで、簡単に気を許せない女だったか。
いまごろ気づいたの?
ああ、顔だけ見てるととてもそうは見えないからな。
どうせ私はチャン・ツィイーよ。
意味不明。
不明といえば、結局、この駆け引きに勝ったのは男だったのか、女だったのか。一概にどちらとも言えないところがまた、ミステリアスよね。
男からみれば、とにかくきれいな女には気をつけろってことだな。
あなたにかかると、結局、そういう下世話な結論になっちゃうわけ?
だって、タイトルが「ラスト、コーション」。「最後の警告」ってことだろ。それって、女には気をつけろ、って意味じゃないのか。
これだから、教養のない男はイヤよね。ここで言うところの「ラスト」は「欲情」、「コーション」は「戒め」。
それって、やっぱり、女には気をつけろ、ってことじゃないの?
じゃあ、女からみれば、男には気をつけろってこと?
かもな。
それでもいいわ。トニー・レオンさえ出ていれば。


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「テラビシアにかける橋」:フェリー埠頭入口バス停付近の会話

2008-01-30 | ★東16系統(東京駅~ビッグサイト)

あんなところでコスプレして、最近の若者は変身願望があるのか。
そりゃあ、年齢に関係なくあるわよ。変身というより、現実とは違うもうひとつの別の世界を持ちたいっていう感じかしら。
ああ、「テラビシアにかける橋」の子どもたちみたいにか。
そうそう。小学校でいじめられている少年と転校生の少女が、森の中にテラビシアという想像上の国をつくっていくという話。
俺たちが子どものころは、森の中に秘密基地とかつくったもんだが、それの延長線上だな。
まあ、そんなところね。でも、ある日、少女に悲劇が訪れる。
少年はその悲劇を少女からもらった想像力で乗りこえていく。
めちゃくちゃ感動的な物語よね。
というか、ちょっとわかりやすすぎないか。
いいのよ、子どもたちに観せるには、これくらいわかりやすくて。
あ、子ども向けの映画だったのか、この映画は。
あたりまえじゃない。原作は児童文学の最高傑作なんだから。
そうなの?俺なんて、最初っから橋をかけときゃよかっただけじゃん、と思っちゃったけどな。
それは、禁句でしょう。
それにしても、描写に深みがないというか、監督の力量が感じられないというか、魅力的な物語なんだから、もうちょっと演出に工夫があってもよかったんじゃないのか。
だから、あまり複雑にすると子どもたちがついてこれないんだって。
しかし、少女に訪れる悲劇なんて、口で語られるだけで、もう少し手に汗握るサスペンスがあってもよかったと思うし、それがないと残された少年の悔恨がいまひとつ胸に迫ってこない。
いいのよ、少女役のアンナソフィア・ロブが魅力的であれば。
ああ、ちょっと釣りあがった目が印象的な金髪の少女か。あの子は買いだ。案外、ジョディー・フォスターみたいな女優になっていくんじゃないのか。
まるで、私の幼少時代を見ているみたいだったわね。
うーん、そういうふうに女優と自分を比べる癖、やめてくれない?
ごめん、想象力豊かなもんで。
というより、妄想力豊かなんだよ、お前は。
少年の妹役の女の子も、ちょっと生意気でかわいかったでしょ。
フォークシンガーくずれみたいな学校の音楽の先生とか、案外いいことを言う高齢の教師とか、おもしろくなりそうなキャラクターがたくさんいたのに、みんな一通りの描き方で終わっているのも、惜しかった。「テラビシア」という国の描写も、自然豊かな風景というだけで、あまり新鮮味がない。
そういう意味では、ファンタジー映画の入門篇ていう感じかしら。
そうだな。これを観た子どもたちには、ファンタジー映画の真髄はこんなもんじゃないとわかってもらうために、もう少し大きくなったら「パンズ・ラビリンス」でも観るよう薦めたいな。
うわっ。一気にそこまで行く?ある意味、究極のファンタジー映画。
想像力がなぜ必要か、極限の答えがあそこにはあったような気がしないか。
たしかに、あれは想像力がなければ生きていけないほどの、のっぴきならないシチュエーションだったもんね。
残念ながら、この映画にはそこまでののっぴきならなさはないんだ。
あそこでコスプレしている若者たち程度にはのっぴきならなさがあると思うけどね。
のっぴきならなさの入門篇な。
この際、私もコスプレしようかしら。
魔女な、魔女。


