Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

我が闘争/続・我が闘争

2010年09月08日 | 映画
 映画「我が闘争」と「続・我が闘争」をみた。前者は1960年にスウェーデンで製作されたドキュメンタリー映画。ヒトラーの生涯が描かれている。日本では1961年(昭和36年)に初公開された。後者はその続編で1961年製作。こちらはニュルンベルク裁判で告発されたナチスの戦争犯罪を描いている。日本での初公開は1963年(昭和38年)。どちらも戦時中のドイツのニュース映画などを編集して再構成したもの。

 前者で描かれたヒトラーの生涯にはあまり目新しい事実はなかった。1960年製作だから当時としてはこれでも十分にインパクトがあったのかもしれない。それから50年後の現在では、研究はもっと進んでいるだろう。それにしても、既知の事実とはいえ、生きたヒトラーやその周囲の人物が動き回る映像には生々しさがあった。

 素材となった映像は、戦時中のニュース映画やレニ・リーフェンシュタールの記録映画「意志の勝利」などから切り取ったものなので、ヒトラーは公式の顔をしている。その内面はうかがえない。また庶民の素顔あるいは迫害された人々の実相はみえてこない。そのなかにあって、ワルシャワのユダヤ人居住区(ゲットー)の悲惨な映像には目をみはった。

 「続・我が闘争」では、米、英、仏、ソの連合国側がナチスを裁いたニュルンベルク裁判に基づいて、アウシュヴィッツ強制収容所の実態など、ナチスの残虐行為が映像で描かれていた。山積みにされた死体、放置された病人、やせ衰えて骨と皮になった人々、生きる意欲を失って虚ろな目をした人々。

 法廷の被告席に居並ぶゲ―リンクなどのナチス幹部の映像も興味深かった。ある者はふてぶてしい態度だが、内心は神経質そうだ。ある者は眉間に深いしわを寄せている。ある者はおどおどした様子を隠せない。全員がヒトラーに罪をかぶせて、自らは無罪だと主張した。集団としてのナチスの姿がみえた気がする。

 法廷で告発されたナチスの罪業のうち、たとえば収容所の犠牲者の肉体から製造された人間石鹸は、今では疑問視されているようだ。入れ墨をした人間の皮をはいで作ったというブックカバーやランプシェードはどうなのだろう。また300万人とされたアウシュヴィッツの犠牲者数も揺れている。ニュルンベルク裁判が戦後の混乱のなかで開かれたことは留意すべきだろう。

 映画が終わって外に出たら夜11時だった。家に帰ってシャワーを浴び、ビールを飲んだら、すぐに眠れた。今朝は早く目が覚めてしまった。頭のなかでは残虐な映像がグルグル回っていた。
(2010.9.7.シアターN渋谷)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする