【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

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「湖のほとりで」:旧葛西橋バス停付近の会話

2009-07-29 | ★亀29系統(なぎさニュータウン~亀戸駅)

うるおいの木かげ道路かあ。
うるおいの木かげだらけの映画を最近観たな。
「湖のほとりで」でしょ。
美しい山々に囲まれた北イタリアの湖岸で起きる殺人事件。
「レイクサイド・マーダー・ケース」イタリア版といったところね。
その謎を追うのは、頭の禿げた老練な刑事。渋いコートをまとってひとり敢然と、おどろくべき謎に挑む。
ってあなたが紹介すると、なんか浮ついて、火曜サスペンス劇場の老人版みたいだけど、見所はこの田舎町に暮らす人々の複雑に入り乱れた思い。
みんなが胸に一物を持っていて、誰もが怪しい。果たして、時間内に事件は解決するのか。
って紹介すると、やっぱり火曜サスペンス劇場みたいだけど、実は一級のヒューマン・ドラマ。
わかった。じゃあ、こういう紹介の仕方はどうだ。「事件を通して浮かび上がってくるのは、謎解きの醍醐味以上に、人々の秘めた苦悩や言葉に出せない悲しみ。映画の力点は、あくまで深く、重い人間模様にあった」。
ま、そんなところかな。幼い息子を失った元夫婦や、脳腫瘍の少女や、ちょっと知恵の遅れた息子を抱えた老人といった登場人物が出てくるんだけど、彼らを捉える視線が上滑りしていないから、あざとい感じが全然しない。
刑事自身、アルツハイマーで入院中の妻と不登校気味の娘を抱えている。
だから、容疑者たちの心の内も痛いほどわかるはずなんだけど、そんな自分の身の上話はしない。彼らに「この気持ちは、経験した者じゃないとわからない」とか言われても、刑事としてじっと耳を傾けるだけ。
誤認逮捕も犯すんだけど、日本の刑事ドラマみたいに、必要以上にわめいたり叫んだりしない。
あせらず、じっくり事件に関わった人たちの感情を読み取ろうとする態度が一環してるんだけど、映画のつくり自身がまたそうなっている。
殺人の動機も、いまどき流行りのの理由なき殺人でもなければ、怨恨でも痴情でもない。
もっと人間の奥深くに隠れている感情。
それも含めて、静謐っていうことばが全編を覆っているような映画だった。
事件の舞台になる湖なんて、まるでタルコフスキーの映画にでも出てきそうな幻想的な風情だもんね。
ほとんどさざなみさえ立たないような深緑の水辺。
でも、映画の感触は近頃の日本映画でいうと、「ディア・ドクター」に似ている。
え、そうか?全然タイプが違う映画だけど。
人間を描こうとする姿勢が近い気がしたのよ。
まあ、舞台は緑あふれる田舎町だし。
物語の先を急ぐのではなく、丁寧に描写を重ねようと腐心しているし。
近頃珍しく、人間的なうるおいを感じさせる、映画らしい映画という点では一致するのかもしれないな。
うるおいの人かげ映画ね。








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「バーダー・マインホフ 理想の果てに」:東砂六丁目バス停付近の会話

2009-07-25 | ★亀29系統(なぎさニュータウン~亀戸駅)

