Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

沖澤のどか/読響

2023年05月14日 | 音楽
 読響の5月の定期演奏会が行けなくなったので、土曜マチネーに振り替えた。沖澤のどかの指揮を聴くのは2度目だ。前回は2021年7月、日本フィルの定期演奏会だった。メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」が記憶に残っている。

 今回1曲目はエルガーのヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリン独奏は三浦文彰。偶然だろうが、日本フィルのときも三浦文彰のヴァイオリン独奏でベルクのヴァイオリン協奏曲が演奏された。そのときの三浦文彰の印象は薄い。むしろ沖澤のどかが織りなすオーケストラの明快なテクスチュアと一体となったような演奏だった。

 はたしてというべきか、今回も同じような印象を受けた。沖澤のどかが読響から引き出す演奏は、穏やかで、自然体で、淡い抒情を漂わせるものだった。わたしはなんてロマンチックな曲だろうと思った。そのオーケストラ演奏に三浦文彰のヴァイオリン独奏は溶け込んだ。だからなのか、第3楽章の後半の長大なカデンツァは、意外に音楽が煮詰まらず、淡々としていた。

 プログラム後半は、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」前奏曲とリヒャルト・シュトラウスの「死と変容」。じつはわたしは勘違いしていた。「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲と愛の死をやって、それから「死と変容」だと思っていた。ところが愛の死はやらずに、前奏曲とつなげて「死と変容」を演奏する趣向だった。会場でそれを知って、なるほどと思った。前奏曲から「死と変容」への流れがどう聴こえるか。興味がわいた。

 結論的にいえば、大成功だった。帰宅後、読響のHPを見ると、沖澤のどかの言葉が紹介されていた。「『死と変容』の前半の緊張感が更に高まり、集中力が要求されると感じる」と。その言葉は演奏者側のことだろうが、聴くほうも同じことを感じた。

 「死と変容」の感想を書く前に、まず「トリスタンとイゾルデ」前奏曲の感想を書いておきたいが、わたしは大変感心した。文学的な思い入れを排除して、純粋に音楽的にスコアを読み込んだ演奏だ。この曲がこれほど音楽的に聴こえたことはない。その結果、いままで聴いたことのない自然な流れが感じられた。細かい息遣いのようなテンポの揺れはキリル・ペトレンコを思わせた。

 「死と変容」は沖澤のどかのいう「前半の緊張感」はもちろんのこと、後半の音の広がりが、最晩年の「4つの最後の歌」の「夕映えの中で」とまさに同じであることを感じた。「夕映えの中で」には「死と変容」が引用されるとよく指摘されるが、逆の順序で、初期の作品の「死と変容」にすでに「夕映えの中で」が鳴っていることに感動した。
(2023.5.13.東京芸術劇場)

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