Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

わたしの故郷

2023年11月04日 | 身辺雑記
 わたしの故郷は多摩川の河口の街だ。家の周囲には小さな町工場がひしめいていた。日本が高度経済成長期にあったころは、工場の廃液が溝に流れ、異臭を放った。普段羽振りの良かった工場主が夜逃げしたこともある。喧嘩もあった。ガラの悪い街だった。だがそんな街でも、子ども心には楽しい街だった。遊び場は多摩川の土手だった。今でこそ河川敷にはグランドなどが整備されているが、当時は草が生い茂る荒れ地だった。その中で野球をやったり、カニを取ったりした。

 私は結婚後家を出て、川崎に移り、今では目黒にいる。時々多摩川のその街が懐かしくなる。一年に一度くらいは訪れる。先日も行った。JR蒲田駅からバスに乗り、糀谷(こうじや)で下車。商店街を歩く。チェーン店が多数進出している。安っぽい商店街になった。だが、よく見ると、昔の店が奇跡のように残っている。たとえば本屋さん。わたしが中学生のころまで通った本屋さんだ。当時の店主がまだ店番をしている。すっかり老いたが、まだ店にいる。

 わたしの家があったあたりは、小さな町工場が姿を消して、大規模なマンションが林立している。様変わりだ。でも近所の和菓子屋さんがまだある。薄汚れた小さな店だ。世間から忘れられたような風情だ。でもまだ営業している。入ってみた。だれもいない。しばらく待つと、昔の面影を残す老人が出てきた。ドラヤキを買った。老人は「よく出るんですよ」と。お客が来る気配はないが‥。ふと「人生の最後はこのあたりのマンションに住んで、昔の記憶に浸るのもいいな」と思った。

 土手を歩いた。土手の上の道は、昔は舗装されていず、道幅も狭かった。今は広い遊歩道兼サイクリングロードになっている。川沿いに大師橋まで下った。昔は2本ある塔の1本が壊れた古い橋だった。今では近代的な橋に付け替えられている。橋から下をのぞくと干潟が見える。なんという鳥なのか、数種類の鳥がいる。全国各地に干潟を守る運動があることを思い出す。

 大師橋を渡って神奈川県側に出た。川沿いに上ると、東南アジアの寺院のような巨大な塔が見えた。なんだろう。土手を降りて見にいった。川崎大師の自動車交通安全祈祷殿とのこと。2006年建立。広い駐車場を備えている。川崎大師の資金力を思う。

 川崎大師に行ってみた(写真↑)。折しも七五三の季節なので、両親につれられた小さな子が何人かいる。わたしも幼いころ来たのかどうか。七五三の記憶はないが、初詣の記憶はある。人混みに埋もれて、うんざりした。今も仲見世通りは変わらない。くず餅や千歳飴が並ぶ。レトロな風景だ。喫茶のできる店に入った。明るい日差しが入り暖かい。くず餅を注文した。
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