カフェ・コロラドって昔からあるよな。
第1号店は1972年に川崎市に誕生したっていうからね。
1972年て言やあ、バーダー・マインホフが西ドイツで連続爆破事件を起こした年じゃないか。
おや、妙に詳しいわね。
ああ。国際的な話題は俺にまかせておけって。
とか言って、いま観てきたばかりじゃないの、「バーダー・マインホフ 理想の果てに」。
バーダー・マインホフ、のちのドイツ赤軍の成立から瓦解までを追った硬派の実録映画。
日本でいえば、連合赤軍みたいな組織だったのかしら。
革命を叫んだ反体制組織という意味ではそうかもしれないな。
でも、1970年代、遠いヨーロッパで日本と同じような組織が生まれていたなんて知らなかったわ。
バーダー・マインホフなんて、一人の人物の名前かと思っていたくらいだもんな。
そう、そう。バーダーさんとマインホフさんていう二人の名前だったなんて初めて知ったわ。
日本で連合赤軍事件が国民的事件だったように、ドイツではバーダー・マインホフ事件は国を揺るがす大事件だったようだな。
映画も、私たち日本人は大河ドラマのように観てしまうけど、ドイツ人にとっては、昨日のできごとのように感情移入しながら観てしまうんでしょうね。
観ていると日本の連合赤軍と同じような道を歩んでいる。
一人の学生の死から始まって、正義を追及する人々が組織化されて行く過程で、路線は暴力革命へと変質していき、やがては要人暗殺、ハイジャックへと活動がエスカレートしていく。
第一世代のリーダーが捕まり、第二世代へと行動が引き継がれる中で、先鋭化していく闘争はもう誰にも止められなくなっていく。
でも、連合赤軍と違うのは、追いつめられて行く中でも、仲間同士の悲惨な粛清へは結びつかなかったところね。
刑務所に収監されたあとでも、仲間同士で議論を続けている。
牢獄の中にミーティングルームみたいなところがあって、そこへメンバーが集まって議論が交わせるっていう待遇にびっくりするけどね。
日本よりは民衆の支持が強く、体制側も邪険に扱うわけにはいかなかったのかもしれないな。
だから、日本のように孤立化せず、内部粛清には向かわなかったってことかしら。
でも、結局は組織が肥大化し、方針転換を繰り返す中で、理想は忘れ去られ、組織は崩壊していく。
こういう組織って、どうして時代を問わず、国を問わず、いつも同じような挫折の道筋を歩むのかしら。
振り返ってみれば、日本の軍隊だって同じようなもんだもんな。中国で小競り合いをしていたはずがいつのまにか太平洋戦争を起こすまでに行ってしまって、その結果、崩壊する。人類の哀しいさがなのかもしれないな。
「理想の果てに」っていうサブタイトルが胸にむなしく響く。
追い詰められると、冷静に判断する余裕がなくなるってことかな。
映画化するまでに40年近くたっている。
日本の連合赤軍を映画化した「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」も同じくらいの時間がたっている。
事件の全体像を冷静にとらえるには、それくらいの時間が必要だったっていうことね。
それくらい、重い題材を映画化したっていうことだ。
誰かの心情に肩入れすることなく、事件の全貌をとらえようとした姿勢には感服するわ。
その姿勢も「実録・連合赤軍」に通じる。あの時代の喧噪を感情のままに描くのではなく、立ち止まって眺めてみようとする姿勢。
そうよね。何ごとも、立ち止まって考えてみるってことがだいじよね。
俺たちもちょっと立ち止まって考えるか、カフェ・コロラドで。
あなたは、考えるふりして、いっぷくしてるだけじゃない、いつも。
あ、知ってた?






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「嗚呼 満蒙開拓団」:葛西橋東詰バス停付近の会話

2009-07-22 | ★亀29系統(なぎさニュータウン~亀戸駅)

この先、橋を渡れば日本橋はもうすぐそこよ。
おお、懐かしの日本!
いえ、日本橋。
いいんだ、日本で。いま俺は満洲から引き揚げてきた農民の気持ちになっているんだから。
「嗚呼 満蒙開拓団」を観たばっかりだから?
ああ。国策に踊らされて満州に渡ったものの、敗戦で命からがら日本へ戻ってきた人々の証言ドキュメンタリー。
ごくごく平凡に生きてきたように見えるお年寄りの口から「親が自分の兄弟を手にかけた」とか「子どもを川へ投げ捨てた」とか、信じられないような証言が出てくると、予想はしていてもがく然とするわね。
戦場での経験を語るドキュメンタリーというのはいくつかあるけど、ここに出てきた人々はただの農民だからな。普通の人々が戦争の陰でどんな困難な状況に置かれたか、想像するだけで言葉を失う。
そうして中国で亡くなった人に対して日本という国は何もしないで、侵略された中国が彼らのために立派な墓標を立てたという事実。
悪いのは農民じゃなくて、軍部なんだからという、信じ難く心の広い考え。
あたりまえといえば、あたりまえなんだけど、日本人に何百万という人々が殺された国だからね。なかなか割り切れることじゃない。
いろいろある国だけど、ちょっと見直した。
いちばん恐ろしかったのは、当時日本の憲兵だった男性の証言よね。
庶民はその場に残したまま、彼も含めた軍部や役人たちがとっとと先に逃げてしまう。
そのときの彼は、助けを求める庶民の姿を見ても一顧だにしない。それが当然だという気持ちしかなかったっていう。
庶民には申し訳なく思いながらも先に逃げる、っていうんじゃなくて、それがしごくあたりまえだと思っていたという証言。
何の罪悪感も覚えなかったっていうのに慄然とする。
彼が悪いっていうんじゃなくて、国中がそういう精神状態になっていたっていうことだ。
いまから思えばとんでもない考えだけど、当時はそれを疑いもしなかったということ。
そういう空気ができてしまうことがいちばん恐ろしい。
精神のまひ。そういう風潮が支配する世の中にならないように、私たちは常に自覚していなくちゃいけないってことね。
なんだか、社会科の教科書みたいな会話になってしまったけれど、たまにはそれもいいだろう。
たまには?ダメよ、そんな中途半端なことじゃ。常に意識しておかないと、またいつ、ああいう時代に逆戻りしてしまうかわからないわよ。
そうだな。日本橋を見て、ああ、懐かしい、やっと帰って来れた、なんてことにならないような世の中であり続けたいもんな。
そういうことも頭に入れながら、今度の選挙に行ってね。
飛躍するなあ。
でも、そういうことよ。
はい。






