Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

田沼武能写真展「東京わが残像 1948-1964」

2019年04月11日 | 美術
 田沼武能写真展「東京わが残像 1948-1964」を見に行った。日本が敗戦後の混乱から復興に向けて立ち上がった1948年から、東京オリンピックを開催して復興した姿を内外に示した1964年まで、東京という街の変貌を辿った写真展。

 なんといっても強烈なインパクトがあったのは、戦災孤児の写真だ。「ペコちゃん人形の持つミルキーが欲しい戦災孤児」(銀座、1950年)では、裸足でボロをまとった戦災孤児が、ミルキーの箱を持つペコちゃん人形を、道端で見つめている。ペコちゃん人形も薄汚れている。

 もう一つ例をあげると、「上野公園に住む戦災孤児」(上野、1951年)は、ボロをまとった戦災孤児の顔が大写しにされている。泥で汚れているが、腹の座った、(多少語弊があるかもしれないが)ふてぶてしい顔だ。わたしは石川淳の小説「焼跡のイエス」を思い出した。このような戦災孤児=焼跡のイエスが、当時大勢いたことが、実感として迫ってくる。

 わたしは1951年生まれなので、戦災孤児を実際に見たことはないが、チラシ(↑)に使われている「路地裏の縁台将棋」(佃島、1958年)のような光景は、日常的に見慣れた光景だ。わたしはこのような環境の中で育った。路地裏にはいつも子どもがいた。でも、今では路地裏はなくなった。

 本作をよく見ると、近景に将棋を指す少年2人とそれを観戦する少女1人、中景には花火をする少女2人とそれを見つめる少年1人、遠景にはお婆さんが1人いて、それらの人物が逆「く」の字型に配置されている。動きがあり、同時にバランスが取れている。羽目板、洗い場、物干しの竹竿など、夥しいディテールがおもしろい。それにしても、屋根の上の番傘はなんだろう。地面が濡れているので、本作は雨上がりの光景かもしれず、そうだとすれば、濡れた番傘を乾かしているのか‥。

 わたしなどは、このような写真を見ると、ノスタルジーを感じるが、今の若い人(たとえば中学生とか高校生とか)はどう感じるのだろう。

 本展の最後の方には「皇太子ご成婚の日の街の光景」(銀座、1959年)がある。その皇太子=今上天皇は、今、退位が目前となっている。そして最後に展示されている「国立競技場聖火台に点火され東京オリンピックが開幕」(新宿区、1964年)は、(敗戦後夢中になって走ってきた)一つの時代にピリオドをうつようだ。東京という街が自分探しをするなら、そのルーツはこの時代にあるのかもしれない。
(2019.4.9.世田谷美術館)

(※)本展のHP
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