Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

クニマスは生きていた!

2018年01月26日 | 身辺雑記
 2006年のことだが、わたしは職場の同僚Mさんのお父様の葬儀に参列するため、秋田県の田沢湖に行った。初めて目にする田沢湖は、新緑がきれいだったが、あいにくの小雨模様のため、気分は沈みがちだった。

 お父様の名前は三浦久兵衛(みうら・きゅうべえ)さん。1921年生まれで、享年84歳だった。その久兵衛さんのことが本になった。「クニマスは生きていた!」(汐文社)。著者の池田まき子さんは児童書作家。本書も児童書だが、大人が読んでも十分におもしろいと思う。

 三浦家は代々、田沢湖の漁師だった。久兵衛さんも、祖父や父のもとで、子どもの頃から漁を学び、将来は漁師になることを当然のことと思っていた。田沢湖には当時、クニマス、イワナ、ウナギ、コイ、サクラマスなど20種類もの魚がすんでいた。中でもクニマスは田沢湖にしかいない固有種だった。

 しかし1936年頃、国力強化を目的に、田沢湖をダム湖にする計画が持ち上がり、その関連で、酸性度の高い玉川の水を田沢湖に導水することになった。玉川の水が導水されれば、田沢湖の魚は全滅する。漁師だけではなく、地域の人々は憤慨したが、戦時体制のもとで「お国のため」と押し切られた。

 1940年に導水が開始されると、田沢湖の酸性度は急激に上がり、クニマスは絶滅した。

 だが、久兵衛さんは諦め切れなかった。戦後、それも1980年代の後半から、一縷の望みをかけて、クニマス探しの旅を始めた。じつは1930年代の前半に、クニマスの人工ふ化事業がおこなわれ、採卵したクニマスの卵を全国の湖に分譲していた。それらの湖のどこかで、今もクニマスが生きているのではないかと‥。

 久兵衛さんの活動は、テレビや新聞で紹介されるようになった。わたしも前述のMさんから聞いた。だが、クニマス発見には至らず、久兵衛さんは2006年に亡くなった。ところが、その4年後の2010年に、クニマスの生存が山梨県の西湖で発見された。そのニュースは、驚きと喜びをもって、全国で報道された。

 クニマスをめぐる以上の経緯(経緯というよりもドラマ)と今後の課題(依然として酸性度の高い田沢湖を元に戻すことは、困難な事業のようだ)を書いたのが本書。クニマス発見は久兵衛さんの生前には間に合わなかったが、本書が出たことで、せめてもの供養になれば、と思う。

 本書を読み終えたとき、2006年に見た小雨にけむる田沢湖が目に浮かんだ。

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