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「アマルフィ 女神の報酬」:宇喜田バス停付近の会話

2009-07-18 | ★亀29系統(なぎさニュータウン~亀戸駅)

こんな町中に動物園があるとは知らなかった。
こういうご時世だし、今年の夏は海外に遠出する代わりにこういう近場で楽しむのもいいかもしれないわね。
きょうの新聞にも出てたもんな、「イタリア観光・日本人客急減」って。
イタリアなんて、私たち庶民には手が届かない遠い国になっちゃったてことね。
そうじゃなくて、サービスが悪いとかぼったくりがひどいとかっていう理由らしいけど。
たしかに、オールイタリアロケが売りの日本映画「アマルフィ」で教えられることって言えば、スリには気をつけろってことだもんね。
あと、子どもから目を離すな。子どもを誘拐されても身代金を払っちゃいけないって法律で決められている、とかな。
美しい風景とはうらはらに、恐いところねって思っちゃった。
そもそもが、ローマで娘を誘拐された天海裕希と居合わせた外交官の織田裕二が犯人を追いつめるっていうサスペンス映画だからな。
のんべんだらりと絵はがきのように観光地を映しているだけの映画よりはいいけどね。
でも、タイトルが「アマルフィ」なんだから、もう少し、あの断崖絶壁にできたアマルフィ独特の町並みを生かした展開があってもよかった。
ドラマのほとんどはローマが舞台。
アマルフィは寄り道先にすぎない。
だからって、「ローマの休日」を期待しちゃいけない。
「ローマの休日」に登場したスペイン広場のロマンチックな映像に比べ、今回の映画の雑然としたこと!
日常の情景をとらえれば、観光地なんてあんなもんなのよ。
「フェリー二のローマ」の甘美で幻想的なローマも出てこない。
全然狙いの違う映画だからね。
犯罪に政治的な味付けもしているけど、本気でそれを訴えたいと思っている映画でもない。
そうそう。同じサスペンス映画でもたとえば「相棒」の犯人の動機にはうなずけたけど、こちらの動機は、分かるんだけど、何か心に響いてこないっていうレベルよね。
・・・とか話してると、なんか、がっかりしているみたいな印象を与えるかもしれないけど、単なる娯楽映画だと割り切れば、それなりにおもしろく観ていられる。
遠くイタリアまで行きながら結局日本人同士の話なの?とか、娘を誘拐されてうろたえる母親を演じるには天海裕希はちょっとキャラクターが強すぎるんじゃないの?とか、そんなところには目をつむればいいいのよね。
いつ、天海裕希が「織田君、私が解決するわ!」って言い出さないか、冷や冷やしながら観ていたなんて、思っていても口に出しちゃいけない。
だって、あの織田君がギャハハ笑いを封じ、まじめ一辺倒になって、図体のでかい天海裕希を必死で守ってるんだもんね。
織田裕二って、ギャハハ笑いで強烈なイメージをつくっちゃったけど、若いころからこの映画みたいな硬派なキャラクターで押していれば、いまごろニヒルな二枚目として認識されていたかもしれないって感じさせるところはある。
この外交官役に、なんか決まったクセがあるとか暗い過去があるとか、もう少し陰影付けができれば、続編が出来てももいいわよね。
それは脚本家の腕しだいだな。
と思って、脚本家の名前を探したら、どこにも出ていない。
原作の真保裕一と監督の西谷弘が共同して書いたらしいけど、クレジットタイトルには載っていない。
脚本家の名前がない映画なんて初めて観たような気がするわ。
そんなひどい脚本でもないのにな。偽名でも何でもいいから載せるべきだった。
クレジットタイトルに脚本家の名前が載っていないってことは、脚本の責任者がいなかったっていうことだからね。
映画って極端に言えば、脚本と役者で出来ているようなもんだからな。どういう事情があるにせよ、その名前をカットしたことは、映画に対する姿勢が問われる。
映画を軽く扱っているとしか思えない。
やっぱりテレビ局がつくった映画の限界か。
うーん、そうは思いたくないけどね。内容的にはテレビドラマではなく、映画らしい感触があったわよ。
だからこそ、惜しいんだ。