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「子猫の涙」:有明一丁目バス停付近の会話

2008-01-26 | ★東16系統(東京駅~ビッグサイト)

有明コロシアムって、ボクシングの内藤大助と亀田大毅が試合をしたところなんでしょ。
おー。よく知っているな。じゃあ、昔、森岡栄治っていうボクサーがいたのは、知ってるか。
もちろんよ。1968年のメキシコオリンピックで銅メダルを獲得したもののプロに転向してからは、怪我のために、はかばかしい成績を上げられずに引退したボクサーでしょ。
詳しいなあ。ひょっとして、お前もボクシングを習ってるのか?いつもの腕っぷしの強さは、そこから来てるとか?
違うわよ。森岡栄治の人生を題材にした映画「子猫の涙」を観たばっかりだからよ。
犬の映画が流行ってるからこんどは猫の映画かよ、と思ったら全然違った。
森岡栄治という、かなり型破りな人物の行動を十歳になる娘の視点から語っていく。その娘もこの父にしてこの子ありっていう、やんちゃな女の子で、おとなたちと対等にやりあう。だからタイトルが「子猫の涙」。舞台が大阪なだけに、関西の下町特有の匂いがする、人間味あふれるボクサー映画になっていた。
この森岡栄治役を武田真治が引き締まった体で好演している。
何年も前からボクシングを習っているっていうだけあって、ボクシングシーンもサマになってたわ。
彼もテレビのバラエティの端っこにばかり出ていないで、もっとこういう本格的な映画に出演したらいいのにな。
彼の愛人になる広末涼子もハスッパな感じがよく出ていたわ。「Little DJ 小さな恋の物語」みたいな繊細な女性の役より、こういうちょっと崩れた役のほうが似合うんじゃないの?
お前みたいにな。
あら、光栄。広末と私が一緒なんて。
それは誤解だ。鏡を見なさい。
あ、魔女がいる。
感慨深いのは、森岡栄治がちょっとした事件で取り調べを受けることになるんだけど、そのときの刑事役を赤井英和が演じていることだ。
それが、どうして感慨深いの?
赤井英和自身、怪我でボクシング界を引退して映画界に入ってきている。しかも、初主演作が大阪を舞台にしたボクシング映画「どついたるねん」だ。演じてて赤井自身に感慨深いものがあると思うぜ。
なるほどね。ちょっと「どついたるねん」みたいな匂いもあるもんね、この映画。
「どついたるねん」に連なるボクシング人情映画の佳作がまた一本誕生したという言い方もできる。
でも、映画館はガラガラだったわね。しかも、映画ファンというよりはボクシングファンらしい男たちが大部分。
まあ、この映画には、そういう扱いのほうがふさわしいのかもな。ミーハーに歓迎される大輪の花というよりは、ひそやかかに、陰日向に咲く映画っていう感じもするからな。
でも、最近は原作を売りにしただけで質の伴わない映画が多い中で、良質な日本映画のお手本みたいな映画なんだから、もっとたくさんの人に観てほしい気もするわ。
有明コロシアムを満員にするくらいにか?
うーん、それは無理かな。


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「母べえ」:有明テニスの森バス停付近の会話

2008-01-23 | ★東16系統(東京駅~ビッグサイト)

なに、ソワソワしてるの?
いや、吉永小百合って、テニスとか乗馬が趣味らしいから、ひょっとして有明あたりにいたりしないかなあと思って。
いるわけないでしょ。
でも、俺がいると知れば、来てくれるかもしれないぜ。
なに、考えてるの。親しくもなんともないのに。
そんなことはない。この正月なんて、彼女から俺のところにじきじきに年賀状がきたくらいの仲だ。
ああ、「母べえ」の年賀状ね。あれは、みんなのところに来たの。
え、そうなの?俺に気があるのかと思ったのは、ただの初夢だったか。
でも、いい映画だったでしょ、「母べえ」。
戦時中に自分の夫が反政府活動で投獄された母親が、幼い二人の姉妹を女手ひとつで育てるって話。実年齢からいえば、吉永小百合はあの姉妹のおばあちゃん役でもおかしくないところだけど、さすが、大女優、そのあたりは細心の注意を払って母親を演じていた。
設定からいえば、三十代か四十代の女性なんだけど、いまの三、四十代で、あの時代のおかあさんを演じられる女優なんて思いつかないもんねえ。包容力の違いかなあ。
エプロンではなく、割烹着を来たおかあさんに、二人の娘がべたっとまとわりついていく図。あれはもう、日本の家族の原点の姿だな。
夫がいない間、身の回りの世話をしてくれる教え子が、浅野忠信。これがまた、純朴な青年を演じていい味を出している。
ずっと座ってたんで足がつり、立ち上がろうとしてすってんころりと転ぶ。そんな、いまどきサザエさんでもやらないような手垢のついたギャグが、山田洋次の手にかかると浅野忠信の温厚な性格を現した的確な演出に映るから不思議だよなあ。
靴下に穴が空いているなんていうのも、使い古された手なのに、あれで一気に浅野忠信に好感を持っちゃう。
海に行って泳げなくて溺れかけるなんていうのも、ありがちなエピソードだ。
ところが、単なる笑い話に終わっていたはずのこのエピソードがのちのちの悲劇につながるんだから、もう、構成のうまさにうなるしかないわね。
溺れかけた浅野忠信を助けるため、吉永小百合が海に飛び込むんだけど、いやあ、その水泳姿の凛凛しいこと。まいりますねえ。
権力者には毅然とした態度で接しながら、生活のためにご近所とはそつなく接していく。そうやって戦争をくぐり抜けてきた日本女性の姿が、彼女の一挙一動から鮮やかに浮かび上がるわね。
そして、終戦から数十年後たった現在のシーン。ああ、あのかわいかった姉妹が、あんなおとなになっちゃうのかあ、っていう感慨。
それはないでしょう。「Little DJ 小さな恋の物語」で福田麻由子がおとなになったら広末涼子になってしまったのに比べれば、十分許せる範囲よ。
しかし、戦争の時代を描いた映画ってどれも、現在のシーンになると急に薄っぺらな感じになるのはどうしてなんだろうな。
それだけあの時代が濃密だったってことかもしれないわね。
・・・なあんて思いながら観ていたら、ラスト、吉永小百合のいまわの際のひとこと。あそこでまた、ガツンとかなづちで頭をたたかれたような衝撃がくる。
この映画が反戦映画だったって、あらためて思い知る瞬間よね。
いつも穏やかな山田洋次が、こんなストレートに怒りの鉄拳を放つとは思わなかった。
新藤兼人と一緒で、いま言っておかなければいけないっていう焦燥感があったのかもしれないわね。
あのころに比べれば、たとえば有明くんだりでのんびりとテニスをできる時代がどれだけ幸せか、思い知れ、ってことだな。
有明に吉永小百合はいないけどね。
それだけが心残りだ。


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「スウィーニー・トッド」:有明二丁目バス停付近の会話

2008-01-19 | ★東16系統(東京駅~ビッグサイト)