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「美代子阿佐ヶ谷気分」:スポーツセンター前バス停付近の会話

2009-07-15 | ★亀29系統(なぎさニュータウン~亀戸駅)

ここの音楽教室、ピアノやバイオリンだけじゃなくて、ギターも教えてくれるのかな。
どうして、いまさらギターなんて習いたいの?
「美代子阿佐ヶ谷気分」を観ていたら、70年代のことを思い出しちゃってさ。
あの頃は、みんながギターを抱えていたもんね。
ガロの「学生街の喫茶店」なんかを口ずさみながらな。
ガロといえば私が思い出すのは、有名なコミック雑誌の「ガロ」。
その雑誌「ガロ」に漫画を投稿していた安部愼一と彼の恋人の物語が「美代子阿佐ヶ谷気分」。
彼自身、自分たちのことを描いた「美代子阿佐ヶ谷気分」という漫画を発表している。それがこの映画の原作。
二人で東京に出てきて、阿佐ヶ谷にアパートを借りて男は漫画を描き始める。
それだけでもう70年代我等の時代って感じで、いかにも陰々滅々な物語が始まりそうよね。
暗い、暗い。ひたすら暗い。とにかく誰も笑わない。
ちょっと、つげ義春風の感じっていえば、わかるかな。
漫画を描くことに悩んで、ついには頭がおかしくなってしまう。
あんな暗い漫画ばっかり描いてたんじゃ、気も滅入るわよ。
それを支え続ける女性のたくましさ。
よくあんな風采の上がらない男に、愛想もつかさず、一緒に暮らしてるわね、って思っちゃうんだけど、それは今の感覚かしら。
あの頃は、ああいう暗い男が流行ってたんだよ。その空気はよく出ている。
でも、監督の坪田義史は90年代後半の生まれだっていうから、あの頃の空気は知らないはずなんだけどね。
そんなこと言ってたら、時代劇とか戦争映画なんか誰にもつくれなくなる。
自分の経験していないことだって、きちんと描けるのがほんとうの映画監督ってもんよね。
でも、一方で、安部愼一は自分の経験していないことは描けなかった。
そっか。安部愼一に心酔している映画監督が、安部愼一と違う方法論で彼をモチーフにした作品をつくるって矛盾してない?ってことか。
漫画と映画の違いがあるとはいえ、そのあたりのことをどう自覚していたんだろうな。
難しいわね。
どっちがほんものの芸術家か議論のわかれるところだ。
どっちもほんものなんじゃないの?
あ、そつなくまとめるね。何をおいても妥協を嫌う70年代の会話じゃあないな。
そりゃそうよ。いくら70年代を描いた映画の話をしているって言っても、私は今を生きる女なのよ。それに、映画だって70年代だけじゃなくて、その後の安部愼一も描いてたじゃない。
俺だってそうだ。ギターは懐かしいから、弾きたくなっただけだ。
で、いまさら何を弾きたいの?
浅田美代子の「赤い風船」。
それは美代子違いでしょう。





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