この辺りって、倉庫街ばかりだと思ったら、こんな立派なマンションができてるのね。
時代の変化だよ。時がたてば、街は変わり、人も変わる。
街は変わらないのに、人が変わったのが「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」。
善良な理髪師が策略で妻子を奪われ、復讐の鬼に変わるというミュージカルだな。
監督ティム・バートン、主演ジョニー・デップといえば、「シザーハンズ」のコンビよね。
あの映画でもジョニー・デップは理髪師をやってて、こんども理髪師なんだけど、同じ理髪師とはいえ、あのころの純情な理髪師が、今回は鬼気迫る理髪師になっていて、いやあ、人って本当に変わるんだなって思ったぜ。
「シザーハンズ」の役は、理髪師じゃなくて、手がハサミになってるんで、たまたま髪を切ってただけよ。
手がハサミ、ってヘンな表現だな。それじゃ単なるカニ男みたいじゃないか。
でも、手がハサミよ。他に言いようないじゃない。
あの映画のジョニー・デップは、手がハサミになってるっていうだけで街の人たちに迫害され、差別される青年で、思わず同情の声をかけたくなっちゃうほど純真無垢な役柄だったんだけど、今回はねえ。
今回は、よりホラーに近くて、心理描写も複雑で、ジョニー・デップもおとなになったなあって、感慨深いものがあるわよね。
そうかあ?今回は、カミソリを武器に次々人の首をかききっていくという、長ったらしいタイトルどおりのあまりに残忍な理髪師なんで、俺はちょっとひいちゃったぜ。
それはしょうがないじゃない。もともとの舞台の売りが、そういう血塗られた惨劇なんだから。
血の色を映画自体の色彩設計のひとつとして見せているのはわかるけど、気持ちいいもんじゃないよな。
そうそう、色彩設計のひとつとして楽しめば、それもまたティム・バートンらしいなあって楽しめるじゃない。
血に抵抗感がないなんて、さすが女だな。
そういう問題じゃないと思うけど。
しかし、そもそもの動機が自分を罠にはめた人間に復讐することだとはいっても、関係ない人間までああいう残酷な形で殺しちゃうと、同情するより、ちょっと待ってよ、って思っちゃうぜ。あれじゃあ、日本の不良のオヤジ狩りと変わらない。
ああいうやりすぎなところもまた、ティム・バートンならではのダークな世界観がよく出てるところなのよ。
いやあ、いままでの彼の作品って、世界はダークであっても、ユーモアとか悲しみに彩られていて、そこが共感できていたのに、今回は残酷さばかりが前面に出たような印象があって面食らったぜ。最後のどんでん返しも、してやられたという快感よりは何かすっきりしない後味が残ったもんな。
うーん、旗色悪いなあ。
なに、気色悪い、この映画?
いえ、旗色悪いって言ったの。あなたは気色悪いけど。
シルク」を観たときも思ったんだけど、最初に、平和なときの妻との生活をもう少し丁寧に描いておかないと、その後いくら主人公の苦悩を見せられても、悲劇に共感できなくなるっていうことじゃないか。
そんな難しいこと言わないで、ジョニー・デップ初のミュージカルに酔ったらいいんじゃないの?
でも、本来、ミュージカルって、こういう暗い話とは相容れないものなんじゃないのか。
暗いミュージカルといえば、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」くらいなものかしら。
あれも、作品としては完成度高かったんだろうけど、観ていて気持ちのいいものではなかった。ティム・バートンに「ヘア・スプレー」の明るさがほしいとは言わないけど、せめて「ファントム・オブ・パラダイス」くらいの悲劇度で止めておいてほしかった気がするぜ。
ブライアン・デ・パルマかあ。あれも監督の趣味全開のどこかねじくれた映画だったけどね。
でも、悲しみには共感はできた。
結局、あなたはティム・バートンが嫌いってこと?
とーんでもない。ティム・バートンの世界は大好きさ。でも、ユーモアは忘れないでほしいってことだ。
あれ、それって、私があなたに求めていることと一緒よ。
は?


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